木村定良

分野分類 CB宗教学・神道学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
大分類国学関連人物データベース
タイトル木村定良
+ヨミガナ / NAME / 性別キムラ サダヨシ / KIMURA SADAYOSHI / 男
+小見出し幕府御先手与力
+別称〔姓〕藤原 【国2】
〔称〕駿蔵 【国2】
〔字〕駿卿 【国2】
〔号〕橿園 【国2】
+生年月日天明元年<1781> 【書】
+没年月日弘化3年<1846>3月 【国2】
+享年66歳・71歳 【書】
+生国・住国江戸 【国2】
+生国・住国(現在地名)東京都
+学統加藤千蔭 【国2】
+典拠国伝2,国書人名辞典,和学者総覧.3402
+史資料〔古学 中〕橘千蔭に従ひ学び、詠歌に堪能なり。はやう、清原雄風が怜野集のことをめでられ、草野集十二巻を撰ばれけり。人その用心を称せり。
〔類題草野集 序〕吾友橿園のあるじ、歌のさとり深くして、自のよみ出づる言の葉、はた、たへなるが、年頃思ふ所ありて、ちかくこの百年ばかりこなた、古こと学びおこりて、其道になだたる人々の、家の集どもも多く、又、累塵集、萍水集、采藻編などの私撰の、板にさへゑれるも、数あれど、其人々の歌を、ことがきもてわかち、ひろくあつめ、あまねくついでたるはなきを、いかで物して、卯ひまなびのたついきともなさばやとて、つひにかく十二巻の書をば、えらびさだめられたる也けり。すべてことがきの数、八千にちかく、歌の数、よろづに多くあまれり。名づけて草野和歌集といふ。此集の名を、草野としも名づけられたるよしは、やんことなき雲の上人のをば、はばかりてのせず、たゞおのがどちの人々のかぎりをあつめたればなるべし。ごは文化といふ年の、十とせ余り、三とせの春より、おもひおこして、文政とあらたまりたる年の、神無月ばかり、あつめ終へられたるになん有りける。(清水浜臣)
+辞書類古学,国書,和歌,大事典,名家
-40379 国学関連人物データベース 36 1 CKP000039 木村定良 KIMURA SADAYOSHI 木村定良 KIMURA SADAYOSHI , 3402 小伝 国伝 全 35970 2009/05/15 kouju108 2020/10/19 teshina 本登録 0 幕府御先手与力 男 キムラ サダヨシ / KIMURA SADAYOSHI / 男 きむら さだよし,藤原,駿蔵,駿卿,橿園 キムラ サダヨシ 〔姓〕藤原 【国2】 〔称〕駿蔵 【国2】 〔字〕駿卿 【国2】 〔号〕橿園 【国2】 〔姓〕藤原 【国2】
〔称〕駿蔵 【国2】
〔字〕駿卿 【国2】
〔号〕橿園 【国2】 天明元年<1781> 【書】 3月 弘化3年<1846>3月 【国2】 66歳・71歳 【書】 1781 - 1846 武蔵国 武蔵江戸 東京都 東京都 江戸 【国2】 東京都 江戸 【国2】 加藤千蔭 【国2】 加藤千蔭 【国2】 国伝2,国書人名辞典,和学者総覧.3402 〔古学 中〕橘千蔭に従ひ学び、詠歌に堪能なり。はやう、清原雄風が怜野集のことをめでられ、草野集十二巻を撰ばれけり。人その用心を称せり。
〔類題草野集 序〕吾友橿園のあるじ、歌のさとり深くして、自のよみ出づる言の葉、はた、たへなるが、年頃思ふ所ありて、ちかくこの百年ばかりこなた、古こと学びおこりて、其道になだたる人々の、家の集どもも多く、又、累塵集、萍水集、采藻編などの私撰の、板にさへゑれるも、数あれど、其人々の歌を、ことがきもてわかち、ひろくあつめ、あまねくついでたるはなきを、いかで物して、卯ひまなびのたついきともなさばやとて、つひにかく十二巻の書をば、えらびさだめられたる也けり。すべてことがきの数、八千にちかく、歌の数、よろづに多くあまれり。名づけて草野和歌集といふ。此集の名を、草野としも名づけられたるよしは、やんことなき雲の上人のをば、はばかりてのせず、たゞおのがどちの人々のかぎりをあつめたればなるべし。ごは文化といふ年の、十とせ余り、三とせの春より、おもひおこして、文政とあらたまりたる年の、神無月ばかり、あつめ終へられたるになん有りける。(清水浜臣) 古学,国書,和歌,大事典,名家 [古学 中]草野集,橿園和歌集 史資料 天明(1781-1789) 寛政(1789-1801) 享和(1801-1804) 文化(1804-1818) 文政(1818-1830) 天保(1830-1844) 弘化(1844-1848)
資料ID40379

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