屋代弘賢
分野分類 CB | 宗教学・神道学 |
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文化財分類 CB | 学術データベース |
資料形式 CB | テキストデータベース |
大分類 | 国学関連人物データベース |
タイトル | 屋代弘賢 |
+ヨミガナ / NAME / 性別 | ヤシロ ヒロカタ / YASHIRO HIROKATA / 男 |
+小見出し | 幕府右筆 |
+別称 | 〔姓〕源 【和】 〔称〕弥太郎・太郎吉・大郎 【和】太郎 【書】 〔名〕詮・虎詮賢・詮丈 【和】詮虎・詮賢 【国2】 〔号〕輪池 【和】 [法号]輪池院大義詮丈居士 【書】 |
+生年月日 | 宝暦8年<1758> 【国2】 |
+没年月日 | 天保12年<1841>閏1月 18日 【国2】 |
+享年 | 84歳 【国2】 |
+生国・住国 | 江戸神田明神下 【国2】 |
+墓地名 | 白山妙清寺 【国2】 |
+学統 | 塙保己一・松岡辰方・冷泉為村・冷泉為泰,山本北山 |
+典拠 | 国伝2,国伝続,国書人名辞典,和学者総覧.10735 |
+解説 | ■履歴 幕府御家人・屋代佳房の子として、神田明神下に生まれる。安永4年(1775)18歳の時父歿し、安永8年(1779)家督相続。天明元年(1781)西丸台所に出仕、同2年(1782)書役、同6年(1786)本丸付書役に採用される。寛政5年(1793)6月5日御祐筆所詰支配勘定格となり、後に表御祐筆勘定格となる。享和元年(1801)には、勤務怠りないことを褒賞され、永代御目見の列に加えられた。 ■学問動向 7歳の時より持明院流幕府書道師範・森尹祥を師として学び、後に持明院宗時に入門、江戸時代を通じての能書家に数えられる。国学を塙保己一・松岡辰方、儒学を山本北山、和歌を冷泉為村・為泰、故実を伊勢貞春に学ぶ。とくに書については、また、当時幕府で持明院流をすすめたのが尹祥であり、それが松平定信の意でもあったことから、弘賢も定信に重用されたという。天明4年(1784)前後からは師塙保己一の『群書類従』編纂に協力した。寛政2年(1790)、幕府儒者として著名な讃岐人柴野栗山のもとで『国鑑』編纂に従事した後、同4年(1792)には栗山に従い京都・奈良に赴き、寺社に残される書画等の旧記調査に参加し文書を写した。また、幕府祐筆となってからは『寛政重修諸家譜』・『藩翰譜続編』・『古今要覧稿』・『干城録』等の編纂に従事した。その門下には、文化3年(1806)13歳より弘賢の書生となった栗原信充らがいる。2万巻の蔵書家で、考証学者の狩谷棭斎や探険家・書誌学者の近藤重蔵らは、弘賢と交友を結び、またその学風の影響を受けたとされ、時代屈指の愛書家・蔵書家大田南畝も帳面交換形式で弘賢から学んだという。国学者の平田篤胤には何かと援助の手を伸べており、篤胤の『赤県度制考』は弘賢委嘱の著作とされている。儒学者成島司直とは交友関係にあったが、説を異にして対立し仲が遠のいた。 |
+特記事項 | ■不忍文庫と『古今要覧稿』 弘賢は、親交の深かった小山田与清と共に近世江戸屈指の蔵書家として知られ、不忍文庫と名づけられた書庫には5万余巻を蔵した。この膨大な蔵書を背景に、弘賢が編集総括・指導的役割を果たし、日本の故事・起源を考証・分類し20部・560巻に及んだ百科事典『古今要覧稿』が成った。これには栗原信充・岩崎常正・桧山坦斎・松岡行義・屋代通賢等が分担執筆している。 ■和歌・歌学・著作 また、和歌・作歌については『万葉集四種考』『和歌入門相見之記』を著し、歌集に『屋代弘賢歌集』がある。この他、『伊勢物語参考』『栴檀瑞像考』『武家名目抄』『高野大師書訣註』『服制沿革考』など著作は極めて多い。 |
+史資料 | 〔古学 下〕 幕府の士人なり。(拾五俵一人扶持、神田明神下に住めり、)やはうものかくことに妙なるきこえありければ、天明二年、書役に召出され、寛政二年、幕府の博士柴野彦助の手附となり、同じき四年、同人に従ひて、京畿に赴き、京師および南都のふるき寺々なる、文書等をうつされけり。此をり、道の幸三巻を著はされたり。同じき五年、御右筆所詰支配勧請格となり、後表御右筆勘定格に挙られ、禄を増して百俵を賜はり、永く御目見なる。文化中、俄羅斯人へ賜はる諭書(その終リヘ、朝廷之一言如此と書せしは、翁の識見なりとぞ)および朝鮮通信の国書も、命を奉むりて書れけりとぞ。和歌は冷泉為村、同為泰の両卿を師とせられ、成島司直と、たまあへる友にて、かたみにしたかしかりけり。されど、南北正閏のことを論じて、議合はず、これよりおのづと遠ざかりき。(成島氏は、京師を去らざるを以て、北朝を正統とし、神器を擁すれども、辺土にまします君は、閏位なりと云りとぞ)また平田篤胤は、殊に此翁の知己にて、かすかなる住居のをりより、何くれと庇蔭せられき。篤胤の赤県度制考は、翁の嘱に応ぜし由しるせり。そのことおもふべし。書は高野大師を慕はれ、又趙子昂の跡をも摸されて、此道に於て、近き世に、二人とはあらじなどさたしけり。もとより書籍を愛で好まれ、文庫三所まで作りて、蔵書五万余巻に及べリ。当時都下にて、蔵書の富るは、翁と小山田与清となり。いづれも、布衣の人にて、かばかり書を集められしは珍らし。翁常に書斎にこもり居られ、冬は火桶をおかず。夏は扇子団扇等を用ひず。齢八十におよびぬれど、朝ごとにかならず、水をあびることを、かゝさゞりしとぞ。 |
+辞書類 | 古学,国書,和歌,国史,神人,神事,大事典,名家 |
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資料ID | 40408 |