略歴・解説 | 大正末期から昭和の初期にかけて、生活様式の近代化とともに大衆の間に観光旅行が流行する。昭和3年の全国産業博覧会の高松での開催や、昭和9年の瀬戸内海国立公園の指定などは、県内の観光業の振興に拍車をかけた。資料の観光パンフレット類はこのような状況を背景に発行されたものである。資料7「讃岐富士登山案内」は琴平急行電鉄の発行である。大正末から昭和初期にかけて、観光旅行ブームを背景に県内では琴平を終着とする電鉄や屋島、塩江温泉などの観光地にも鉄道が相次いで開通する。琴平急行電鉄は、昭和5年に開通し、坂出から飯野山西部を通り、琴平を結んだ。これは整備された坂出港への船客の誘致と沿線の交通不便の解消を目的に設置されたものであった。しかし、他の3線(琴平電鉄、琴平参宮電鉄、国鉄)と路線が競合したため、業績はあがらなかったという。資料のパンフレットのように飯野山(讃岐富士)を売り物とした乗客の誘致をはかり、遊園地の建設なども計画されたものの実現しなかつた。戦中の昭和19年に廃止を命ぜられ、供出された資材は南方へ送られた。戦後復活することはなく、人々の記憶から消え去りつつある現在においては貴重な資料である。これらの資料は高松市内の佐々木氏宅で保存されてきたものであるが、昭和20年7月4日の高松空襲の際についたという傷跡があり、その点からも戦前・戦中の香川を伝える資料であるといえる。
(香川県教育委員会『歴史博物館整備に伴う収蔵資料目録 平成9年度』より、一部修正し転載) |