戸田 茂睡
分野分類 CB | 宗教学・神道学 |
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文化財分類 CB | 学術データベース |
資料形式 CB | テキストデータベース |
大分類 | 国学関連人物データベース |
タイトル | 戸田 茂睡 |
+ヨミガナ / NAME / 性別 | トダ モスイ / TODA MOSUI / 男 |
+小見出し | 岡崎本多家に仕 |
+別称 | 〔姓〕渡辺 【和】 〔称〕八兵衛・茂右衛門 【和】 〔名〕恭光 【国1】馮 【和】 [戒名]馮雲寺殿打山茂睡大居士 【国1】 〔号〕露寒軒・梨本・隠家・不索橋 【国1】遺佚軒・不忘庵・最忍法師・茂妥・老茂・馮雲軒 【和】憑雲寺 【書】 |
+生年月日 | 寛永6年<1629>5月19日 【書】 |
+没年月日 | 宝永3年<1706>4月 14 【国1】 |
+享年 | 78歳 【国1】 |
+生国 | 駿河府中 【和】 |
+住国 | 江戸 【和】 |
+墓地名 | 浅草金龍寺(今ハ墓標ナシ) 【国1】 |
+学統 | 竹内惟庸・清水谷実業・山名玉山 |
+典拠 | 国伝1,国書人名辞典,和学者総覧.6808 |
+史資料 | 〔古学 上〕 或書云(中略)梨本集ノ末ニ、元禄十一戊寅年五月日、露寒軒入道、梨本隠家撰之トアリ。其跋文ニ、此一冊ハ、梨本茂睡ガ作也。庵ノ前ニ、山梨木一本有シユエ、梨本トイフトゾ。乞食ノヤウニイヘドモ、此書ヲ見レバ、非人トモイハレズ。狂人カトイヘドモ、猥ナル行跡ナシ。常ニ筆ヲ友トシテ、煎茶ヲ呑ンデ、ソノ身ノ楽トス。齢七句ニ余レドモ、厳寒ヲフセグ便リナク、薄衣ヲ着シテ、身ノ暖マル事ナシ。然トモ、是ヲウシトモ思ハズ、無学無智ニシテ、道理ニ通ジ、歌学ヲモツトメザレハ、歌ヲモヨムコトナク、此書ノ趣ノ如ク、僻言ヲカナシム。作スル書、オハヅカシ、茂妥ガ独言、僻言シラベナド云アリ。紫ノ一本、若紫、隠家百首、庄九郎物語モ、茂睡ガ作トイフ。 元禄十二巳卯年七月 従五位下源朝臣 〔畸人伝 五〕 歌書におきては、古より近世に及で、甚博識と見ゆ。書ざまは通じやすからんことをおもふゆゑにや、俗言にて、又くさぐしき所もあれど、其見所は、抜群のものなれば、志ある人はもとめて見るべし。 〔梨本集 序〕 何れの此よりか、歌の詞に制といふことを言出し、五点の詞、読むまじき詞、遠慮すべき詞、俊成の、好み読むべからずと宣ひし詞、定家の不庶幾と宣ひし詞、にくしと云詞、いとしからずと云詞、といひて詞に多く関をすゑて、人の越し難きやうに、道を狭くすることは、以ての外の邪道、歌の零廃すべき端かと思へども、歌の道不案内なるに、能き師もなければ、覚束なさに、此冊を思ひ立て、不審をかきしるすものなり。(中略)惣じてのこと、六条家の説をば、二条家よりいひやぶり、二条をば冷泉家よりそしり、其後には為世卿の門弟、為兼卿の門弟、為相卿の門弟と、各家々をたてんとて、他をそしり、我意地のまゝに、利口をたつるより、色々の僻言本出来たり。又は其師匠の物語に、たとへば、ほのべとと云五文字は、人丸の名家の五文字なり。然ば心得てよみ候へなどといはれたるを、その弟子覚書にして置、又は物語したるを、其訳をばしらず、読べからざる五文字と制せられしと云伝て、今はよまぬ事になり極まれり。つゝとまりの事を、法度なりと云は、たとへば、其家の仕置に、酒を呑むべからずと法度に立、物見すべからずとあるに同じ。此法度なければ、酒を過し、遊興にばかり耽りて、作法のあしくなるゆゑなり。然るに正月、又、五節句、祝言珍客にも、酒は家の法度なりとて出さず、正月の万歳、伊勢の太々神楽の太鼓打を見るなと、制する如くに、つゝとめをも云は、僻言と思へども、是非なし。(下略) |
+辞書類 | 古学, 国書, 和歌, 国史, 大事典, 名家 |
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資料ID | 40345 |