横井千秋

分野分類 CB宗教学・神道学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
大分類国学関連人物データベース
タイトル横井千秋
+ヨミガナ / NAME / 性別ヨコイ チアキ / YOKOI CHIAKI / 男
+小見出し尾張藩士
+別称〔姓〕平 【和】
〔称〕金吾・吉平・十郎左衛門・田守 【和】
〔名〕宏時・時広・千麿・長秋 【和】
[法名]大得院勢運同至居士 【書】
〔号〕木綿苑 【和】千秋 【書】
+生年月日元文3年<1738>3月1日 【国1】
+没年月日享和元年<1801>7月27日 【国1】(一説に、7月24日 【和】)
+享年64歳 【国1】
+生国・住国尾張名古屋城内三之丸中小路 【国1】
+墓地名尾張中島郡下祖父江村一弓山永張寺 【国1】
+学統田中道麿・本居宣長 【和】
+典拠国伝1,国書人名辞典,和学者総覧.11230
+史資料〔芸窓襍載〕
寛政四年十二月十九日、到仕して田守と称し、木綿苑と号せられき。これよりさき、伊勢の人、本居宣長の門に入り、専ら国典を研究せられしが、常に公務に従事し、意の如くならざりしかば、折々植松有信を伊勢に遣して、国典の疑点を質さしめしといふ。千秋の学問に、志の厚かりし事は、啻にこれのみならず。かつて国学館を起すべきことの必要を論じ、白眞弓と題する一編をつくりて、藩主に献れしにてもしらる。又巨費を拠ちて、本居宣長翁が著されし古事記伝、古今集遠鏡の類を、書肆永楽屋某に命じて、板刻せしめられき。寛政二年八月十一日、古事記伝五冊、板刻なりしとて、其初摺を伊勢の天照皇大神宮に献り、別に一本を添へて、林崎文庫に収められしとぞ。(士分にて、板木を蔵することの手数なるより、後年に至り、二書の板木、悉く永楽屋某に譲り渡されたりといふ)
+辞書類古学,国書,和歌,国史,神人,本居,大事典,名家
-40362 国学関連人物データベース 36 1 CKP000022 横井千秋 YOKOI CHIAKI 横井千秋 YOKOI CHIAKI , 11230 小伝 国伝 全 35953 2009/05/15 kouju108 2020/10/19 teshina 本登録 0 尾張藩士 男 ヨコイ チアキ / YOKOI CHIAKI / 男 よこい ちあき,平,金吾,吉平,十郎左衛門,田守,宏時,時広,千麿,長秋,木綿苑,千秋,大得院勢運同至居士 ヨコイ チアキ 〔姓〕平 【国1】 〔称〕金吾・吉平・十郎左衛門・田守 【和】 〔名〕宏時 【国1】時広・千麿・長秋 【和】 [幼名]金吾・吉平 【国1】十郎左衛門・田守 【和】 [法名]大得院勢運同至居士 【書】 〔号〕木綿苑 【和】千秋 【書】 〔姓〕平 【和】
〔称〕金吾・吉平・十郎左衛門・田守 【和】
〔名〕宏時・時広・千麿・長秋 【和】
[法名]大得院勢運同至居士 【書】
〔号〕木綿苑 【和】千秋 【書】 43891 元文3年<1738>3月1日 【国1】 7月27日、7月24日 享和元年<1801>7月27日 【国1】(一説に、7月24日 【和】) 64歳 【国1】 1738 - 1801 尾張名古屋城内三之丸中小路 尾張名古屋城内三之丸中小路 【国1】 尾張中島郡下祖父江村一弓山永張寺 【国1】 田中道麿・本居宣長 【和】 田中道麿・本居宣長 【和】 国伝1,国書人名辞典,和学者総覧.11230 〔芸窓襍載〕
寛政四年十二月十九日、到仕して田守と称し、木綿苑と号せられき。これよりさき、伊勢の人、本居宣長の門に入り、専ら国典を研究せられしが、常に公務に従事し、意の如くならざりしかば、折々植松有信を伊勢に遣して、国典の疑点を質さしめしといふ。千秋の学問に、志の厚かりし事は、啻にこれのみならず。かつて国学館を起すべきことの必要を論じ、白眞弓と題する一編をつくりて、藩主に献れしにてもしらる。又巨費を拠ちて、本居宣長翁が著されし古事記伝、古今集遠鏡の類を、書肆永楽屋某に命じて、板刻せしめられき。寛政二年八月十一日、古事記伝五冊、板刻なりしとて、其初摺を伊勢の天照皇大神宮に献り、別に一本を添へて、林崎文庫に収められしとぞ。(士分にて、板木を蔵することの手数なるより、後年に至り、二書の板木、悉く永楽屋某に譲り渡されたりといふ) ・安藤直太朗 「横井千秋の研究―特にその文学的方面について―」(『郷土文化』8-3, 1953)
・横井千秋 「歌と詩のけぢめを言へる書」(『日本歌学大系』第7巻[風間書房,1957]所収)
・市橋鐸 「木綿苑家集」(『名古屋叢書 第15巻』文学編(二) :解説 [名古屋市教育委員会, 1962]所収)
・簗瀬一雄 「横井千秋研究1~3」「横井千秋の資料」「千秋と有信―宣長添削の詠草について―」(『近世和歌研究』 ,加藤中道館 ,1978)
・簗瀬一雄 『横井千秋全歌集』(和泉書院, 1992)
・神作研一 「横井千秋 -その篤学の生涯と和学-」(『国文学 解釈と鑑賞』67-9, 2002.9) 古学,国書,和歌,国史,神人,本居,大事典,名家 〔芸窓襍載〕享和元年七月二十四日、年六十四にて身まかりぬ。やがて中島郡下祖父江村、一弓山永張寺、先墓の側に葬らる。著書若干ありしが、先年、祝融の災に罹りて焼失せしばば、今はただ、天真中詞、玉鉾百首解、八尺勾瓊考、歌詩論の類を存するのみ。千秋、藩士野崎主税謙英の女を娶り、一女を生みしが、早逝せしかば、宗家横井伊折介の二男、熊吉時恭を養ひて子とせらる。 史資料 元文(1736-1741) 寛保(1741-1744) 延享(1744-1748) 寛延(1748-1751) 宝暦(1751-1764) 明和(1764-1772) 安永(1772-1781) 天明(1781-1789) 寛政(1789-1801) 享和(1801-1804)
資料ID40362

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