加藤千蔭

大分類明治期国学・神道・宗教関係人物データベース
分野分類 CB宗教学・神道学
人名加藤千蔭
+読み仮名 / NAME / 性別かとう ちかげ / KATO Chikage / 男
+別称〔姓〕橘[覚え書]
〔幼名〕佐芳[覚え書]
〔称〕常太郎・要人・又左衛門[覚え書]
〔号〕芳宜園・朮園[覚え書]
〔狂歌〕橘八衛[覚え書]
+生年月日享保20年(1735)[覚え書]
+没年月日文化5年9月2日(1808年10月21日)[覚え書]
学統・宗派賀茂真淵
+略年譜享保20年(1735) 江戸八丁堀に生まれる。父・枝直は江戸町奉行与力であり、賀茂真淵の門人であった[覚え書]。
延享元年(1744) 10歳で、賀茂真淵に入門。のち、明和6年(1769)に真淵が没するまで、26年間師事した[覚え書]。
寛延3年(1750) 16歳で、江戸町奉行組与力勤方見習となる[覚え書]。
宝暦元年(1751) 帳面改方となる[覚え書]。
宝暦8年(1758) 24歳で、選要集書継御用となる[覚え書]。
宝暦13年(1763) 29歳で、又左衛門を継ぎ、吟味方助役となる[覚え書]。
明和元年(1764) 吟味役となる[覚え書]。
天明8年(1788) 病気のため退職[覚え書]。
寛政元年(1789) 55歳のとき、50石減俸され、100日間の閇門を命ぜられる。これを機に『万葉集略解』の著述に着手。自邸で村田春海、道別らと万葉集を会読[覚え書]。
文化元年(1804) 70歳で、『万葉集略解』を家斉に献上し、白銀10枚を賜わる[覚え書]。
文化5年(1808) 9月2日、死去。享年74歳[覚え書]。
+主要著作『万葉集略解』寛政8年(1796)
『うけらが花』7巻、享和2年(1802)
データベースの典拠「覚え書」=白井忠功「加藤千蔭覚え書―すみだ河の歌について」『立正大学文学部論叢』88、1988年。
-110130 50 2020/03/26 kota.saito 本登録 0 JMK000181 加藤千蔭 KATO Chikage 加藤千蔭 KATO Chikage 享保20年(1735)~文化5年(1808) かとう ちかげ / KATO Chikage / 男 かとう ちかげ 〔姓〕橘[覚え書]
〔幼名〕佐芳[覚え書]
〔称〕常太郎・要人・又左衛門[覚え書]
〔号〕芳宜園・朮園[覚え書]
〔狂歌〕橘八衛[覚え書] 享保20年(1735)[覚え書] 文化5年9月2日(1808年10月21日)[覚え書] 賀茂真淵 - - - 享保20年(1735) 江戸八丁堀に生まれる。父・枝直は江戸町奉行与力であり、賀茂真淵の門人であった[覚え書]。
延享元年(1744) 10歳で、賀茂真淵に入門。のち、明和6年(1769)に真淵が没するまで、26年間師事した[覚え書]。
寛延3年(1750) 16歳で、江戸町奉行組与力勤方見習となる[覚え書]。
宝暦元年(1751) 帳面改方となる[覚え書]。
宝暦8年(1758) 24歳で、選要集書継御用となる[覚え書]。
宝暦13年(1763) 29歳で、又左衛門を継ぎ、吟味方助役となる[覚え書]。
明和元年(1764) 吟味役となる[覚え書]。
天明8年(1788) 病気のため退職[覚え書]。
寛政元年(1789) 55歳のとき、50石減俸され、100日間の閇門を命ぜられる。これを機に『万葉集略解』の著述に着手。自邸で村田春海、道別らと万葉集を会読[覚え書]。
文化元年(1804) 70歳で、『万葉集略解』を家斉に献上し、白銀10枚を賜わる[覚え書]。
文化5年(1808) 9月2日、死去。享年74歳[覚え書]。 - 『万葉集略解』寛政8年(1796)
『うけらが花』7巻、享和2年(1802) - - - - - - - - - - - - - - - - - - 「覚え書」=白井忠功「加藤千蔭覚え書―すみだ河の歌について」『立正大学文学部論叢』88、1988年。 - 1
資料ID40341

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