略歴・解説 | 本資料は昭和30年代後半の生活資料である。昭和35年ごろから日本経済はいわゆる高度経済成長の時代を迎えることになる。昭和30年代前半には「三種の神器」と呼ばれ、民衆のあこがれであった電気洗濯機、電気冷蔵庫、テレビに代表される家庭電化製品が一般の家庭生活の中にも浸透し始め、人々はこうした耐久消費財を手に入れることで豊かさを実感した時代でもあった。県内におけるテレビジョンの受信契約数は昭和36年1月に5万件を突破し、翌37年の8月には倍の10万件を越すようになる(『NHK高松局50年のあゆみ』より)。また、東京オリンピックが開かれた昭和39年には、四国のほぼ9割の家庭に白黒テレビが普及している(『四国電力40年のあゆみ』より)。1の自黒テレビは、新田B家資料1の自黒テレビの後に購入されたもので、昭和39年に東京オリンピックが開催されるのを機にカラーテレビに買い換えるまで使用されたものである。この時期のテレビに特徴的なねじ込み式の脚などに、それまでなかったテレビという調度品を日本の室内になじませるためのデザイン上の工夫が感じられる。県内でカラー放送が開始されるのが昭和39年10月のオリンピック開幕直前で、このときにカラーテレビを購入していることから、この2台の白黒テレビは県内においてはかなり先駆的な事例にあてはまるといえる。豆炭あんかは昭和34年に初めて発売された。資料2は購入時期は不明であるが、昭和40年前後のものであると思われる。燃料費が電気料金などと比較すると極めて安価であること、温度が長持ちすること、煙が出ないこと、火が燃え移る危険性がないことなどの理由で好評を博し、当時爆発的に売れたという。昭和40年代の前半には「三種の神器」に加え、電気こたつなどの家庭電化製品がほとんどの家庭に備わるようになる。両資料はこうした人々の生活の変化の過渡期を伝える資料である。
(香川県教育委員会『歴史博物館整備に伴う収蔵資料目録 平成9年度』より、一部修正し転載) |