黒川春村
分野分類 CB | 宗教学・神道学 |
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文化財分類 CB | 学術データベース |
資料形式 CB | テキストデータベース |
大分類 | 国学関連人物データベース |
タイトル | 黒川春村 |
+ヨミガナ / NAME / 性別 | クロカワ ハルムラ / KUROKAWA HARUMURA / 男 |
+小見出し | 須坂藩堀家に仕 |
+別称 | 〔称〕勘吉・治平・次郎左衛門・主水 【和】 〔名〕本蔭 【和】 〔号〕薄斎・芳蘭・葵園・浅草庵三世・随日園・都草園・壺々亭 【和】浅草庵 【国2】 [法号]東風院道秀芳蘭禅士 【国2】 |
+生年月日 | 寛政11年<1799> 【国2】 |
+没年月日 | 慶応2年<1866>12月 26日 【国2】 |
+享年 | 68歳 【国2】(一説に、70歳 【和】) |
+生国・住国 | 江戸 【国2】 |
+墓地名 | 浅草新堀端永見寺 【国2】 |
+典拠 | 国伝2,国書人名辞典,和学者総覧.3900 |
+解説 | ■履歴 浅草田原町の陶器商の家に生れる。幼少の頃から学問に関心を示し、陶器商を継ぐも、程なくこれを弟に譲り、自らは本所の横綱に別居し、狂歌を嗜み、国学を学んだ。 ■学問動向・交流 狂歌に於いては類稀な才能を発揮して、春村34歳にして浅草庵三世を継承したが、後には門人に譲った。その頃、和歌を詠んでいたが、その後、年を重ねるにつれて、天保10年前後から急速に国学に傾斜していった。春村は隠者に甘んじ名利を求めなかったが、信州須坂藩主、堀内蔵頭直格とは密接な交渉のもと、直格の著作であり我が国絵師伝の集大成ともいうべき『扶桑名画伝』全53巻に対して増補訂正を行ない、2人扶持を与えられた。春村は若い時から特定の師を持たなかったが、初め主として狩谷掖斎に古学を尋ね、清水浜臣、岸本由豆流、村田了阿、北静廬、伴信友、塙忠宝、山崎知雄、内藤広前、色川三中などと交流し、共に切磋琢磨して国学研究を深めていった。 春村は、各地に数多くの門弟を擁したが、その主なものは、敷田年治、高橋安世、荒井守村、高橋才治郎等であり、とりわけ門人の金子真頼をして家を継がせた。真頼は、春村の学問を継承し、維新後は大学中助教・文部権大助教に任ぜられたのをはじめ、帝国大学教授や皇典講究所の講師を歴任した。 |
+特記事項 | ■学風 春村の学説は、本居宣長の影響が著しいものの、宣長の古道論には、不敬の恐れありとして避け、専ら音韻学(国語文法)を始めとして金石文、古美術、古芸能等を得意とした。天保15年(1844)には、『活語四等弁』1巻の稿が成り、嘉永3年(1850)には、『天言図考』1巻が執筆された。また、宣長の『漢字三音考』が粗略に過ぎると嘆いて、確実な考証に従って『音韻考証』30巻[文久2年:1862]を著したこと、あるいは加藤千蔭の『万葉略解』の遺漏の多きを嘆いて未完ながら『万葉集墨水抄』を著そうとしていたこと等に春村の学風が窺える。また春村は、博学でもあり、文政7年(1824)に清水浜臣が没し、弘化3年(1846)に伴信友が没してからは、内藤広前と共に江戸に於ける2人の「物識り」であると評価された。 ■その他の著作 春村の著述は頗る多いが、とりわけ知られているものに次の著述がある。『硯鼠漫筆』15巻[安政6年:1859]、『歌諧袋』3巻、『怜野狂歌集』2巻、『壺すみれ』1巻[天保8年:1837]、『古物語類字鈔』3巻、『競物名彙』2巻[文久元年:1861]、『歴代大仏師譜』3巻[安政3年:1856]、『地頭名義考』2巻、『陸奥国田歌解』1巻[天保14年:1843]、『池底叢書要目』2巻、『節用集考』1巻、『名乗指南』1巻。 |
+史資料 | 系圖〔編者補〕 春海―養子眞頼金子氏、文學博士―眞道学統 〔同上〕 黒川春村―眞頼・佐藤誠實 〔古學下〕 幼ヨリ國學ヲ志ザシ、イソシマレケリ。サレド、誰レ師ト云コトナク、ヒトリ螢雪ニ身ヲ抛レケリ。初ハ浅草庵守舎ト云、俳諧歌師ノアトヲツギテ、俳諧歌ヲヨマレケルガ、幾程ナク、其コトヲ止メテ、和歌ノミヨマレケリ。年タケテハ、ソレハタ要ナキコトナリトテ、ハカゞシクモ讀出ラレズ。専ラ國學ノ道ヲツトメラレ、初ハ狩谷掖斎等ニ、古學ヲ質問サレ、其友トセシ人々ハ、清水濱臣、岸本由豆流、村田了阿、北静盧、伴信友、塙忠寳、山崎知雄、梨白院阿ナド、カタミニ切磋琢磨セラレタリ。翁ノ學ハ、オヨソハ鈴屋翁ニヨラレシガ、神代ノコトナド彼此トコチタク言ハ、却テナメゲナリトテ、イハレズ。惟音韻ノコトハ、(詞ノ栞若干卷アリ。外ニモ、詞ノコトヲカゝレシモノ、数部アリ、最得意ナレバナリ。)漢字三音考ノ、アマリニ粗畧ナルヲゝシマレ、音韻考證ト云書ヲアラハサル。又萬要畧解ノ遺漏ノ多キヲナゲカレ、萬葉集墨水抄ト云書ヲアラハサレシガ、未成ニテヲハラレタリ。又物ゴト慥ナラヌヲキラヒ、元書ヲ見ザル孫引ノ書類ハ、必ズ其引キタル人ノ名モ共ニアゲ、又イサゝカノ説ニテモ、残ル所ナク、自他ノ別ナカリキ。其篤實ナルコト、コレ等ニテモ思ヒヤラル。何ゴトモ、スベテ眞心ヲ先トシ、部下ノ人トハ思ハレザリカリ。濱臣、信友ナド歿セラレシ後ハ、内藤廣前ト、部下ニ二人ノ物シリナリト、人々言ヒノゝシレリ。又書家ニテハ、高橋石斎、畫家ニテハ、亀文亀岳ナド、親シク翁ガ家ニ出入セラレケリ。翁隠者ヲ甘ジ、高名ヲイトハレケレバ、元ヨリ諸侯ナドヘ、立入ヲキラハレケリ。只堀内蔵頭ノ先侯ト、奈須家ノミ、尊卑ノケヂメモナキモテナシブリニ、折々ハ参ラレケリ。 |
+辞書類 | 古学,国書,和歌,国史,神人,大事典,名家 |
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資料ID | 40423 |