蓄音機
作家名・資料群名 | (資料群)堀家A家 資料 |
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収蔵番号 | HM0#00001 |
資料番号 | 3 |
法量(cm) | 33.8×33.8×62.2 |
時代 | 明治~大正 |
作成者(→宛所) | コロンビア製 |
内容 | 使用不可、「MADE IN U.S.A」とあり |
香川県立ミュージアム 館蔵品データベース
作家名・資料群名 | (資料群)堀家A家 資料 |
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収蔵番号 | HM0#00001 |
資料番号 | 3 |
法量(cm) | 33.8×33.8×62.2 |
時代 | 明治~大正 |
作成者(→宛所) | コロンビア製 |
内容 | 使用不可、「MADE IN U.S.A」とあり |
資料群・作家名(ヨミ) | ほりけAけしりょう |
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略歴・解説 | 「電化元年」と呼ばれる昭和28年、2月にNHK東京放送局が、8月に日本テレビがそれぞれ放送を開始した。当時標準型の14インチ白黒テレビ受像機の値段が14万円以上し、大卒初任給の10倍以上という高額だったため、庶民には手が届かないものであった。昭和30年代に入ると量産化が進んで価格が低下し、一般家庭でも購入されるようになり、34年の「皇太子御成婚」を機に急速に普及した。 3のテレビも、「御成婚」の年に65,500円で発売され、翌年の5月に購入されたものである。テレビの登場は、人々に新しい娯楽を提供したばかりでなく、コマーシャルを通して購買意欲を促進した。当時、テレビ・洗濯機・冷蔵庫は「三種の神器」と呼ばれ人々のあこがれであった。こうした家電製品の普及によって生活様式が大きく変化しつつあった時代を物語る資料である。 (香川県教育委員会『歴史博物館整備に伴う収蔵資料目録 平成8年度』より、一部修正し転載) |