佐藤信淵

大分類明治期国学・神道・宗教関係人物データベース
分野分類 CB宗教学・神道学
人名佐藤信淵
+読み仮名 / NAME / 性別さとう のぶひろ / Sato Nobuhiro / 男
+別称〔幼名〕百祐(百祐)[虚像と実像]
〔字〕元海、玄海[虚像と実像]
〔号〕椿園、松庵、融斎、万松斎[虚像と実像]
+生年月日明和6年(1769)6月15日[虚像と実像]
+没年月日嘉永3年(1850)1月6日[虚像と実像]
学統・宗派平田篤胤、吉川源十郎[虚像と実像]
+研究書・伝記福原謙七『日本経済立志編』宋栄堂、1881年。
切山聴松編『実業史談』壷天堂、1887年。
上田万年編『国文学』1、双双館、1890年。
木戸照陽編『東洋立志編―立志起業 付・偉業論』明玉堂、1890年。
北村礼蔵・北村包直編刊『童蒙勅語図解』1891年。
永松乙一『小学少年教育美談』図書出版会社、1891年。
篠田正作『忠孝美談―修身教育』中村芳松、1892年。
農商務省農務局編『大日本農功伝』博文館、1892年。
飯村粋『佐藤信淵翁伝』敬業社、1893年。
松井広吉編『日本百傑伝』11、博文館、1893年。
松本貢『修身宝典―勅語衍義』済美館、1893年。
西村富次郎『日本立志編―偉業亀鑑』弘文館、1894年。
『維新史料 七卿西竄始末(三條実美公記巻之3)』野史台、1896年。
片山熊太郎『農談百夜草』下、東京図書出版、1897年。
西村富次郎『日本偉人伝』弘文館、1897年。
山方旭嶺『小学立志篇』前篇、佐藤祐一、1899年。
足立栗園『近世徳育史伝』開発社、1900年。
岡本純『金言国民訓―一名・大和錦』魁真楼、1900年。
峡山隠士『二宮尊徳・佐藤信淵』富士書店、1900年。
伴成高『忠孝美談』鍾美堂、1900年。
谷口流鶯編『偉人と豪傑少年時代』博報堂、1901年。
谷口流鶯『智と徳』松声堂、1901年。
干河岸貫一『続近世百傑伝』博文館、1901年。
井上哲次郎・有馬祐政共編『武士道叢書』下、博文堂、1905年。
長田偶得編『徳川三百年史』裳書房、1905年。
☆織田完之・玉利喜造編『佐藤信淵家学大要』碑文協会、1906年。
下田次郎編『日本教育家肖像』金港堂、1907年。
佐藤宇一郎『佐藤信淵翁誕生地考』西馬音内報効義会、1908年。
福島住一『織物原料良美実用新書―一名・苧麻栽培録』有隣堂、1908年。
松崎蔵之助『経済危言』読売新聞社、1908年。
秋田県教育会編刊『平田篤胤・佐藤信淵両先生小伝』1909年。
斎藤謙『古賢と報徳』(報徳叢書第2巻)、隆文館、1910年。
内務省編刊『地方行政史料小鑑』1910年。
松本恒吉『農業福引』松本家農場、1910年。
河本亀之助編『英雄物語―良民講和』良民社、1911年。
佐藤啓行編『佐藤信淵先生誕生之地』精華堂、1911年。
谷口政徳編『少年武士道』聚栄堂大川書店、1911年。
吉丸一昌『修身訓話―精神修養』武田交盛館、1911年。
河上肇『経済学研究』博文館、1912年。
土屋元作『新学の先駆―附・蘭学系統図』博文館、1912年。
魚澄総五郎『新文明の源流―日本洋学の発達』赤城正蔵、1914年。
中田公直『佐藤信淵ノ農政学説』(経済学農政学研究叢書3)、カメラ会、1915年。
岡部精一『東京奠都の真相』仁友社、1917年。
冨田文雄『大正の農村青年に告ぐ』求光閣書店、1918年。
滝本誠一『経済一家言』国文堂書店、1920年。
滝本誠一『日本経済史』国文堂、1921年。
竹川竹斎『佐藤信淵元海甫著書之弁』西馬音内報効義会、1921年。
東郷実『植民夜話』植民夜話刊行会、1923年。
大川周明『佐藤信淵の理想国家』社会教育研究所、1924年。
秋田市教育会編『佐藤信淵』石川書店、1925年。
石田伝吉『内外理想郷物語』丙午出版社、1925年。
滝本誠一編『佐藤信淵家学全集』全3冊、岩波書店、1925~27年。
土屋元作著刊『嗚呼南洲先生』1926年。
井箆節三『世界大思想全集』54、春秋社、1927年。
滝本誠一・向井鹿松共編『日本産業資料大系』4、内外商業新報社、1927年。
服部一二『孝の研究』宝文館、1927年。
物集高見編『新註皇学叢書』10、広文庫刊行会、1927年。
清原貞雄『国民精神の史的考察と吾等の覚悟』大阪府督学課、1928年。
幸田成友『読史余録』大岡山書店、1928年。
馬場峰月編『人生の殿堂』帝国講学会、1928年。
桜井学堂『未来科学の進化』日本書院出版部、1929年。
高橋俊乗『日本教育史』教育研究会、1929年。
滝本誠一『日本経済学史』(春秋文庫)、春秋社、1929年。
滝本誠一『日本経済思想史』(社会科学叢書27)、日本評論社、1929年。
滝本誠一編『日本経済大典』18・19、啓明社、1929年。
☆羽仁五郎『佐藤信淵に関する基礎的研究』岩波書店、1929年。
遠藤隆吉編『日本国粋全書』10、日本国粋全書刊行会、1930年。
春秋社編刊『大思想エンサイクロぺヂア』15、1930年。
古賀重利著刊『広瀬淡窓及佐藤信淵に就いて』1931年。
大日本思想全集刊行会編刊『佐藤信淵・三浦梅園集附海保青陵集』(大日本思想全集8)、1931年。
小島憲『重農思想と国家社会主義』明大学会、1932年。
上領三郎『神国日本と佐藤信淵先生』歴史叢書刊行会、1933年。
宇和島市和霊尋常小学校国史研究部編『我が郷土史』其の1、宇和島市和霊尋常小学校、1933年。
大西伍一『日本老農伝』平凡社、1933年。
永井竜一編『明治維新直前に於ける薩藩財政研究資料』山元徳二、1933年。
橋田東声『無限の道』無限の道発行所、1933年。
雄山閣編刊『異説日本史』7・14、1933年。
秋田県図書館協会編刊『秋田郷土叢話―放送の部 研究の部』1934年。
村島渚稿・何鹿郡蚕業同志会編刊『佐藤信淵と綾部』1934年。
小野武夫『佐藤信淵―社会科学の建設者』(人と学説叢書)、三省堂、1934年。
篠田隆治編『近世国学者論文抄』春陽堂、1934年。
『大日本思想全集』8、大日本思想全集刊行会、1934年。
野村兼太郎『日本経済学説史資料―徳川時代』慶応義塾出版局、1935年。
横川四郎編『佐藤信淵集』(近世社会経済学説大系3)、誠文堂新光社、1935年。
近伊左衛門著刊『神道経済観と佐藤信淵』、1936年。
斎藤斐章『高野長英と渡部崋山』建設社、1936年。
社会教育研究所編刊『日本の教育の発展―教育家とその学説』1936年。
中央社会事業協会社会事業研究所編刊『堕胎間引の研究』1936年。
土崎郷土研究会編刊『土崎郷土読本』1936年。
雄山閣編刊『類聚伝記大日本史』6、1936年。
志賀剛編『幕府政治の弛張・諸藩の治』(小学国史教師用書史料詳解26)、政経書院、1937年。
武田勘治編『二宮尊徳・佐藤信淵教育説選集』(日本教育文庫9)、第一出版協会、1937年。
東北振興会編刊『東北産業経済史』3、1937年。
永田広志『日本哲学思想史』三笠書房、1938年。
花岡淳二『佐藤信淵の研究』未来の日本社、1938年。
山口恭右『為替対策論―附排英阿片政策論』錦正社、1938年。
『日本精神文化大系』6、金星堂、1938年。
秋田県教育会編刊『先哲遺珠』1939年。
大川周明『日本精神研究』明治書房、1939年。
乙竹岩造『日本教育史の研究』2、目黒書店、1939年。
小野武夫『佐藤信淵と其の時代』秋田県国民精神文化講習所、1939年。
加田哲二『経済学者の話―西洋経済学者の話・日本経済学者の話』財政経済時報社、1939年。
精神文化学会編『精神文化論集』明善社、1939年。
武田勘治『近世日本先哲の児童教育論』第一出版協会、1939年。
田中惣五郎『大陸の先駆者』興亜文化協会、1939年。
中野八十八『興亜教育の理想と実際』三友社、1939年。
野村兼太郎『徳川時代の経済思想』日本評論社、1939年。
丸山敏雄『天津日を日神と仰ぎ奉る国民的信仰に就いて』土井永市、1939年。
足立栗園『近世日本国防論(上)』三教書院、1940年。
榎薗余年乃輔『新東亜と義情』成人塾、1940年。
小野武夫『国家と農村』地人書館、1940年。
加田哲二『入門経済学』12、ダイヤモンド社、1940年。
黒田謙一講述『経済学史(資料)』沢田書店、1940年。
冨田義雄『日本精神東洋思想原典の研究』モナス、1940年。
仲小路彰『日本精神論』(日本世界主義体系4)、日本問題研究所、1940年。
福田弘『嗚呼雄大なる日本精神』国民防空出版協会、1940年。
山口鹿三『大人物の創造神信仰』ドン・ボスコ社、1940年。
坂本稲太郎『佐藤信淵』 (戦争文化叢書第35輯)、世界創造社、1941年。
図司安正『青少年義勇軍教本』雪国協会、1941年。
鈴木清節編『崋山全集』崋山叢書出版会、1941年。
スメラ民文庫編輯部編『佐藤信淵』世界創造社、1941年。
精神文化学会編『日本精神論叢』明善社、1941年。
高橋三吉『南方共栄圏を語る』講談社、1941年。
塚田正之助『総力戦の性格』十字屋書店、1941年。
土屋喬雄『日本の経済学者』(経済全書10)、日本評論社、1941年。
東海日出雄『英・米亡国宿命の警鐘―鐘が鳴る』東栄堂、1941年。
東方籌『救荒要心集』東方籌先生慰労会、1941年。
☆鴇田恵吉『佐藤信淵』大観堂、1941年。
鴇田恵吉『佐藤信淵先生の事蹟と其の大経論』信淵神社造営奉賛会、1941年。
中島九郎『佐藤信淵の思想』北海出版社、1941年。
日本経済研究会編『南進日本商人』伊藤書店、1941年。
古志太郎『佐藤信淵』(土の偉人叢書)、新潮社、1941年。
松原晃『先覚佐藤信淵』 (日本先覚者叢書第1篇)、多摩書房、1941年。
隣人之友社編『日本百姓道文庫』1(佐藤信淵抄)、大菩薩峠刊行会、1941年。
赤羽豊治郎『経済と統制』大同書院、1942年。
今野賢三『佐藤信淵(増補版)』三光堂書店、1942年。
加田哲二『日本経済学者の話』慶応書房、1942年。
金子勝男編『古書に現れた文献蒐録紙の文献』粋古堂、1942年。
金生喜造『国境論』日新書院、1942年。
黒田謙一『日本植民思想史』弘文堂、1942年。
古志太郎『佐藤信淵思想録』教材社、1942年。
三枝博音編『日本科学古典全書』第9巻第3部(産業技術篇探鉱冶金1)、朝日新聞社、1942年。
佐久間佑生『新しき英雄の風貌』揚子江社出版部、1942年。
佐藤堅司『皇道世界政策論』日本放送出版協会、1942年。
佐藤堅司『日本武学史』大東書館、1942年。
高須芳次郎『皇道を語る』二見書房、1942年。
高須芳次郎『日本近世転換期の偉人』欧文社、1942年。
高須芳次郎『日本精神とその展開』(大東名著選41)、大東出版社、1942年。
高橋秀三郎『蓖麻読本』時代社、1942年。
東海日出雄『英米没落の鐘が鳴る』天泉社、1942年。
東方籌『非常食糧の研究』東洋書館、1942年。
豊沢豊雄『日本発明発見物語』高山書院、1942年。
仲小路彰『世界興癈大戦史』東洋戦史第26巻、戦争文化研究所、1942年。
野村兼太郎『江戸時代の経世家』ダイヤモンド社、1942年。
藤澤親雄『世紀の予言』偕成社、1942年。
松波治郎『人と剣』東水社、1942年。
松原晃『日本国防思想史』天理時報社、1942年。
森銑三『江戸時代の人々』大東出版社、1942年。
森銑三『佐藤信淵―疑問の人物』今日の問題社、1942年。
日本武学研究所編『佐藤信淵武学集』上・中(日本武学大系22・23)、岩波書店、1942~43年。
古志太郎『佐藤信淵思想録』教材社、1942年。
安津素彦編『佐藤信淵集』(国学大系12)、地平社、1943年。
井口木犀編『崋山掃苔録』豊川堂、1943年。
伊与田円止『日本農の建設―日本農学者評伝』文英堂昭和出版社、1943年。
大久保勇市『日本教学者伝記―勤皇先哲』文憲堂、1943年。
小野武夫『佐藤信淵』潮文閣、1943年。
金生喜造『大東亜地政学と青年』(青年文化全集)、潮文閣、1943年。
川越重昌『兵学者佐藤信淵―佐藤信淵の神髄』鶴書房、1943年。
木村毅『人物と青年』(青年文化全集)、潮文閣、1943年。
河野省三『国学史の研究』畝傍書房、1943年。
小林一郎『皇国精神講座』第3輯、平凡社、1943年。
曽根朝起『神社と国民性』図南閣、1943年。
高須芳次郎『近世日本儒学史』越後屋書房、1943年。
竹内尉『海とその先駆者』健文社、1943年。
☆鴇田恵吉『佐藤信淵選集』読書新報社、1943年。
中野八十八『憂国の志士』清水書房、1943年。
仲原善忠『遣唐使その他』春陽堂、1943年。
農村更生協会八ケ岳中央修錬農場編刊『国本』農道編、1943年。
野村兼太郎『探史余瀝』ダイヤモンド社、1943年。
舟越康寿『東南アジア文化圏史』三省堂、1943年。
山田忠一『国防と水産』大沢築地書店、1943年。
和田斉『近世の救荒食糧施策』人文閣、1943年。
鵜沢喜久雄『広域地方行政の常識』九鬼書房、1944年。
梅津勝夫『各国機甲化の展望とその周辺』無何有書房、1944年。
小野武夫編『日本農民史料聚粋』11、巌松堂書店、1944年。
木村昇『芋』大和書房、1944年。
河野省三『神道史の研究』中央公論社、1944年。
古志太郎『佐藤信淵』新潮社、1944年。
関豊太郎『土』誠文堂新光社、1944年。
鴇田恵吉編『佐藤信淵鉱山学集』冨山房、1944年。
中柴末純『生産青年訓』(生産文化叢書)、新正堂、1944年。
中村吉次郎『先覚宮崎安貞』(日本先覚者叢書第2篇)、多摩書房、1944年。
中村直勝『新概観国史』北海出版社、1944年。
本庄栄治郎『日本経済思想史研究』続篇、日本評論社、1947年。
伊豆公夫『日本文化史研究』1、月曜書店、1948年。
加田哲二『経済学者の話』1(日本経済学者)、慶応出版社、1948年。
桜井豊『農業生産力論』(農研叢書第1集)、八雲書店、1948年。
土屋喬雄『日本の経済学者』世界文化社、1948年。
永田広志『永田広志選集』4(日本哲学思想史及民主主義・自由主義・社会主義・共産主義及論文)、白揚社、1948年。
本庄栄治郎『日本経済思想史』(日本経済史叢書)、竜吟社、1948年。
能田忠亮『暦学史論』生活社、1948年。
野村兼大郎『近世日本の経世家』泉文堂、1948年。
加田哲二『日本社会思想史』下、岩崎書店、1949年。
千葉命吉『貧困の解放者佐藤信淵の業績』日本独創学会、1950年。
佐藤信淵大人顕彰会編刊『佐藤信淵大人顕彰会趣意書並要項』1950年。
佐藤信淵大人顕彰会編刊『弥高文庫 佐藤信淵大人著書並関係文献目録』1950年。
阿部龍夫『塩田順庵と海防彙議』無風帯社、1951年。
田制佐重『七十人の映像―先哲のこころ』文徳社、1952年。
津久井竜雄『祖国に生きる』(現代人の教養6)、東南書房、1952年。
今野賢三『偉大なる先駆者佐藤信淵』(信友文庫)、信友社、1953年。
日本近代史研究会編刊『画報近世三百年史』15、1954年。
村岡典嗣著・村岡典嗣著作集刊行会編『日本思想史研究』1(神道史)、創文社、1956年。
三枝博音・清水幾太郎編『日本哲学思想全書』18、平凡社、1957年。
大阪社会事業短期大学編『標準保母講座』8、六月社、1958年。
高橋功『医学雑記』法政大学出版局、1958年。
秋田県警察本部教養課編刊『ふるさとのひと―秋田に生まれた先覚者たち』1959年。
秋田短期大学佐藤信淵研究会編刊『佐藤信淵先生関係図書目録』1959年。
鮎沢信太郎『山村才助』(人物叢書)、吉川弘文館、1959年。
筑波常治『日本農業技術史』(日本技術史薦書)、地人書館、1959年。
秋田経済大学佐藤信淵研究会編刊『信淵研究』1~17、1960~70年。
奈良本辰也『歴史の中の青年群像』創元社、1960年。
三木与吉郎編『阿波藍譜』栽培製造篇、三木産業、1960年。
加田哲二『日本社会経済思想史』慶応通信、1962年。
戸羽山瀚『江川坦庵をめぐる人々』鳴沢屋出版部、1962年。
本庄栄治郎『江戸・明治時代の経済学者』(日本歴史新書)、至文堂、1962年。
『大川周明全集』4、大川周明全集刊行会、1962年。
奈良本辰也『歴史の人々―その青春像』人物往来社、1963年。
読売新聞社秋田支局編『秋田の歴史』三浦書店、1965年。
飯島安雄『亡国への繁栄―佐藤信淵に学ぶ』新読書社、1965年。
小沢英一『近代日本史学史の研究―一九世紀日本啓蒙史学の研究』幕末編、吉川弘文館、1966年。
児玉幸多・北嶋正元編『物語藩史』第2期第5巻(近畿の諸藩)、人物往来社、1966年。
本庄栄治郎『日本経済思想研究』下(大阪経済大学日本経済史研究所叢書)、日本評論社、1966年。
『近代日本の名著』2、徳間書店、1966年。
『現代日本思想大系』1、筑摩書房、1966年。
大塚史学会編『東アジア近代史の研究』お茶の水書房、1967年。
狩野亨二『江戸時代の林業思想』巌南堂書店、1967年。
小島好治編『佐藤信淵自叙伝』三浦書店、1967年。
盛岡市議会史編さん委員会編『盛岡市議会史』1、盛岡市議会事務局、1967年。
『永田広志日本思想史研究』1(日本哲学思想史)、法政大学出版局、1967年。
小島好治編『佐藤信淵研究―瑣論』、1968年(出版社不明)。
渡辺万次郎『鉱山史話』東北編(地下の科学シリーズ)、ラティス、1968年。
滝本誠一校訂『経済要録』(岩波文庫)、岩波書店、1969年。
京都府立総合資料館・村上佑二・伊藤民蔵・京都光明白竜会『幕末に於ける綾部藩の再建と佐藤信淵』(丹波国何鹿郡北桑田郡関係資料合冊)、京都府立総合資料館、1970年。
徳島新聞社編『徳島近代史』1(幕末・維新編)教育出版センター、1970年。
兵頭賢一『佐藤信淵と宇和島藩との関係』(宇和島郷土叢書10)、宇和島市立図書館、1971年。
『森銑三著作集』9(人物篇9)、中央公論社、1971年。
相良亨編『日本の名著』24、中央公論社、1972年。
明治文献資料刊行会編刊『明治前期産業発達史資料』別冊108、1972年。
『幸田成友著作集』5、中央公論社、1972年。
小島好治篇『佐藤信淵研究―続瑣論』、1973年(出版社不明)。
日本史籍協会編『野史台維新史料叢書』2(論策)、東京大学出版会、1973年。
大阪文化振興会編『都市と文化問題』創元社、1975年。
山住正己・中江和恵編注『子育ての書』3(東洋文庫)、平凡社、1976年。
秋田県教育センター編刊『秋田のあゆみ』1977年。
碓井隆二『佐藤信淵―思想の再評価』タイムス、1977年。
☆尾藤正英・島崎隆夫校注『安藤昌益・佐藤信淵』(日本思想大系45)岩波書店、1977年。
松本博『明治維新と阿波の軌跡―新しい地域史像を求めて』教育出版センター、1977年。
平田篤胤全集刊行会編『新修平田篤胤全集』12、名著出版、1977年。
『江戸科学古典叢書』12(硝石製煉法、硝石製造弁、硝石篇)、恒和出版、1978年。
細江省吾編『秋田郷土叢話』東洋書院、1979年。
大矢真一 『日本経済学史の旅―江尸時代の経済学者たち』恆和出版、1980年。
塚谷晃弘『近代日本経済思想史研究』雄山閣、1980年。
文学の村同人編『雄勝風土記』(現代風土記シリーズ1)秋田文化出版社、1980年。
藤原暹『日本生活思想史序説』ぺりかん社、1982年。
三好信浩『日本農業教育成立史の研究』風間書房、1982年。
守屋健輔『『利根川図志』と柳田国男―利根川文化への招待』(ふるさと文庫)、崙書房、1983年。
泉武夫著刊『佐藤信淵―幕藩の動向と改革をめぐる人々』1984年。
弥高神社編刊『佐藤信淵大人関係遺蹟』、1984年。
梅原猛・高橋富雄編『東北文化と日本―もう一つの日本シンポジウム』小学館、1984年。
こどものための郷土史研究会編『秋田の先人たち―郷土の発展につくした人びと』光文書院、1984年。
佐藤徳蔵『秋田県「佐藤一族」の系譜と伝承口碑』秋田文化出版社、1984年。
高瀬重雄『日本海文化の形成』(『高瀬重雄文化史論集』2)名著出版、1984年。
高野邦彦『経済学と財政学に名を残した人々』東明社、1984年。
☆羽仁五郎『佐藤信淵に関する基礎的研究』岩波書店、1984年。
大西伍一『日本老農伝(改訂増補)』農山漁村文化協会、1985年。
近泰知著・十文字地方史研究会編『植田の話―出羽実録』秋田文化出版社、1985年。
中六人部公民館編刊『わが郷土史』、1985年。
『高橋碩一著作集』3、あゆみ出版、1985年。
高橋富雄編『みちのく伝統文化』5、小学館、1986年。
渡辺敏夫『近世日本天文学史』上、恒星社厚生閣、1986年。
犬塚孝明『明治維新対外関係史研究』吉川弘文館、1987年。
大林雄也編『大日本産業事蹟』1(東洋文庫473)、平凡社、1987年。
渋谷鉄五郎『佐藤信淵の大人の二人名跡』弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所、1987年。
菅田正昭『複眼の神道家たち』八幡書店、1987年。
平田篤胤佐藤信淵研究所編『平田篤胤、佐藤信淵両大人関係資料展目録』弥高神社、1988年。
弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所・秋田市立赤れんが郷土館共編『平田篤胤大人展図録―秋田の先人』弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所、1989年。
川越重昌『佐藤信淵の「天火の小球」説―その説と西洋化学史への投影』弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所、1991年。
日本鉱業史料集刊行委員会編『日本鉱業史料集』第14期近世下、白亜書房、1991年。
野口武彦『江戸の兵学思想』中央公論社、1991年。
川越重昌『考証佐藤信淵飢饉の旅路―父信季に従って故郷を後にした信淵に日光、足尾で何があったのか』(弥高叢書5)弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所、1992年。
滝本誠一編『日本経済大典』18・19、鳳文書館、1992年(復刻)。
弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所編刊『平田篤胤大人図集』、1993年。
東金市史編纂委員会編『東金市史』7通史篇下、東金市、1993年。
川越重昌『津山藩江戸屋敷―殺気燃える猛士三十八人の決起』(弥高叢書6)、弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所、1995年。
高倉新一郎著作集編集委員会編『高倉新一郎著作集』2(北海道史2)、北海道出版企画センター、1995年。
川越重昌編『宇和島藩(四国愛媛県)と佐藤信淵―信淵晩年の困窮を助け、且学び信淵歿後に、その学識を日本思想史上へ盤石に位置づけた藩、それが宇和島だった』(弥高叢書7)、弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所、1996年。
佐藤常雄ほか編『日本農書全集』69(学者の農書1)、農山漁村文化協会、1996年。
川越重昌『佐藤信淵と阿波』(徳島市民双書29)、徳島市立図書館、1997年。
川越重昌編『佐藤信淵家学の著述書出版及研究著・論考誌紙文献総目録』(弥高叢書8)、弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所、1998年。
小室正紀『草莽の経済思想―江戸時代における市場・「道」・権利』御茶の水書房、1999年。
稲雄次『佐藤信淵の虚像と実像―佐藤信淵研究序説』岩田書院、2001年。
湯川嘉津美『日本幼稚園成立史の研究』風間書院、2001年。
板坂耀子編『近世紀行文集成』2(九州編)、葦書房、2002年。
塩澤清『弥高神社史』(弥高叢書2)、弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所、2002年。
渡辺綱次郎『近世秋田の学問と文化』生涯学習編、秋田文化出版、2002年。
矢嶋道文『近世日本の「重商主義」思想研究―貿易思想と農政』御茶の水書房、2003年。
鴇田惠吉著・高橋誠一編『佐藤信淵の千葉暮らし―鴇田惠吉論稿集成』高橋誠一、2008年。
見城悌治『近代報徳思想と日本社会』ぺりかん社、2009年。
小泉吉永編・解題『近世育児書集成』18、クレス出版、2011年。
宮地正人『歴史のなかの『夜明け前』―平田国学の幕末維新』吉川弘文館、2015年。
小泉吉永解題『江戸時代庶民文庫―「江戸庶民」の生活を知る』62、大空社出版、2018年。
+研究論文「佐藤信淵翁の詩」『東洋学会雑誌』27、1888年。
松崎蔵之助「日本のカメラリスト」『国家学会雑誌』23・26・28・29、1889年。
武田信賢「平山行蔵・佐藤信淵逸事」『江戸会誌』22、1890年。
武田信実「佐藤信淵名家逸事」『江戸会誌』22、1890年。
「佐藤信淵三たひ一切経を読む」『日本之少年』63、1894年。
「徳川時代の社会主義」『国家学会雑誌』83~91、1894年。
混同農夫「佐藤信淵翁の満州経略策」『日本人』551、1903年。
河上肇「参考 佐藤信淵の防海策」『明義』59、1904年。
戸水寛人「佐藤信淵の世界統一策」『日本人』202、1904年。
玉利喜造「佐藤信淵翁家復興顚末」『農事雑報』95、1906年。
山本美越乃「佐藤信淵ノ農業政策ヲ論ス」『京都法学会雑誌』17~9、1906年。
織田完之「佐藤信淵翁」『人道』39、1908年。
新渡戸稲造「佐藤信淵翁」『中央公論』2312、1908年。
「佐藤信淵を憶ふ」『日本経済新誌』41、1908年。
「平田篤胤と佐藤信淵」『國學院雜誌』1410、1908年。
☆河上肇「幕末の社会主義者佐藤信淵」『京都法学会雑誌』410、1909年〔『河上肇著作集』第1巻収録、筑摩書房、1964年〕。
河野省三「佐藤信淵の敬神思想養成策」『全国神職会々報』130、1909年。
海老名一雄「佐藤信淵の海防策」『歴史地理』185、1911年。
小久保喜七「佐藤信淵先生の対外策」『海外之日本』18、1911年。
柴田政太郎「佐藤信淵の誕生地に就て」『日本及日本人』551、1911年。
土屋元作「佐藤信淵新学の大彗星」『新学の先駆』博文館、1912年。
原田弥助「佐藤の二先生」『日本及日本人』665、1915年。
今村孝三「佐藤信淵の教育説」『教育学術界』373、1918年。
渡辺渡「佐藤信淵の山相学に就て」『東亜之光』134・5・7、1918年。
「佐藤信淵翁の遺稿田畯年中行事(上)」『日本農業雑誌』141、1918年。
安藤和風「佐藤信淵とローマ字」『正教時報』910、1920年。
菅菊太郞「農界偉人佐藤信淵翁と其シベリヤ経営策」『農業世界』161、1921年。
幸田成友「幕府と佐藤信淵」『中央史壇』45、1922年。
大川周明「佐藤信淵の理想国家」『東方時論』86、1923年。
半田芳男「佐藤信淵の漁村振興策」『水産』129~11、1924年。
内田繁隆「佐藤信淵の政治学説」『早稲田政治経済学雑誌』1、1925年。
滝本誠一「佐藤信淵の国家専売法」『三田学会雑誌』195、1925年。
土屋元作「佐藤信淵の蘭学大道編」『典籍之研究』3、1925年。
口田康信「佐藤信淵氏富国策に就て」『日本経済史研究』(社会科学第2巻第7号)改造社、1926年。
坂井申生「佐藤信淵の開墾地農場経営法」『帝国農会報』1712、1927年。
田制佐重「佐藤信淵夙に幼稚園託児所の設立を説く」『先哲余影教育夜話』文教書院、1927年。
「佐藤信淵の混同秘策」『解報群書』16、1927年。
木村精二「信淵の竹入図式」『耕地』21、1928年。
橋田丑吾「佐藤信淵の重農学説」『斯民』235、1928年。
波多野鼎「佐藤信淵の富国論」『法律春秋』34、1928年。
板井申生「佐藤信淵の東京湾埋立干拓計画」『帝国農会報』1910、1929年。
春山作樹「佐藤信淵の教育観」『教育思潮研究』32、1929年。
本田忠雄「佐藤信淵の商業管理論」『商工経済研究』42、1929年。
石浜知行「佐藤信淵研究の基礎的再考察」『思想』93、1930年。
大森金五郎「佐藤信淵翁の江戸湾経営説の一節」『歴史地理』553、1930年。
小島憲「佐藤信淵の国家社会主義思想」『政経論叢』54、1930年。
山村俊二「百年前に現れた佐藤信淵の統制経済策―垂統秘録の概略」『月刊時事講座』11、1932年。
生田清「佐藤信淵の世界観」『神道』9、1933年。
川副佳一郞「ローマ字論者としての佐藤信淵翁」『国語教育』188、1933年。
長谷川久一 「佐藤信淵の学説」『港湾』 111、1933年。
赤堀又次郎「佐藤信淵の事に就て」『日本及日本人』302、1934年。
安津素彦「国学者信淵―信淵学の基礎論」『日本学研究』211、1934年。
高岡熊雄「佐藤信淵」『日本精神講座』12、新潮社、1934年。
花岡淳二「佐藤信淵の地方行政論」『地方行政』4210、1934年。
羽倉敬尚「偉大なる佐藤信淵先生の富国強兵策に就て」『掃苔』31、1934年。
羽倉敬尚「佐藤信淵大人の兵学に就いて」『東洋文化』118~119、1934年。
松原晃「農政学者佐藤信淵論」『文化農報』154~164・166・168・169、1934・35年。
森銑三「疑問の人佐藤信淵」『日本及日本人』300、1934年。
森銑三「佐藤信淵伝の研究」『奉公誌』374~387、1934~35年。
渡辺刀水「佐藤信淵の旧居」『埼玉史談』53、1934年。
『歴史講座』39(佐藤信淵特輯号)、1934年。
靑木治朗「佐藤信淵論」『北辰会雑誌』133、1935年。
高倉新一郎「佐藤信淵と蝦夷地開拓」『社会経済史学』54、1935年。
森友政勝「佐藤信淵と致富小記」『現代農業』112、1935年。
乙竹岩造「斎藤信淵の教育思想」『教育学研究』57、1936年。
菅菊太郎「佐藤信淵と旧宇和島藩の農業」『経済史研究』154、1936年。
井野辺茂雄「佐藤信淵の在華挫狄論」『国史学』33、1937年。
桑原晋「佐藤信淵とアダム・スミス―その富国論について」『彦根高商論叢』22、1937年。
椙山一夫「佐藤信淵の統制経済」『歴史』4、1937年。
玉林晴朗「佐藤信淵の流行」『伝記』411、1937年。
土屋喬雄「佐藤信淵の垂統法に就いて」『理想』70、1937年。
野村兼太郎「幕末における代表的経済論者佐藤信淵」『三田学雑誌』318、1937年。
鴇田恵吉「佐藤信淵の社会救済論」『社会事業』215~8、1937年。
森銑三「佐藤信淵の盗癖」『伝記』410、1937年。
横山敏男「佐藤信淵伝」『科学ペン』29、1937年。
有馬成甫「佐藤信淵自筆阿蘭陀人献上大砲並台車図に就て」『軍事史研究』31、1938年。
伊豆公夫「佐藤信淵「経済学」の素描的分析」『唯物論研究』65、1938年。
小野寿人「佐藤信淵の認識と理論―とくにその経済論について」『歴史公論』78、82、1938~39年。
菊田貞雄「佐藤信淵とその歴史的背景」『明治学院高商論叢』9、1938年。
佐藤武「先覚者佐藤信淵」『歴史公論』72、1938年。
田辺元生「佐藤信淵の東亜政策論と社会革新論」『歴史公論』77、1938年。
柳父徳太郎「佐藤信淵に於ける文化過程―その社会的経済的論策」『大連高商論叢』1、1938年。
石川興二「日本共同体経済学の建設者佐藤信淵」『経済論叢』482、1939年。
乙竹岩造「佐藤信淵の教育思想」『日本教育史の研究』2、目黒書店、1939年。
小野武夫「二宮尊徳翁より見たる佐藤信淵翁の思想」『斯民』3410・11、1939年。
小野襄「先覚者佐藤信淵を語る」『秋田教育』242、1939年。
川越重昌「国史教材として信淵を如何に取入れるか」『秋田教育』242、1939年。
川越重昌「佐藤信淵の指導開墾地千葉県久保田踏査記」『秋田教育』242、1939年。
川越重昌「千葉県の内湾に沿って佐藤信淵の遺跡を尋ねる(1)~(4)」『千葉文化』18、22・3・6、1939~41年。
菊田貞雄「佐藤信淵に於ける人口問題」『人口問題』32、1939年。
黒田謙一「佐藤信淵の経済思想史的考察」『同志社論叢』66、1939年。
河野省三「佐藤信淵の思想」『秋田教育』242、1939年。
河野省三「佐藤信淵論」『国語と国文学』1610、1939年。
佐藤賢治「佐藤信淵の兵学観」『秋田教育』242、1939年。
高橋東山「佐藤信淵の経済問答序」『伝記』67、1939年。
高橋東山「佐藤信淵の剽窃学說と世評瞥見」『社会事業』235、1939年。
橘良之助「憂国の人佐藤信淵」『秋田教育』242、1939年。
鴇田恵吉「佐藤信淵の鹿手袋に於ける生活」『埼玉史談』105~112、1939年。
鴇田恵吉「別後日記に現われた佐藤信淵の半面」『千葉文化』16・7、1939年。
橋本俊蔵「房総と信淵先生」『房総展望』310、1939年。
林天然「房総に於ける佐藤信淵の遺蹟」『千葉文化』14、1939年。
藤田篤麿「イデオロギストとしての佐藤信淵の位置」『歴史公論』83、1939年。
谷野巖「佐藤信淵に職業指導を見る」『職業指導』1212、1939年。
「調度広郷の財政改革と佐藤信渕の薩藩経緯記(下)」『鹿児島史林』2、1939年((上)は『鹿児島史林』1に掲載と思われるがデータ不明、要調査)。
鴇田恵吉「興亜の先覚佐藤信淵」『大日』215、1940年。
赤羽豊治郎「佐藤信淵の統制経済論」『法商研究』12、1941年。
片山房吉「日本水功伝(6)」『水産界』706、1941年。
川越重昌「佐藤信淵の遺跡を尋ねる(5)」『千葉文化』32、1941年。
坂本稲太郎「佐藤信淵の教化論(1・2)」『国民精神文化』72・5、1941年。
佐藤堅司「鴇田氏の近業『佐藤信淵』を読む」『軍事史研究』65、1941年。
篠崎四郎「農学先覚者の遺跡探訪 佐藤信淵の隠家」『旅』182、1941年。
鴇田惠吉「佐藤信淵に就いて」『政界往来』127、1941年。
渡辺刀水「鴇田恵吉著『佐藤信淵』を読みて」『埼玉史談』125、1941年。
「超音波と佐藤信淵著「培養秘録」」『医譚』11、1941年。
梅津勝夫「佐藤信淵と戦車」『科学朝日』23、1942年。
太田保一郎「佐藤信淵先生の宇内混同論と東京遷都」『佐賀郷友』161・162、1942年。
小野武夫「民族農政学と佐藤信淵」『日本学研究』211、1942年。
木村俊夫「佐藤信淵の神命地政学―「混同秘策」の真面目」『文化日本』63、1942年。
三枝博音「科学者としての佐藤信淵」『日本学研究』211、1942年。
三枝博音「「坑場法律」解説」『日本科学古典全書』9、朝日新聞社、1942年。
佐藤堅司「佐藤信淵の武学」『日本学研究』211、1942年。
田辺元生「「佐藤信淵の経済思想」研究史」『経済史研究』276、1942年。
田辺元生「佐藤信淵の国防思想」『歴史地理』803、1942年。
鴇田恵吉「佐藤信淵の宇内混同秘策に就て」『日本学研究』27、1942年。
鴇田恵吉「佐藤家の家学と信淵」『日本学研究』211、1942年。
鴇田惠吉「佐藤信淵の興亞の構想」『公論』29、1942年。
鴇田惠吉「佐藤信淵の人物と事蹟」『大日』274、1942年。
中島九郞「科学者・佐藤信淵」『科学人』7、1942年。
三橋時雄「佐藤信淵の北方経営論」『経済史研究』281、1942年。
横山健堂「佐藤信淵の人物研究」『日本学研究』211、1942年。
大平善梧「佐藤信淵の広域思想」『外交時報』1073、1943年。
小野武夫「先覚農学者の頌徳―宗案と信淵」『社会経済史学』135、1943年。
川上健三「佐藤信淵(2)」『興亜教育』24、1943年。
桑原晋「佐藤信淵とアダム・スミス―その富国論について」『彦根高商論叢』22、1943年。
坂本稻太郞「佐藤信淵(1)」『興亜教育』24、1943年。
佐藤堅司「佐藤信淵の宇內混同策」勤労者教育中央会編『皇国世界史』(新国民文化叢書16)目黒書店、1943年。
佐藤堅司「佐藤信淵の農戦論」東湖会事務所編『日本公論 昭和18年9月号~昭和19年2月号 戦う教育の高唱』(5冊合本、昭和19年1月号欠号、茨城県立図書館蔵)、1943~44年。
鴇田恵吉「佐藤信淵の家系と累代の墳墓(上・下)」『掃苔』1211・12、1943年。
小野武夫「二宮尊德翁より見たる佐藤信淵翁の思想」報徳経済学研究会編『報徳経済学研究』第1輯、理想社、1944年。
早川孝太郎「佐藤信淵の種樹秘要」『伝記』111・2、1944年。
本庄栄治郎「佐藤信淵の「巡察記」について」『経済学雑誌』143、1944年。
松田令輔「人口疎開と佐藤信淵」『財政『91、1944年。
森銑三「佐藤信淵」『国民の歴史』24、1948年。
岩垂至「佐藤信淵の『致富小記』」『企業会計』112、1949年。
小関金吾「佐藤信淵の学績に就いて―巡察記発行に因んで」『伊加留加』2、1950年。
今野賢三「佐藤信淵(人と事業)」『農業日本』66、1951年。
佐藤与助「佐藤信淵と石炭の記録」『常磐技報』312、63・4、1951・53年。
村島渚「佐藤信淵勧化の日掛貯金」『綾部史談』24、1952年。
狩野亨二「佐藤信淵の林業経営論に就いて(1)(2)」『林業経済』610・11、1953年。
洞富雄「佐藤信淵の狡詐」『日本歴史』605、1953年。
☆前田一良「佐藤信淵思想小論(上)(下)」『立命館文学』106・111、1954年。
小崎英達「佐藤信淵の中央集権的国家論について」『九州史学』2、1956年。
碓井隆次「佐藤信淵の社会福祉思想・幼児保護思想(上)(下)」『社会問題研究』63・64、1956・57年。
島崎隆夫「幕末における土地開拓策―佐藤信淵の内洋経緯の雄図を中心として」高村象平ら編『封建制と資本制―野村博士還暦記念論文集』有斐閣、1956年。
伊藤勲・鎮西恒也「佐藤信淵の国家観」『法学新報』657、1958年。
石井孝「佐藤信淵学説実践の意図―国益主法掛設置の思想的背景」『歴史学研究』222、1958年。
「佐藤信淵先生を憶う」『報徳』575、1958年。
秋山健二郎「特攻艇生みの親・佐藤信淵―全世界征服の野望は信淵の着想を手懸りにして進められた!」『特集人物往来』47、1959年。
岸本芳雄「神道と幼児教育に関する思想の流れ―山鹿素行と佐藤信淵」『國學院雜誌』607、1959年。
日下幸雄「佐藤信淵の社会改革論」『上智史学』41、1959年。
佐藤堅司「佐藤信淵の検見川中心丁字干拓案」『日本歴史』1315、1959年。
島崎隆夫「日本経済思想の研究史―徳川時代経済思想を中心として」慶応義塾大学経済会編刊『日本における経済学の百年』上、1959年。
荒川秀俊「佐藤信淵考案の自走火船」『日本航空学会誌』11118、1963年。
川越重昌「佐藤信淵と日光の社家」『大日光』21、1963年。
中泉哲俊「佐藤信淵の学校論」『弘前大学人文社会』28、1963年。
鴇田恵吉「佐藤信淵と南部藩(1・2)」『奥羽史談』37・38、1963年。
青野春水「幕末宇和島藩の藩政改革に関する一考察―特に佐藤信淵及び若松常齢の経済思想を通して(上)(中)(下)」『伊予史談』175/176~178、1965年。
川越重昌「佐藤信淵の天文説(天柱記及び鎔造化育論) を支えている和蘭天文書について」『蘭学資料研究会研究報告』168、1965年。
川越重昌「天柱記・鎔造化育論の著述過程と信淵の天文学説の成立について」『信淵研究』8、1966年。
山路愛山「佐藤信淵翁伝を読む」『国民之友』208~209、明治文献、1966~68年(復刻)。
渡辺与五郎「佐藤信淵研究文献目録」『亜細亜大学経済学紀要』2、1967年。
石原正令「人口思想家としての佐藤信淵」『函館大学論究』3、1968年。
碓井隆次「佐藤信淵の乳児人工栄養説」『医学史研究』30、1968年。
碓井隆次「佐藤信淵の鉱山学、その人事管理論」『社会問題研究』211・2、1971年。
後藤広子「佐藤信淵における近代国家への指向」『日本大学精神文化研究所・教育制度研究所紀要』5、1971年。
塚谷晃弘「佐藤信淵の思想史的考察・序論」『国学院経済学』204、1972年。
戸沢行夫「開物思想の啓蒙性について―佐藤信淵の「家学」を中心に」『哲学』59、1972年。
大矢真一「佐藤信淵(にしひがし科学史散歩24)」『自然』2812、1973年。
渡辺与五郎「佐藤信淵の基礎的研究」『駒沢大学大学院商学研究』4、1973年。
井門寛「明治以降の佐藤信淵研究」『歴史研究』158、1974年。
塚谷晃弘「佐藤信淵の経済思想と「管子」―「復古法」を中心に」『國學院大學紀要』12、1974年。
岸本芳雄「佐藤信淵の教育思想―特にその社会教化論と幼児保育論について」『神道宗教』75~79(合)、1975年。
川越重昌「佐藤信渕の三浦半島会津藩営中への滞在はどんな意味をもっていたか」『出羽路』58、1976年。
山野光雄「続灯をかかげた人びと8 総合社会福祉事業の発想―佐藤信淵」『健康保険』302、1976年。
子安宣邦「佐藤信淵と国学的宇宙論」『日本思想大系月報』59、1977年。
平田厚志「近世後期の支配イデオロギー―佐藤信淵の場合」『龍谷史壇』72、1977年。
小室正紀「(研究ノート)化政・天保期における一経世論の農村的起源―佐藤信淵の場合」『三田学会雑誌』714、1978年。
井上隆明「早咲きの地方主義者―佐藤信淵」『日本及日本人』1554、1979年。
竹内宏「日本的経営論の始祖・佐藤信淵」『諸君』1210、1980年。
布施啓一「佐藤信淵経済論の一考察」『立命館文学』415~417、1980年。
加賀谷文治郎「佐藤信淵の書簡―佐藤家三代の鉱山学と秋田鉱山専門学校」『鉱業博物館』13、1981年。
菊岡倶也「建設の歴史散歩 東京湾埋立干拓計画を提案した佐藤信淵」『建設業界』308、1981年。
島崎隆夫「近世思想家の理想社会・国家像―昌益と信淵」『三田評論』823、1982年。
図師幸憲「佐藤信淵のみた日向諸藩」『宮崎県地方史研究紀要』8、1982年。
矢嶋道文「佐藤信淵の重商主義思想(1)(2)」『関東学院女子短期大学短大論叢』67・68、1982年。
太田素子「佐藤信淵の保育制度構想について」『日本保育学会大会研究論文集』36、1983年。
川越重昌「随想 信淵大人と老人問題」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』1、1984年。
杉浦明平「佐藤信淵の足跡」『人物探訪日本の歴史』20、暁教育図書、1984年。
宗田一 「佐藤信淵『硝石製造弁』の異本」『科学医学資料研究』122、1984年。
塚谷晃弘「佐藤信淵の経済思想と管子―「復古法」を中心に」『國學院大學紀要』12、1984年。
内田龍哉「佐藤信淵と内洋開発」『習志野市史研究』1、1985年。
梅原三郎「<綾部の歴史>綾部藩と佐藤信淵」『Nitto technical report』35、1987年。
戸羽山瀚「佐藤信淵と担庵」『伊豆史談』116、1987年。
(著者不明)「佐藤信淵の隠れ家」浦和市郷土文化会編刊『うらわ文化論集―浦和市郷土文化会発会30周年記念』、1987年。
桐原善雄「佐藤信淵大人追贈余談」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』2、1988年。
齋藤壽胤「平田篤胤と佐藤信淵の学問と事蹟」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』2、1988年。
渋谷鉄五郎「佐藤武右衛門家相伝の佐藤信淵大人に関わる資料」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』3、1988年。
原田弘「杉並の名墓(15)幕末の農政学者―佐藤信淵の墓」『杉並郷土史会会報』89、1988年。
青沼和夫「山武林業地の複層林成立とその背景(1)山武林業と佐藤信淵」『森林と肥培』140、1989年。
大淵利男「佐藤信淵の「経済論」について」『政経研究』(日本大学法学会)262、19
89年。
川越重昌「佐藤信淵の著書は現在何処に蔵されているだろうか」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』4、1989年。
伊藤きよ子「九十九里浜の佐藤信淵(1)―房総九十九里の漁村と信淵」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』5、1990年。
中村城「九十九里浜の佐藤信淵(2)―綱元・粟生村総兵衛と信淵」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』5、1990年。
中村美家子談「九十九里浜の佐藤信淵(3)―綱元・不動堂村の角兵衛の跡」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』5、1990年。
上田太郎「佐藤信淵と中山真際―ある町奉行与力の覚醒」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』5、1990年。
斎藤寿胤「「草木撰種録」をめぐって―佐藤信淵と宮負定雄の草木雌雄説」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』5、1990年。
渋谷鉄五郎「佐藤家霊位の追善供養について」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』5、1990年。
平沢四子男「佐藤信淵の実蹟」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』5、1990年。
佐々木潤之介「他からの目と内の芽と―古河古松軒・菅江真澄と長崎七左衛門・佐藤信淵」北海道・東北史学会編『北からの日本史(2)弘前シンポジウム』三省堂、1990年。
舟橋三雄「佐藤信淵の国家論における一考察」『鳥羽商船高等専門学校紀要』12、1990年。
渡部綱次郎「佐藤信淵の秋田藩改革論―『別後日記』を通して」『研究報告』(秋田県立博物館)15、1990年。
犬塚孝明「明治維新対外関係史研究―幕末維新期海外渡航者の対外観並に近代政治意識の形勢に関する政治史的研究」博士論文、1991年。
原武史「復古神道における〈出雲〉(下)―思想史の一つの試みとして」『思想』810、1991年。
堀野一男「「提防溝洫志」に示された治水思想の特徴と河川環境論的位置づけ」『土木史研究』11、1991年。
矢嶋道文「佐藤信淵の「重商主義」思想再考―「経世済民」論から「神道」・「軍学」論への展開」西川純子・高浦忠彦編『近代化の国際比較―経済史的接近』世界書院、1991年。
斎藤寿胤「佐藤信淵の神道観・序論―信淵の神道観萌芽の考察」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』6、1992年。
酒井要「房総九十九里浜の佐藤信淵(4)―綱元・北高根村の市郎左衛門と信淵」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』6、1992年。
中村治郎「房総九十九里浜の佐藤信淵(5)―綱元・屋形村の惣兵衛について」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』6、1992年。
柳栄「房総九十九里浜の佐藤信淵(6)―銚子の柳仁平治の跡」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』6、1992年。
木島よし子「房総九十九里浜の佐藤信淵(7)―九十九里の綱元たち」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』6、1992年。
松本秋次「平田・佐藤両大人頌徳歌について―作歌・作曲者及び楽曲の考察」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』6、1992年。
宮崎道生「平田篤胤と佐藤信渕(上)(下)」『國學院雜誌』934・5、1992年。
『秋田教育』242、日本図書センター、1992年(復刻)。
折原裕「江尸期における重商主義論の展開―佐藤信淵と横井小楠」『敬愛大学研究論集』44、1993年。
宮崎道生「新井白石と佐藤信淵(上)(下)」『國學院雜誌』955・6、1994年。
板坂耀子「旅日記にみる福岡」朝日新聞福岡本部編『江戸の博多と町方衆』葦書房、1995年。
大須賀久人「国学者に於ける死生観と近世天文学との関係」谷省吾先生退職記念神道学論文集編集委員会編『神道学論文集―谷省吾先生退職記念』国書刊行会、1995年。
桂島宣弘「幕末国学の転回と佐藤信淵の思想―『天柱記』と『鎔造化育論』を中心に」衣笠安喜編『近世思想史研究の現在』思文閣出版、1995年。
川上征雄「佐藤信淵の国土計画思想に関する研究」『都市計画論文集』30、1995年。
見城悌治「明治における佐藤信淵像と尊徳門人」衣笠安喜編『近世思想史研究の現在』思文閣出版、1995年。
板坂耀子「佐藤信淵の九州紀行」『雅俗』3、1996年。
稲雄次「佐藤信淵の政治経済思想」『秋田法学』29、1997年〔学術文献刊行会編『日本史学年次別論文集』近世2―1997年再録、朋文出版、1999年〕。
稲雄次「佐藤信淵年譜(1)」『秋田法学』30、1997年。
川上征雄「佐藤信淵の考えた国土政策」『人と国土』231、1997年。
稲雄次「佐藤信淵の実学とは何か(上)(中)(下)」『秋田法学』31~33、1998~99年。
桑原恵「幕末国学における「産霊」の思想」大阪大学文学部日本史研究室編『近世近代の地域と権力』(大阪大学文学部日本史研究室創立50周年記念論文集下巻)清文堂出版、1998年。
石山洋「実学書の夜明け7 佐藤信淵『経済要録』」『日本古書通信』647、1999年。
稲雄次「佐藤信淵家学年譜」『秋田法学』33、1999年。
子安宣邦「佐藤信淵とは誰か―自己確信者と歴史のエコー」『江戸の思想』10、1999年。
☆稲雄次「佐藤信淵の虚像と実像」『秋田法学』36、2000年。
斎藤尚志「佐藤信淵の思想―「産霊」の原理と「術」の模索を中心として」『千里山文学論集』63、2000年。
矢嶋道文「佐藤信淵の農政思想―経世観と農業技術・経営論」『関東学院女子短期大学短大論叢』105、2000年。
稲雄次「資料 佐藤信淵研究文献目録」『秋田論叢』17、2001年。
稲雄次「資料 佐藤信淵『巡察記』」『秋田法学』37、2001年。
周禅鴻「佐藤信淵と黄宗義の学校論についての一考察」『研究室紀要』(東京大学)27 、2001年。
松浦玲「還暦以後(26)佐藤信淵―豪商の日記に見る大思想家の末路」『一冊の本』68、2001年。
斎藤尚志「佐藤信淵における〈知〉の創造」『千里山文学論集』68、2002年。
羽賀祥二「膨張する皇国・開化する皇国」小森陽一ほか編『近代世界の形成』(岩波講座近代日本の文化史1)岩波書店、2002年。
井上説史「国学におけるダイナミズム―佐藤信淵「天柱記」を中心に」『年報日本思想史』2、2003年。
稲雄次「佐藤信淵の世界」『紀要』(秋田経済法科大学法学部法律政治研究所)20、2004年。
黒須憲・竹田隆一「佐藤信淵の兵法―兵法・家言」『武道学研究』37、2004年。
齊藤壽胤「佐藤信淵の「産霊」観」『神道宗教』198、2005年。
藤原暹「国学思想上の「身体」―篤胤、信淵、藤村そして泡鳴」『日本学研究』3、2005年。
前田勉「国学者の西洋認識」『國學院雜誌』10711、2006年。
宮地正人「佐藤信淵と房総」『千葉史学』51、2007年。
藤原暹「「五箇条の御誓文」の思想史的意義―「語彙」を中心に」『神園』1、2008年。
奥田尚「嶺田楓江『海外新話』の解題にかえて―上海とアヘン戦争」追手門学院大学アジア学科編『上海アラカルト』(和泉選書167)和泉書院、2009年。
阿部弘生「近世後期の武芸観に関する研究―佐藤信淵・山鹿素水を中心に」『國學院大學紀要』48、2010年〔学術文献刊行会編『日本史学年次別論文集』近世2―2010年再録、朋文出版、2013年〕。
田中優子「「日本」と「国益」―その複数の意味」『国際日本学』8、2010年。
矢嶋道文「宮崎安貞『農業全書』と「薬種」栽培法の意義―国民生活の視点からみた輸入漢方(長崎貿易)と在来薬種との関連」『関東学院大学文学部紀要』120・121下。2010年。
稲雄次「佐藤信淵『垂統秘録』について」『北方風土』65、2012年。
向谷地博信「学生諸君に佐藤信淵を平易に紹介する 江戸期の佐藤信淵先生に学ぶ父子ツーリズム」『ノースアジア大学国際観光研究』5、2012年。
稲雄次「佐藤信淵(上)(下)」『北方風土』65・66、2013年。
上田晴彦「『天柱記』における地動説に関する考察及び太陽図に関する調査研究について」『秋田大学教育文化学部研究紀要』自然科学68、2013年。
小野将「佐藤信淵と神道方吉川家―幕府寺社奉行所「公事吟味留」所収一件史料の再検討」東京大学大学院人文社会系研究科・文学部日本史学研究室編刊『近世社会史論叢―吉田伸之先生退職記念』2013年。
Alain Rocher「Mythe et ideologie identitaire au Japon」法政大学国際日本学研究所編『日本のアイデンティティを〈象徴〉するもの―2011年アルザス・シンポジウム報告』法政大学国際日本学研究センター、2013年。
仲尾宏「歴史に刻む日本とコリア(10)朝鮮蔑視観念のはじまり(その2)佐藤信淵」『Sai(사이)』73、2015年。
野村英登「玉利喜造の霊気説からみる自然と身体」『「エコ・フィロソフィ』研究」9、2015年。
藤田博子「佐藤信淵の保育施設構想への着眼と展開」『大阪芸術大学短期大学部紀要』39、2015年。
鴇田恵吉「佐藤家学の完成の地大豆谷」『千葉県図書館情報』63(刊行年不明)。
兵頭賢一 「佐藤信淵と宇和島との関係」『伊予史談』51・52(刊行年不明)。
柴田武雄「佐藤信淵のこと」『東金文化』410(刊行年不明) 。
鴇田恵吉「筆田耕余録」『千葉教育』531(刊行年不明)。
本田忠雄「佐藤信淵の商業管理論」『商工経済研究』42(刊行年不明)。
+事典・略伝等織田完之「佐藤信淵伝」『農業雑誌』184、1883年。
「故佐藤信淵翁肖像及小伝」『日本之殖産』4、1888年。
鈴木省三「佐藤信淵伝」『奥羽史料』11、1889年。
醉霞居士「古今農事有功大家小伝(佐藤信淵先生伝)」『農業雑誌』1629、1891年。
百足登「佐藤信淵の伝」『文華』2、1893年。
「佐藤信淵翁伝」『早稲田文学(第1次第1期)』50、1893年。
『佐藤信淵翁関係図書目録』西馬音内報効義会信淵文庫、1900年。
津田啓次郞「佐藤信淵」『青年世界』93、1902年。
「佐藤信淵の経済要録海外の雑誌に紹介せらる」『国家学会雑誌』17198、1903年。
河上肇「佐藤信淵先生を憶ふ」『明義』53、1904年。
橘枝直「佐藤信淵」安永三四郎編『花紅柳緑』東京書院、1905年。
瀬谷純一著刊『勤王家及功労者列伝』1920年。
修養団講習会秋田県協賛会編刊『秋田県概況』1921年。
鯨岡逸朗編『平田篤胤先生著書佐藤信淵先生著書根本通明先生遺著目録―県立秋田図書館蔵』秋田県立秋田図書館、1930年。
「佐藤信淵展墓会の状況」『掃苔』212、1933年。
羽倉信一郎編刊『佐藤信淵大人年譜―昭和八年十一月廿六日東京市杉並区松応寺展墓会記念』1933年。
信淵会「佐藤信淵著述書目並解題」『歴史公論』39、1934年。
佐々木皎堂「第二回佐藤信淵大人展墓祭概況」『掃苔』41、1935年。
佐々木庄蔵「第三回佐藤信淵先生の展墓会概況」『掃苔』54、1936年。
佐藤昇庵『佐藤信淵略伝』出版社不明、1940年。
佐藤信淵大人顕彰会編刊『弥高文庫佐藤信淵大人著書並関係文献』1950年。
藤村作編『日本文学大辞典』新潮社、1950~52年(増補改訂)。
秋田短期大学佐藤信淵研究会編刊『佐藤信淵先生関係図書目録』1959年。
渡辺与五郎「佐藤信淵研究文献目録」『亜細亜大学経済学紀要』2、1967年。
『秋田人名大事典』秋田魁新報社、1974年。
関根只誠編『名人忌辰録』ゆまに書房、1977年(復刻)。
奈良本辰也『歴史に学ぶ』潮出版社、1981年。
『秋田大百科事典』秋田魁新報社、1981年。
『新修平田篤胤全集』別巻、名著出版、1981年。

* 国史大辞典、国書人名辞典、神道事典、神道辞典、神道人名辞典、神道大辞典
+略年譜※佐藤信淵の経歴には数々の疑問が呈せられている点も多い。以下は『佐藤信淵の虚像と実像』巻末の「佐藤信淵年譜」より、確証のあるものとして示されている年月を記す。
※佐藤信淵自身が書いた経歴としては『経済要録』序言にあり、『天柱記』序説と『経済要略』序にも簡単な記事がある。他、子が記した『佐藤家譜略記』などもあるが、信淵の経歴には不明瞭なところがあり、前後の叙述にも矛盾がある。

明和6年(1769) 出羽国雄勝郡新成村郡山に、父・信季の子として生まれる[虚像と実像]。
安永10年/天明元年(1781) 春、父に従い東蝦夷に渡り根室に至る。この後、奥羽・関東を父と遍歴[虚像と実像]。
天明4年(1782) 父と足尾の銅山に滞在中、8月3日に父が死去。父の遺命により江戸に出る[虚像と実像]。
寛政4年(1792) 春、江戸の京橋柳町にて医業を始める(『佐藤家略記』より。鴇田恵吉著『佐藤信淵』では寛政5年(1793)とある)[虚像と実像]。
寛政12年(1800) 大総国山辺郡大豆谷村に居を移す[虚像と実像]。
文化4年(1807) 江戸に出て、京橋柳町にて医業を再び開く。阿波徳島藩家老・集堂勇左衛門と知り合い、兵学師範として徳島に渡る[虚像と実像]。
文化12年(1815) 5月1日、平田篤胤に入門[虚像と実像]。
文化13年(1816) 春、医業を廃業する。2月14日、吉川源十郎不束一件に連座して入牢。3月17日、病により付出牢。12月27日、神社奉行より江戸払いを命ぜられる。下総国船橋大神宮に退去[虚像と実像]。
文化14年(1817) 大豆谷に退去[虚像と実像]。
天保3年(1832) 禁を破り大豆村を去って江戸に入る。11月23日、江戸十里四方追放。武蔵国足立郡鹿手袋村に蟄居。またこの年、文政12年(1829)年より執筆してきた『農政本論』を薩摩藩の重臣猪飼央のために筆記奉呈[虚像と群像]。
弘化3年(1846) 12月、11代将軍家斎3回忌法要の大赦により赦免され、江戸払い帳消しとなる[虚像と実像]。
嘉永3年(1850) 1月6日、死去[虚像と実像]。
+著作目録類佐藤信淵著『佐藤椿園家伝書目録』織田完之編『佐藤信淵家学大要』碑文協会、1906年。
滝本誠一編『佐藤信淵家学全集』(上・中・下)岩波書店、19261927年。
+主要著作佐藤信淵『経済要録』〔滝本誠一編『佐藤信淵家学全集』上巻所収、岩波書店、19251926年〕〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/970675〕。
佐藤信淵『農政本論』〔滝本誠一編『佐藤信淵家学全集』中巻所収、岩波書店、19251926年〕〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/970676〕。
佐藤信淵『天柱記』〔安津素彦編『国学大系』第12巻所収、地平社、1943年〕。
佐藤信淵『経済要略』〔安津素彦編『国学大系』第12卷所収、地平社、19431944年〕。
データベースの典拠「虚像と実像」=稲雄次「佐藤信淵の虚像と実像」『秋田法学』36、2000年。
コンテンツ権利区分CC BY-NC
資料ID40324
-110113 50 2019/12/06 kota.saito 本登録 0 JMK000164 佐藤信淵 Sato Nobuhiro 佐藤信淵 Sato Nobuhiro 明和6年(1769)~嘉永3年(1850)
さとう のぶひろ / Sato Nobuhiro / 男 さとう のぶひろ 〔幼名〕百祐(百祐)[虚像と実像]
〔字〕元海、玄海[虚像と実像]
〔号〕椿園、松庵、融斎、万松斎[虚像と実像] 明和6年(1769)6月15日[虚像と実像] 嘉永3年(1850)1月6日[虚像と実像] 平田篤胤、吉川源十郎[虚像と実像] 福原謙七『日本経済立志編』宋栄堂、1881年。
切山聴松編『実業史談』壷天堂、1887年。
上田万年編『国文学』1、双双館、1890年。
木戸照陽編『東洋立志編―立志起業 付・偉業論』明玉堂、1890年。
北村礼蔵・北村包直編刊『童蒙勅語図解』1891年。
永松乙一『小学少年教育美談』図書出版会社、1891年。
篠田正作『忠孝美談―修身教育』中村芳松、1892年。
農商務省農務局編『大日本農功伝』博文館、1892年。
飯村粋『佐藤信淵翁伝』敬業社、1893年。
松井広吉編『日本百傑伝』11、博文館、1893年。
松本貢『修身宝典―勅語衍義』済美館、1893年。
西村富次郎『日本立志編―偉業亀鑑』弘文館、1894年。
『維新史料 七卿西竄始末(三條実美公記巻之3)』野史台、1896年。
片山熊太郎『農談百夜草』下、東京図書出版、1897年。
西村富次郎『日本偉人伝』弘文館、1897年。
山方旭嶺『小学立志篇』前篇、佐藤祐一、1899年。
足立栗園『近世徳育史伝』開発社、1900年。
岡本純『金言国民訓―一名・大和錦』魁真楼、1900年。
峡山隠士『二宮尊徳・佐藤信淵』富士書店、1900年。
伴成高『忠孝美談』鍾美堂、1900年。
谷口流鶯編『偉人と豪傑少年時代』博報堂、1901年。
谷口流鶯『智と徳』松声堂、1901年。
干河岸貫一『続近世百傑伝』博文館、1901年。
井上哲次郎・有馬祐政共編『武士道叢書』下、博文堂、1905年。
長田偶得編『徳川三百年史』裳書房、1905年。
☆織田完之・玉利喜造編『佐藤信淵家学大要』碑文協会、1906年。
下田次郎編『日本教育家肖像』金港堂、1907年。
佐藤宇一郎『佐藤信淵翁誕生地考』西馬音内報効義会、1908年。
福島住一『織物原料良美実用新書―一名・苧麻栽培録』有隣堂、1908年。
松崎蔵之助『経済危言』読売新聞社、1908年。
秋田県教育会編刊『平田篤胤・佐藤信淵両先生小伝』1909年。
斎藤謙『古賢と報徳』(報徳叢書第2巻)、隆文館、1910年。
内務省編刊『地方行政史料小鑑』1910年。
松本恒吉『農業福引』松本家農場、1910年。
河本亀之助編『英雄物語―良民講和』良民社、1911年。
佐藤啓行編『佐藤信淵先生誕生之地』精華堂、1911年。
谷口政徳編『少年武士道』聚栄堂大川書店、1911年。
吉丸一昌『修身訓話―精神修養』武田交盛館、1911年。
河上肇『経済学研究』博文館、1912年。
土屋元作『新学の先駆―附・蘭学系統図』博文館、1912年。
魚澄総五郎『新文明の源流―日本洋学の発達』赤城正蔵、1914年。
中田公直『佐藤信淵ノ農政学説』(経済学農政学研究叢書3)、カメラ会、1915年。
岡部精一『東京奠都の真相』仁友社、1917年。
冨田文雄『大正の農村青年に告ぐ』求光閣書店、1918年。
滝本誠一『経済一家言』国文堂書店、1920年。
滝本誠一『日本経済史』国文堂、1921年。
竹川竹斎『佐藤信淵元海甫著書之弁』西馬音内報効義会、1921年。
東郷実『植民夜話』植民夜話刊行会、1923年。
大川周明『佐藤信淵の理想国家』社会教育研究所、1924年。
秋田市教育会編『佐藤信淵』石川書店、1925年。
石田伝吉『内外理想郷物語』丙午出版社、1925年。
滝本誠一編『佐藤信淵家学全集』全3冊、岩波書店、1925~27年。
土屋元作著刊『嗚呼南洲先生』1926年。
井箆節三『世界大思想全集』54、春秋社、1927年。
滝本誠一・向井鹿松共編『日本産業資料大系』4、内外商業新報社、1927年。
服部一二『孝の研究』宝文館、1927年。
物集高見編『新註皇学叢書』10、広文庫刊行会、1927年。
清原貞雄『国民精神の史的考察と吾等の覚悟』大阪府督学課、1928年。
幸田成友『読史余録』大岡山書店、1928年。
馬場峰月編『人生の殿堂』帝国講学会、1928年。
桜井学堂『未来科学の進化』日本書院出版部、1929年。
高橋俊乗『日本教育史』教育研究会、1929年。
滝本誠一『日本経済学史』(春秋文庫)、春秋社、1929年。
滝本誠一『日本経済思想史』(社会科学叢書27)、日本評論社、1929年。
滝本誠一編『日本経済大典』18・19、啓明社、1929年。
☆羽仁五郎『佐藤信淵に関する基礎的研究』岩波書店、1929年。
遠藤隆吉編『日本国粋全書』10、日本国粋全書刊行会、1930年。
春秋社編刊『大思想エンサイクロぺヂア』15、1930年。
古賀重利著刊『広瀬淡窓及佐藤信淵に就いて』1931年。
大日本思想全集刊行会編刊『佐藤信淵・三浦梅園集附海保青陵集』(大日本思想全集8)、1931年。
小島憲『重農思想と国家社会主義』明大学会、1932年。
上領三郎『神国日本と佐藤信淵先生』歴史叢書刊行会、1933年。
宇和島市和霊尋常小学校国史研究部編『我が郷土史』其の1、宇和島市和霊尋常小学校、1933年。
大西伍一『日本老農伝』平凡社、1933年。
永井竜一編『明治維新直前に於ける薩藩財政研究資料』山元徳二、1933年。
橋田東声『無限の道』無限の道発行所、1933年。
雄山閣編刊『異説日本史』7・14、1933年。
秋田県図書館協会編刊『秋田郷土叢話―放送の部 研究の部』1934年。
村島渚稿・何鹿郡蚕業同志会編刊『佐藤信淵と綾部』1934年。
小野武夫『佐藤信淵―社会科学の建設者』(人と学説叢書)、三省堂、1934年。
篠田隆治編『近世国学者論文抄』春陽堂、1934年。
『大日本思想全集』8、大日本思想全集刊行会、1934年。
野村兼太郎『日本経済学説史資料―徳川時代』慶応義塾出版局、1935年。
横川四郎編『佐藤信淵集』(近世社会経済学説大系3)、誠文堂新光社、1935年。
近伊左衛門著刊『神道経済観と佐藤信淵』、1936年。
斎藤斐章『高野長英と渡部崋山』建設社、1936年。
社会教育研究所編刊『日本の教育の発展―教育家とその学説』1936年。
中央社会事業協会社会事業研究所編刊『堕胎間引の研究』1936年。
土崎郷土研究会編刊『土崎郷土読本』1936年。
雄山閣編刊『類聚伝記大日本史』6、1936年。
志賀剛編『幕府政治の弛張・諸藩の治』(小学国史教師用書史料詳解26)、政経書院、1937年。
武田勘治編『二宮尊徳・佐藤信淵教育説選集』(日本教育文庫9)、第一出版協会、1937年。
東北振興会編刊『東北産業経済史』3、1937年。
永田広志『日本哲学思想史』三笠書房、1938年。
花岡淳二『佐藤信淵の研究』未来の日本社、1938年。
山口恭右『為替対策論―附排英阿片政策論』錦正社、1938年。
『日本精神文化大系』6、金星堂、1938年。
秋田県教育会編刊『先哲遺珠』1939年。
大川周明『日本精神研究』明治書房、1939年。
乙竹岩造『日本教育史の研究』2、目黒書店、1939年。
小野武夫『佐藤信淵と其の時代』秋田県国民精神文化講習所、1939年。
加田哲二『経済学者の話―西洋経済学者の話・日本経済学者の話』財政経済時報社、1939年。
精神文化学会編『精神文化論集』明善社、1939年。
武田勘治『近世日本先哲の児童教育論』第一出版協会、1939年。
田中惣五郎『大陸の先駆者』興亜文化協会、1939年。
中野八十八『興亜教育の理想と実際』三友社、1939年。
野村兼太郎『徳川時代の経済思想』日本評論社、1939年。
丸山敏雄『天津日を日神と仰ぎ奉る国民的信仰に就いて』土井永市、1939年。
足立栗園『近世日本国防論(上)』三教書院、1940年。
榎薗余年乃輔『新東亜と義情』成人塾、1940年。
小野武夫『国家と農村』地人書館、1940年。
加田哲二『入門経済学』12、ダイヤモンド社、1940年。
黒田謙一講述『経済学史(資料)』沢田書店、1940年。
冨田義雄『日本精神東洋思想原典の研究』モナス、1940年。
仲小路彰『日本精神論』(日本世界主義体系4)、日本問題研究所、1940年。
福田弘『嗚呼雄大なる日本精神』国民防空出版協会、1940年。
山口鹿三『大人物の創造神信仰』ドン・ボスコ社、1940年。
坂本稲太郎『佐藤信淵』 (戦争文化叢書第35輯)、世界創造社、1941年。
図司安正『青少年義勇軍教本』雪国協会、1941年。
鈴木清節編『崋山全集』崋山叢書出版会、1941年。
スメラ民文庫編輯部編『佐藤信淵』世界創造社、1941年。
精神文化学会編『日本精神論叢』明善社、1941年。
高橋三吉『南方共栄圏を語る』講談社、1941年。
塚田正之助『総力戦の性格』十字屋書店、1941年。
土屋喬雄『日本の経済学者』(経済全書10)、日本評論社、1941年。
東海日出雄『英・米亡国宿命の警鐘―鐘が鳴る』東栄堂、1941年。
東方籌『救荒要心集』東方籌先生慰労会、1941年。
☆鴇田恵吉『佐藤信淵』大観堂、1941年。
鴇田恵吉『佐藤信淵先生の事蹟と其の大経論』信淵神社造営奉賛会、1941年。
中島九郎『佐藤信淵の思想』北海出版社、1941年。
日本経済研究会編『南進日本商人』伊藤書店、1941年。
古志太郎『佐藤信淵』(土の偉人叢書)、新潮社、1941年。
松原晃『先覚佐藤信淵』 (日本先覚者叢書第1篇)、多摩書房、1941年。
隣人之友社編『日本百姓道文庫』1(佐藤信淵抄)、大菩薩峠刊行会、1941年。
赤羽豊治郎『経済と統制』大同書院、1942年。
今野賢三『佐藤信淵(増補版)』三光堂書店、1942年。
加田哲二『日本経済学者の話』慶応書房、1942年。
金子勝男編『古書に現れた文献蒐録紙の文献』粋古堂、1942年。
金生喜造『国境論』日新書院、1942年。
黒田謙一『日本植民思想史』弘文堂、1942年。
古志太郎『佐藤信淵思想録』教材社、1942年。
三枝博音編『日本科学古典全書』第9巻第3部(産業技術篇探鉱冶金1)、朝日新聞社、1942年。
佐久間佑生『新しき英雄の風貌』揚子江社出版部、1942年。
佐藤堅司『皇道世界政策論』日本放送出版協会、1942年。
佐藤堅司『日本武学史』大東書館、1942年。
高須芳次郎『皇道を語る』二見書房、1942年。
高須芳次郎『日本近世転換期の偉人』欧文社、1942年。
高須芳次郎『日本精神とその展開』(大東名著選41)、大東出版社、1942年。
高橋秀三郎『蓖麻読本』時代社、1942年。
東海日出雄『英米没落の鐘が鳴る』天泉社、1942年。
東方籌『非常食糧の研究』東洋書館、1942年。
豊沢豊雄『日本発明発見物語』高山書院、1942年。
仲小路彰『世界興癈大戦史』東洋戦史第26巻、戦争文化研究所、1942年。
野村兼太郎『江戸時代の経世家』ダイヤモンド社、1942年。
藤澤親雄『世紀の予言』偕成社、1942年。
松波治郎『人と剣』東水社、1942年。
松原晃『日本国防思想史』天理時報社、1942年。
森銑三『江戸時代の人々』大東出版社、1942年。
森銑三『佐藤信淵―疑問の人物』今日の問題社、1942年。
日本武学研究所編『佐藤信淵武学集』上・中(日本武学大系22・23)、岩波書店、1942~43年。
古志太郎『佐藤信淵思想録』教材社、1942年。
安津素彦編『佐藤信淵集』(国学大系12)、地平社、1943年。
井口木犀編『崋山掃苔録』豊川堂、1943年。
伊与田円止『日本農の建設―日本農学者評伝』文英堂昭和出版社、1943年。
大久保勇市『日本教学者伝記―勤皇先哲』文憲堂、1943年。
小野武夫『佐藤信淵』潮文閣、1943年。
金生喜造『大東亜地政学と青年』(青年文化全集)、潮文閣、1943年。
川越重昌『兵学者佐藤信淵―佐藤信淵の神髄』鶴書房、1943年。
木村毅『人物と青年』(青年文化全集)、潮文閣、1943年。
河野省三『国学史の研究』畝傍書房、1943年。
小林一郎『皇国精神講座』第3輯、平凡社、1943年。
曽根朝起『神社と国民性』図南閣、1943年。
高須芳次郎『近世日本儒学史』越後屋書房、1943年。
竹内尉『海とその先駆者』健文社、1943年。
☆鴇田恵吉『佐藤信淵選集』読書新報社、1943年。
中野八十八『憂国の志士』清水書房、1943年。
仲原善忠『遣唐使その他』春陽堂、1943年。
農村更生協会八ケ岳中央修錬農場編刊『国本』農道編、1943年。
野村兼太郎『探史余瀝』ダイヤモンド社、1943年。
舟越康寿『東南アジア文化圏史』三省堂、1943年。
山田忠一『国防と水産』大沢築地書店、1943年。
和田斉『近世の救荒食糧施策』人文閣、1943年。
鵜沢喜久雄『広域地方行政の常識』九鬼書房、1944年。
梅津勝夫『各国機甲化の展望とその周辺』無何有書房、1944年。
小野武夫編『日本農民史料聚粋』11、巌松堂書店、1944年。
木村昇『芋』大和書房、1944年。
河野省三『神道史の研究』中央公論社、1944年。
古志太郎『佐藤信淵』新潮社、1944年。
関豊太郎『土』誠文堂新光社、1944年。
鴇田恵吉編『佐藤信淵鉱山学集』冨山房、1944年。
中柴末純『生産青年訓』(生産文化叢書)、新正堂、1944年。
中村吉次郎『先覚宮崎安貞』(日本先覚者叢書第2篇)、多摩書房、1944年。
中村直勝『新概観国史』北海出版社、1944年。
本庄栄治郎『日本経済思想史研究』続篇、日本評論社、1947年。
伊豆公夫『日本文化史研究』1、月曜書店、1948年。
加田哲二『経済学者の話』1(日本経済学者)、慶応出版社、1948年。
桜井豊『農業生産力論』(農研叢書第1集)、八雲書店、1948年。
土屋喬雄『日本の経済学者』世界文化社、1948年。
永田広志『永田広志選集』4(日本哲学思想史及民主主義・自由主義・社会主義・共産主義及論文)、白揚社、1948年。
本庄栄治郎『日本経済思想史』(日本経済史叢書)、竜吟社、1948年。
能田忠亮『暦学史論』生活社、1948年。
野村兼大郎『近世日本の経世家』泉文堂、1948年。
加田哲二『日本社会思想史』下、岩崎書店、1949年。
千葉命吉『貧困の解放者佐藤信淵の業績』日本独創学会、1950年。
佐藤信淵大人顕彰会編刊『佐藤信淵大人顕彰会趣意書並要項』1950年。
佐藤信淵大人顕彰会編刊『弥高文庫 佐藤信淵大人著書並関係文献目録』1950年。
阿部龍夫『塩田順庵と海防彙議』無風帯社、1951年。
田制佐重『七十人の映像―先哲のこころ』文徳社、1952年。
津久井竜雄『祖国に生きる』(現代人の教養6)、東南書房、1952年。
今野賢三『偉大なる先駆者佐藤信淵』(信友文庫)、信友社、1953年。
日本近代史研究会編刊『画報近世三百年史』15、1954年。
村岡典嗣著・村岡典嗣著作集刊行会編『日本思想史研究』1(神道史)、創文社、1956年。
三枝博音・清水幾太郎編『日本哲学思想全書』18、平凡社、1957年。
大阪社会事業短期大学編『標準保母講座』8、六月社、1958年。
高橋功『医学雑記』法政大学出版局、1958年。
秋田県警察本部教養課編刊『ふるさとのひと―秋田に生まれた先覚者たち』1959年。
秋田短期大学佐藤信淵研究会編刊『佐藤信淵先生関係図書目録』1959年。
鮎沢信太郎『山村才助』(人物叢書)、吉川弘文館、1959年。
筑波常治『日本農業技術史』(日本技術史薦書)、地人書館、1959年。
秋田経済大学佐藤信淵研究会編刊『信淵研究』1~17、1960~70年。
奈良本辰也『歴史の中の青年群像』創元社、1960年。
三木与吉郎編『阿波藍譜』栽培製造篇、三木産業、1960年。
加田哲二『日本社会経済思想史』慶応通信、1962年。
戸羽山瀚『江川坦庵をめぐる人々』鳴沢屋出版部、1962年。
本庄栄治郎『江戸・明治時代の経済学者』(日本歴史新書)、至文堂、1962年。
『大川周明全集』4、大川周明全集刊行会、1962年。
奈良本辰也『歴史の人々―その青春像』人物往来社、1963年。
読売新聞社秋田支局編『秋田の歴史』三浦書店、1965年。
飯島安雄『亡国への繁栄―佐藤信淵に学ぶ』新読書社、1965年。
小沢英一『近代日本史学史の研究―一九世紀日本啓蒙史学の研究』幕末編、吉川弘文館、1966年。
児玉幸多・北嶋正元編『物語藩史』第2期第5巻(近畿の諸藩)、人物往来社、1966年。
本庄栄治郎『日本経済思想研究』下(大阪経済大学日本経済史研究所叢書)、日本評論社、1966年。
『近代日本の名著』2、徳間書店、1966年。
『現代日本思想大系』1、筑摩書房、1966年。
大塚史学会編『東アジア近代史の研究』お茶の水書房、1967年。
狩野亨二『江戸時代の林業思想』巌南堂書店、1967年。
小島好治編『佐藤信淵自叙伝』三浦書店、1967年。
盛岡市議会史編さん委員会編『盛岡市議会史』1、盛岡市議会事務局、1967年。
『永田広志日本思想史研究』1(日本哲学思想史)、法政大学出版局、1967年。
小島好治編『佐藤信淵研究―瑣論』、1968年(出版社不明)。
渡辺万次郎『鉱山史話』東北編(地下の科学シリーズ)、ラティス、1968年。
滝本誠一校訂『経済要録』(岩波文庫)、岩波書店、1969年。
京都府立総合資料館・村上佑二・伊藤民蔵・京都光明白竜会『幕末に於ける綾部藩の再建と佐藤信淵』(丹波国何鹿郡北桑田郡関係資料合冊)、京都府立総合資料館、1970年。
徳島新聞社編『徳島近代史』1(幕末・維新編)教育出版センター、1970年。
兵頭賢一『佐藤信淵と宇和島藩との関係』(宇和島郷土叢書10)、宇和島市立図書館、1971年。
『森銑三著作集』9(人物篇9)、中央公論社、1971年。
相良亨編『日本の名著』24、中央公論社、1972年。
明治文献資料刊行会編刊『明治前期産業発達史資料』別冊108、1972年。
『幸田成友著作集』5、中央公論社、1972年。
小島好治篇『佐藤信淵研究―続瑣論』、1973年(出版社不明)。
日本史籍協会編『野史台維新史料叢書』2(論策)、東京大学出版会、1973年。
大阪文化振興会編『都市と文化問題』創元社、1975年。
山住正己・中江和恵編注『子育ての書』3(東洋文庫)、平凡社、1976年。
秋田県教育センター編刊『秋田のあゆみ』1977年。
碓井隆二『佐藤信淵―思想の再評価』タイムス、1977年。
☆尾藤正英・島崎隆夫校注『安藤昌益・佐藤信淵』(日本思想大系45)岩波書店、1977年。
松本博『明治維新と阿波の軌跡―新しい地域史像を求めて』教育出版センター、1977年。
平田篤胤全集刊行会編『新修平田篤胤全集』12、名著出版、1977年。
『江戸科学古典叢書』12(硝石製煉法、硝石製造弁、硝石篇)、恒和出版、1978年。
細江省吾編『秋田郷土叢話』東洋書院、1979年。
大矢真一 『日本経済学史の旅―江尸時代の経済学者たち』恆和出版、1980年。
塚谷晃弘『近代日本経済思想史研究』雄山閣、1980年。
文学の村同人編『雄勝風土記』(現代風土記シリーズ1)秋田文化出版社、1980年。
藤原暹『日本生活思想史序説』ぺりかん社、1982年。
三好信浩『日本農業教育成立史の研究』風間書房、1982年。
守屋健輔『『利根川図志』と柳田国男―利根川文化への招待』(ふるさと文庫)、崙書房、1983年。
泉武夫著刊『佐藤信淵―幕藩の動向と改革をめぐる人々』1984年。
弥高神社編刊『佐藤信淵大人関係遺蹟』、1984年。
梅原猛・高橋富雄編『東北文化と日本―もう一つの日本シンポジウム』小学館、1984年。
こどものための郷土史研究会編『秋田の先人たち―郷土の発展につくした人びと』光文書院、1984年。
佐藤徳蔵『秋田県「佐藤一族」の系譜と伝承口碑』秋田文化出版社、1984年。
高瀬重雄『日本海文化の形成』(『高瀬重雄文化史論集』2)名著出版、1984年。
高野邦彦『経済学と財政学に名を残した人々』東明社、1984年。
☆羽仁五郎『佐藤信淵に関する基礎的研究』岩波書店、1984年。
大西伍一『日本老農伝(改訂増補)』農山漁村文化協会、1985年。
近泰知著・十文字地方史研究会編『植田の話―出羽実録』秋田文化出版社、1985年。
中六人部公民館編刊『わが郷土史』、1985年。
『高橋碩一著作集』3、あゆみ出版、1985年。
高橋富雄編『みちのく伝統文化』5、小学館、1986年。
渡辺敏夫『近世日本天文学史』上、恒星社厚生閣、1986年。
犬塚孝明『明治維新対外関係史研究』吉川弘文館、1987年。
大林雄也編『大日本産業事蹟』1(東洋文庫473)、平凡社、1987年。
渋谷鉄五郎『佐藤信淵の大人の二人名跡』弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所、1987年。
菅田正昭『複眼の神道家たち』八幡書店、1987年。
平田篤胤佐藤信淵研究所編『平田篤胤、佐藤信淵両大人関係資料展目録』弥高神社、1988年。
弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所・秋田市立赤れんが郷土館共編『平田篤胤大人展図録―秋田の先人』弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所、1989年。
川越重昌『佐藤信淵の「天火の小球」説―その説と西洋化学史への投影』弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所、1991年。
日本鉱業史料集刊行委員会編『日本鉱業史料集』第14期近世下、白亜書房、1991年。
野口武彦『江戸の兵学思想』中央公論社、1991年。
川越重昌『考証佐藤信淵飢饉の旅路―父信季に従って故郷を後にした信淵に日光、足尾で何があったのか』(弥高叢書5)弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所、1992年。
滝本誠一編『日本経済大典』18・19、鳳文書館、1992年(復刻)。
弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所編刊『平田篤胤大人図集』、1993年。
東金市史編纂委員会編『東金市史』7通史篇下、東金市、1993年。
川越重昌『津山藩江戸屋敷―殺気燃える猛士三十八人の決起』(弥高叢書6)、弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所、1995年。
高倉新一郎著作集編集委員会編『高倉新一郎著作集』2(北海道史2)、北海道出版企画センター、1995年。
川越重昌編『宇和島藩(四国愛媛県)と佐藤信淵―信淵晩年の困窮を助け、且学び信淵歿後に、その学識を日本思想史上へ盤石に位置づけた藩、それが宇和島だった』(弥高叢書7)、弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所、1996年。
佐藤常雄ほか編『日本農書全集』69(学者の農書1)、農山漁村文化協会、1996年。
川越重昌『佐藤信淵と阿波』(徳島市民双書29)、徳島市立図書館、1997年。
川越重昌編『佐藤信淵家学の著述書出版及研究著・論考誌紙文献総目録』(弥高叢書8)、弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所、1998年。
小室正紀『草莽の経済思想―江戸時代における市場・「道」・権利』御茶の水書房、1999年。
稲雄次『佐藤信淵の虚像と実像―佐藤信淵研究序説』岩田書院、2001年。
湯川嘉津美『日本幼稚園成立史の研究』風間書院、2001年。
板坂耀子編『近世紀行文集成』2(九州編)、葦書房、2002年。
塩澤清『弥高神社史』(弥高叢書2)、弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所、2002年。
渡辺綱次郎『近世秋田の学問と文化』生涯学習編、秋田文化出版、2002年。
矢嶋道文『近世日本の「重商主義」思想研究―貿易思想と農政』御茶の水書房、2003年。
鴇田惠吉著・高橋誠一編『佐藤信淵の千葉暮らし―鴇田惠吉論稿集成』高橋誠一、2008年。
見城悌治『近代報徳思想と日本社会』ぺりかん社、2009年。
小泉吉永編・解題『近世育児書集成』18、クレス出版、2011年。
宮地正人『歴史のなかの『夜明け前』―平田国学の幕末維新』吉川弘文館、2015年。
小泉吉永解題『江戸時代庶民文庫―「江戸庶民」の生活を知る』62、大空社出版、2018年。 「佐藤信淵翁の詩」『東洋学会雑誌』2-7、1888年。
松崎蔵之助「日本のカメラリスト」『国家学会雑誌』23・26・28・29、1889年。
武田信賢「平山行蔵・佐藤信淵逸事」『江戸会誌』2-2、1890年。
武田信実「佐藤信淵名家逸事」『江戸会誌』2-2、1890年。
「佐藤信淵三たひ一切経を読む」『日本之少年』6-3、1894年。
「徳川時代の社会主義」『国家学会雑誌』83~91、1894年。
混同農夫「佐藤信淵翁の満州経略策」『日本人』551、1903年。
河上肇「参考 佐藤信淵の防海策」『明義』5-9、1904年。
戸水寛人「佐藤信淵の世界統一策」『日本人』202、1904年。
玉利喜造「佐藤信淵翁家復興顚末」『農事雑報』95、1906年。
山本美越乃「佐藤信淵ノ農業政策ヲ論ス」『京都法学会雑誌』1-7~9、1906年。
織田完之「佐藤信淵翁」『人道』39、1908年。
新渡戸稲造「佐藤信淵翁」『中央公論』23-12、1908年。
「佐藤信淵を憶ふ」『日本経済新誌』4-1、1908年。
「平田篤胤と佐藤信淵」『國學院雜誌』14-10、1908年。
☆河上肇「幕末の社会主義者佐藤信淵」『京都法学会雑誌』4-10、1909年〔『河上肇著作集』第1巻収録、筑摩書房、1964年〕。
河野省三「佐藤信淵の敬神思想養成策」『全国神職会々報』130、1909年。
海老名一雄「佐藤信淵の海防策」『歴史地理』18-5、1911年。
小久保喜七「佐藤信淵先生の対外策」『海外之日本』1-8、1911年。
柴田政太郎「佐藤信淵の誕生地に就て」『日本及日本人』551、1911年。
土屋元作「佐藤信淵新学の大彗星」『新学の先駆』博文館、1912年。
原田弥助「佐藤の二先生」『日本及日本人』665、1915年。
今村孝三「佐藤信淵の教育説」『教育学術界』37-3、1918年。
渡辺渡「佐藤信淵の山相学に就て」『東亜之光』13-4・5・7、1918年。
「佐藤信淵翁の遺稿田畯年中行事(上)」『日本農業雑誌』14-1、1918年。
安藤和風「佐藤信淵とローマ字」『正教時報』9-10、1920年。
菅菊太郞「農界偉人佐藤信淵翁と其シベリヤ経営策」『農業世界』16-1、1921年。
幸田成友「幕府と佐藤信淵」『中央史壇』4-5、1922年。
大川周明「佐藤信淵の理想国家」『東方時論』8-6、1923年。
半田芳男「佐藤信淵の漁村振興策」『水産』12-9~11、1924年。
内田繁隆「佐藤信淵の政治学説」『早稲田政治経済学雑誌』1、1925年。
滝本誠一「佐藤信淵の国家専売法」『三田学会雑誌』19-5、1925年。
土屋元作「佐藤信淵の蘭学大道編」『典籍之研究』3、1925年。
口田康信「佐藤信淵氏富国策に就て」『日本経済史研究』(社会科学第2巻第7号)改造社、1926年。
坂井申生「佐藤信淵の開墾地農場経営法」『帝国農会報』17-12、1927年。
田制佐重「佐藤信淵夙に幼稚園託児所の設立を説く」『先哲余影教育夜話』文教書院、1927年。
「佐藤信淵の混同秘策」『解報群書』16、1927年。
木村精二「信淵の竹入図式」『耕地』2-1、1928年。
橋田丑吾「佐藤信淵の重農学説」『斯民』23-5、1928年。
波多野鼎「佐藤信淵の富国論」『法律春秋』3-4、1928年。
板井申生「佐藤信淵の東京湾埋立干拓計画」『帝国農会報』19-10、1929年。
春山作樹「佐藤信淵の教育観」『教育思潮研究』3-2、1929年。
本田忠雄「佐藤信淵の商業管理論」『商工経済研究』4-2、1929年。
石浜知行「佐藤信淵研究の基礎的再考察」『思想』93、1930年。
大森金五郎「佐藤信淵翁の江戸湾経営説の一節」『歴史地理』55-3、1930年。
小島憲「佐藤信淵の国家社会主義思想」『政経論叢』5-4、1930年。
山村俊二「百年前に現れた佐藤信淵の統制経済策―垂統秘録の概略」『月刊時事講座』1-1、1932年。
生田清「佐藤信淵の世界観」『神道』9、1933年。
川副佳一郞「ローマ字論者としての佐藤信淵翁」『国語教育』18-8、1933年。
長谷川久一 「佐藤信淵の学説」『港湾』 11-1、1933年。
赤堀又次郎「佐藤信淵の事に就て」『日本及日本人』302、1934年。
安津素彦「国学者信淵―信淵学の基礎論」『日本学研究』2-11、1934年。
高岡熊雄「佐藤信淵」『日本精神講座』12、新潮社、1934年。
花岡淳二「佐藤信淵の地方行政論」『地方行政』42-10、1934年。
羽倉敬尚「偉大なる佐藤信淵先生の富国強兵策に就て」『掃苔』3-1、1934年。
羽倉敬尚「佐藤信淵大人の兵学に就いて」『東洋文化』118~119、1934年。
松原晃「農政学者佐藤信淵論」『文化農報』154~164・166・168・169、1934・35年。
森銑三「疑問の人佐藤信淵」『日本及日本人』300、1934年。
森銑三「佐藤信淵伝の研究」『奉公誌』374~387、1934~35年。
渡辺刀水「佐藤信淵の旧居」『埼玉史談』5-3、1934年。
『歴史講座』3-9(佐藤信淵特輯号)、1934年。
靑木治朗「佐藤信淵論」『北辰会雑誌』133、1935年。
高倉新一郎「佐藤信淵と蝦夷地開拓」『社会経済史学』5-4、1935年。
森友政勝「佐藤信淵と致富小記」『現代農業』1-12、1935年。
乙竹岩造「斎藤信淵の教育思想」『教育学研究』5-7、1936年。
菅菊太郎「佐藤信淵と旧宇和島藩の農業」『経済史研究』15-4、1936年。
井野辺茂雄「佐藤信淵の在華挫狄論」『国史学』33、1937年。
桑原晋「佐藤信淵とアダム・スミス―その富国論について」『彦根高商論叢』22、1937年。
椙山一夫「佐藤信淵の統制経済」『歴史』4、1937年。
玉林晴朗「佐藤信淵の流行」『伝記』4-11、1937年。
土屋喬雄「佐藤信淵の垂統法に就いて」『理想』70、1937年。
野村兼太郎「幕末における代表的経済論者佐藤信淵」『三田学雑誌』31-8、1937年。
鴇田恵吉「佐藤信淵の社会救済論」『社会事業』21-5~8、1937年。
森銑三「佐藤信淵の盗癖」『伝記』4-10、1937年。
横山敏男「佐藤信淵伝」『科学ペン』2-9、1937年。
有馬成甫「佐藤信淵自筆阿蘭陀人献上大砲並台車図に就て」『軍事史研究』3-1、1938年。
伊豆公夫「佐藤信淵「経済学」の素描的分析」『唯物論研究』65、1938年。
小野寿人「佐藤信淵の認識と理論―とくにその経済論について」『歴史公論』7-8、8-2、1938~39年。
菊田貞雄「佐藤信淵とその歴史的背景」『明治学院高商論叢』9、1938年。
佐藤武「先覚者佐藤信淵」『歴史公論』7-2、1938年。
田辺元生「佐藤信淵の東亜政策論と社会革新論」『歴史公論』7-7、1938年。
柳父徳太郎「佐藤信淵に於ける文化過程―その社会的経済的論策」『大連高商論叢』1、1938年。
石川興二「日本共同体経済学の建設者佐藤信淵」『経済論叢』48-2、1939年。
乙竹岩造「佐藤信淵の教育思想」『日本教育史の研究』2、目黒書店、1939年。
小野武夫「二宮尊徳翁より見たる佐藤信淵翁の思想」『斯民』34-10・11、1939年。
小野襄「先覚者佐藤信淵を語る」『秋田教育』242、1939年。
川越重昌「国史教材として信淵を如何に取入れるか」『秋田教育』242、1939年。
川越重昌「佐藤信淵の指導開墾地千葉県久保田踏査記」『秋田教育』242、1939年。
川越重昌「千葉県の内湾に沿って佐藤信淵の遺跡を尋ねる(1)~(4)」『千葉文化』1-8、2-2・3・6、1939~41年。
菊田貞雄「佐藤信淵に於ける人口問題」『人口問題』3-2、1939年。
黒田謙一「佐藤信淵の経済思想史的考察」『同志社論叢』66、1939年。
河野省三「佐藤信淵の思想」『秋田教育』242、1939年。
河野省三「佐藤信淵論」『国語と国文学』16-10、1939年。
佐藤賢治「佐藤信淵の兵学観」『秋田教育』242、1939年。
高橋東山「佐藤信淵の経済問答序」『伝記』6-7、1939年。
高橋東山「佐藤信淵の剽窃学說と世評瞥見」『社会事業』23-5、1939年。
橘良之助「憂国の人佐藤信淵」『秋田教育』242、1939年。
鴇田恵吉「佐藤信淵の鹿手袋に於ける生活」『埼玉史談』10-5~11-2、1939年。
鴇田恵吉「別後日記に現われた佐藤信淵の半面」『千葉文化』1-6・7、1939年。
橋本俊蔵「房総と信淵先生」『房総展望』3-10、1939年。
林天然「房総に於ける佐藤信淵の遺蹟」『千葉文化』1-4、1939年。
藤田篤麿「イデオロギストとしての佐藤信淵の位置」『歴史公論』8-3、1939年。
谷野巖「佐藤信淵に職業指導を見る」『職業指導』12-12、1939年。
「調度広郷の財政改革と佐藤信渕の薩藩経緯記(下)」『鹿児島史林』2、1939年((上)は『鹿児島史林』1に掲載と思われるがデータ不明、要調査)。
鴇田恵吉「興亜の先覚佐藤信淵」『大日』215、1940年。
赤羽豊治郎「佐藤信淵の統制経済論」『法商研究』1-2、1941年。
片山房吉「日本水功伝(6)」『水産界』706、1941年。
川越重昌「佐藤信淵の遺跡を尋ねる(5)」『千葉文化』3-2、1941年。
坂本稲太郎「佐藤信淵の教化論(1・2)」『国民精神文化』7-2・5、1941年。
佐藤堅司「鴇田氏の近業『佐藤信淵』を読む」『軍事史研究』6-5、1941年。
篠崎四郎「農学先覚者の遺跡探訪 佐藤信淵の隠家」『旅』18-2、1941年。
鴇田惠吉「佐藤信淵に就いて」『政界往来』12-7、1941年。
渡辺刀水「鴇田恵吉著『佐藤信淵』を読みて」『埼玉史談』12-5、1941年。
「超音波と佐藤信淵著「培養秘録」」『医譚』11、1941年。
梅津勝夫「佐藤信淵と戦車」『科学朝日』2-3、1942年。
太田保一郎「佐藤信淵先生の宇内混同論と東京遷都」『佐賀郷友』161・162、1942年。
小野武夫「民族農政学と佐藤信淵」『日本学研究』2-11、1942年。
木村俊夫「佐藤信淵の神命地政学―「混同秘策」の真面目」『文化日本』6-3、1942年。
三枝博音「科学者としての佐藤信淵」『日本学研究』2-11、1942年。
三枝博音「「坑場法律」解説」『日本科学古典全書』9、朝日新聞社、1942年。
佐藤堅司「佐藤信淵の武学」『日本学研究』2-11、1942年。
田辺元生「「佐藤信淵の経済思想」研究史」『経済史研究』27-6、1942年。
田辺元生「佐藤信淵の国防思想」『歴史地理』80-3、1942年。
鴇田恵吉「佐藤信淵の宇内混同秘策に就て」『日本学研究』2-7、1942年。
鴇田恵吉「佐藤家の家学と信淵」『日本学研究』2-11、1942年。
鴇田惠吉「佐藤信淵の興亞の構想」『公論』2-9、1942年。
鴇田惠吉「佐藤信淵の人物と事蹟」『大日』274、1942年。
中島九郞「科学者・佐藤信淵」『科学人』7、1942年。
三橋時雄「佐藤信淵の北方経営論」『経済史研究』28-1、1942年。
横山健堂「佐藤信淵の人物研究」『日本学研究』2-11、1942年。
大平善梧「佐藤信淵の広域思想」『外交時報』107-3、1943年。
小野武夫「先覚農学者の頌徳―宗案と信淵」『社会経済史学』13-5、1943年。
川上健三「佐藤信淵(2)」『興亜教育』2-4、1943年。
桑原晋「佐藤信淵とアダム・スミス―その富国論について」『彦根高商論叢』22、1943年。
坂本稻太郞「佐藤信淵(1)」『興亜教育』2-4、1943年。
佐藤堅司「佐藤信淵の宇內混同策」勤労者教育中央会編『皇国世界史』(新国民文化叢書16)目黒書店、1943年。
佐藤堅司「佐藤信淵の農戦論」東湖会事務所編『日本公論 昭和18年9月号~昭和19年2月号 戦う教育の高唱』(5冊合本、昭和19年1月号欠号、茨城県立図書館蔵)、1943~44年。
鴇田恵吉「佐藤信淵の家系と累代の墳墓(上・下)」『掃苔』12-11・12、1943年。
小野武夫「二宮尊德翁より見たる佐藤信淵翁の思想」報徳経済学研究会編『報徳経済学研究』第1輯、理想社、1944年。
早川孝太郎「佐藤信淵の種樹秘要」『伝記』11-1・2、1944年。
本庄栄治郎「佐藤信淵の「巡察記」について」『経済学雑誌』14-3、1944年。
松田令輔「人口疎開と佐藤信淵」『財政『9-1、1944年。
森銑三「佐藤信淵」『国民の歴史』2-4、1948年。
岩垂至「佐藤信淵の『致富小記』」『企業会計』1-12、1949年。
小関金吾「佐藤信淵の学績に就いて―巡察記発行に因んで」『伊加留加』2、1950年。
今野賢三「佐藤信淵(人と事業)」『農業日本』6-6、1951年。
佐藤与助「佐藤信淵と石炭の記録」『常磐技報』3-12、6-3・4、1951・53年。
村島渚「佐藤信淵勧化の日掛貯金」『綾部史談』24、1952年。
狩野亨二「佐藤信淵の林業経営論に就いて(1)(2)」『林業経済』6-10・11、1953年。
洞富雄「佐藤信淵の狡詐」『日本歴史』60-5、1953年。
☆前田一良「佐藤信淵思想小論(上)(下)」『立命館文学』106・111、1954年。
小崎英達「佐藤信淵の中央集権的国家論について」『九州史学』2、1956年。
碓井隆次「佐藤信淵の社会福祉思想・幼児保護思想(上)(下)」『社会問題研究』6-3・6-4、1956・57年。
島崎隆夫「幕末における土地開拓策―佐藤信淵の内洋経緯の雄図を中心として」高村象平ら編『封建制と資本制―野村博士還暦記念論文集』有斐閣、1956年。
伊藤勲・鎮西恒也「佐藤信淵の国家観」『法学新報』65-7、1958年。
石井孝「佐藤信淵学説実践の意図―国益主法掛設置の思想的背景」『歴史学研究』222、1958年。
「佐藤信淵先生を憶う」『報徳』57-5、1958年。
秋山健二郎「特攻艇生みの親・佐藤信淵―全世界征服の野望は信淵の着想を手懸りにして進められた!」『特集人物往来』4-7、1959年。
岸本芳雄「神道と幼児教育に関する思想の流れ―山鹿素行と佐藤信淵」『國學院雜誌』60-7、1959年。
日下幸雄「佐藤信淵の社会改革論」『上智史学』4-1、1959年。
佐藤堅司「佐藤信淵の検見川中心丁字干拓案」『日本歴史』131-5、1959年。
島崎隆夫「日本経済思想の研究史―徳川時代経済思想を中心として」慶応義塾大学経済会編刊『日本における経済学の百年』上、1959年。
荒川秀俊「佐藤信淵考案の自走火船」『日本航空学会誌』11-118、1963年。
川越重昌「佐藤信淵と日光の社家」『大日光』21、1963年。
中泉哲俊「佐藤信淵の学校論」『弘前大学人文社会』28、1963年。
鴇田恵吉「佐藤信淵と南部藩(1・2)」『奥羽史談』37・38、1963年。
青野春水「幕末宇和島藩の藩政改革に関する一考察―特に佐藤信淵及び若松常齢の経済思想を通して(上)(中)(下)」『伊予史談』175/176~178、1965年。
川越重昌「佐藤信淵の天文説(天柱記及び鎔造化育論) を支えている和蘭天文書について」『蘭学資料研究会研究報告』168、1965年。
川越重昌「天柱記・鎔造化育論の著述過程と信淵の天文学説の成立について」『信淵研究』8、1966年。
山路愛山「佐藤信淵翁伝を読む」『国民之友』208~209、明治文献、1966~68年(復刻)。
渡辺与五郎「佐藤信淵研究文献目録」『亜細亜大学経済学紀要』2、1967年。
石原正令「人口思想家としての佐藤信淵」『函館大学論究』3、1968年。
碓井隆次「佐藤信淵の乳児人工栄養説」『医学史研究』30、1968年。
碓井隆次「佐藤信淵の鉱山学、その人事管理論」『社会問題研究』21-1・2、1971年。
後藤広子「佐藤信淵における近代国家への指向」『日本大学精神文化研究所・教育制度研究所紀要』5、1971年。
塚谷晃弘「佐藤信淵の思想史的考察・序論」『国学院経済学』20-4、1972年。
戸沢行夫「開物思想の啓蒙性について―佐藤信淵の「家学」を中心に」『哲学』59、1972年。
大矢真一「佐藤信淵(にしひがし科学史散歩24)」『自然』28-12、1973年。
渡辺与五郎「佐藤信淵の基礎的研究」『駒沢大学大学院商学研究』4、1973年。
井門寛「明治以降の佐藤信淵研究」『歴史研究』158、1974年。
塚谷晃弘「佐藤信淵の経済思想と「管子」―「復古法」を中心に」『國學院大學紀要』12、1974年。
岸本芳雄「佐藤信淵の教育思想―特にその社会教化論と幼児保育論について」『神道宗教』75~79(合)、1975年。
川越重昌「佐藤信渕の三浦半島会津藩営中への滞在はどんな意味をもっていたか」『出羽路』58、1976年。
山野光雄「続灯をかかげた人びと8 総合社会福祉事業の発想―佐藤信淵」『健康保険』30-2、1976年。
子安宣邦「佐藤信淵と国学的宇宙論」『日本思想大系月報』59、1977年。
平田厚志「近世後期の支配イデオロギー―佐藤信淵の場合」『龍谷史壇』72、1977年。
小室正紀「(研究ノート)化政・天保期における一経世論の農村的起源―佐藤信淵の場合」『三田学会雑誌』71-4、1978年。
井上隆明「早咲きの地方主義者―佐藤信淵」『日本及日本人』1554、1979年。
竹内宏「日本的経営論の始祖・佐藤信淵」『諸君』12-10、1980年。
布施啓一「佐藤信淵経済論の一考察」『立命館文学』415~417、1980年。
加賀谷文治郎「佐藤信淵の書簡―佐藤家三代の鉱山学と秋田鉱山専門学校」『鉱業博物館』13、1981年。
菊岡倶也「建設の歴史散歩 東京湾埋立干拓計画を提案した佐藤信淵」『建設業界』30-8、1981年。
島崎隆夫「近世思想家の理想社会・国家像―昌益と信淵」『三田評論』823、1982年。
図師幸憲「佐藤信淵のみた日向諸藩」『宮崎県地方史研究紀要』8、1982年。
矢嶋道文「佐藤信淵の重商主義思想(1)(2)」『関東学院女子短期大学短大論叢』67・68、1982年。
太田素子「佐藤信淵の保育制度構想について」『日本保育学会大会研究論文集』36、1983年。
川越重昌「随想 信淵大人と老人問題」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』1、1984年。
杉浦明平「佐藤信淵の足跡」『人物探訪日本の歴史』20、暁教育図書、1984年。
宗田一 「佐藤信淵『硝石製造弁』の異本」『科学医学資料研究』122、1984年。
塚谷晃弘「佐藤信淵の経済思想と管子―「復古法」を中心に」『國學院大學紀要』12、1984年。
内田龍哉「佐藤信淵と内洋開発」『習志野市史研究』1、1985年。
梅原三郎「<綾部の歴史>綾部藩と佐藤信淵」『Nitto technical report』35、1987年。
戸羽山瀚「佐藤信淵と担庵」『伊豆史談』116、1987年。
(著者不明)「佐藤信淵の隠れ家」浦和市郷土文化会編刊『うらわ文化論集―浦和市郷土文化会発会30周年記念』、1987年。
桐原善雄「佐藤信淵大人追贈余談」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』2、1988年。
齋藤壽胤「平田篤胤と佐藤信淵の学問と事蹟」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』2、1988年。
渋谷鉄五郎「佐藤武右衛門家相伝の佐藤信淵大人に関わる資料」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』3、1988年。
原田弘「杉並の名墓(15)幕末の農政学者―佐藤信淵の墓」『杉並郷土史会会報』89、1988年。
青沼和夫「山武林業地の複層林成立とその背景(1)山武林業と佐藤信淵」『森林と肥培』140、1989年。
大淵利男「佐藤信淵の「経済論」について」『政経研究』(日本大学法学会)26-2、19
89年。
川越重昌「佐藤信淵の著書は現在何処に蔵されているだろうか」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』4、1989年。
伊藤きよ子「九十九里浜の佐藤信淵(1)―房総九十九里の漁村と信淵」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』5、1990年。
中村城「九十九里浜の佐藤信淵(2)―綱元・粟生村総兵衛と信淵」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』5、1990年。
中村美家子談「九十九里浜の佐藤信淵(3)―綱元・不動堂村の角兵衛の跡」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』5、1990年。
上田太郎「佐藤信淵と中山真際―ある町奉行与力の覚醒」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』5、1990年。
斎藤寿胤「「草木撰種録」をめぐって―佐藤信淵と宮負定雄の草木雌雄説」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』5、1990年。
渋谷鉄五郎「佐藤家霊位の追善供養について」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』5、1990年。
平沢四子男「佐藤信淵の実蹟」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』5、1990年。
佐々木潤之介「他からの目と内の芽と―古河古松軒・菅江真澄と長崎七左衛門・佐藤信淵」北海道・東北史学会編『北からの日本史(2)弘前シンポジウム』三省堂、1990年。
舟橋三雄「佐藤信淵の国家論における一考察」『鳥羽商船高等専門学校紀要』12、1990年。
渡部綱次郎「佐藤信淵の秋田藩改革論―『別後日記』を通して」『研究報告』(秋田県立博物館)15、1990年。
犬塚孝明「明治維新対外関係史研究―幕末維新期海外渡航者の対外観並に近代政治意識の形勢に関する政治史的研究」博士論文、1991年。
原武史「復古神道における〈出雲〉(下)―思想史の一つの試みとして」『思想』810、1991年。
堀野一男「「提防溝洫志」に示された治水思想の特徴と河川環境論的位置づけ」『土木史研究』11、1991年。
矢嶋道文「佐藤信淵の「重商主義」思想再考―「経世済民」論から「神道」・「軍学」論への展開」西川純子・高浦忠彦編『近代化の国際比較―経済史的接近』世界書院、1991年。
斎藤寿胤「佐藤信淵の神道観・序論―信淵の神道観萌芽の考察」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』6、1992年。
酒井要「房総九十九里浜の佐藤信淵(4)―綱元・北高根村の市郎左衛門と信淵」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』6、1992年。
中村治郎「房総九十九里浜の佐藤信淵(5)―綱元・屋形村の惣兵衛について」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』6、1992年。
柳栄「房総九十九里浜の佐藤信淵(6)―銚子の柳仁平治の跡」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』6、1992年。
木島よし子「房総九十九里浜の佐藤信淵(7)―九十九里の綱元たち」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』6、1992年。
松本秋次「平田・佐藤両大人頌徳歌について―作歌・作曲者及び楽曲の考察」『弥高神社平田篤胤佐藤信淵研究所研究所報』6、1992年。
宮崎道生「平田篤胤と佐藤信渕(上)(下)」『國學院雜誌』93-4・5、1992年。
『秋田教育』242、日本図書センター、1992年(復刻)。
折原裕「江尸期における重商主義論の展開―佐藤信淵と横井小楠」『敬愛大学研究論集』44、1993年。
宮崎道生「新井白石と佐藤信淵(上)(下)」『國學院雜誌』95-5・6、1994年。
板坂耀子「旅日記にみる福岡」朝日新聞福岡本部編『江戸の博多と町方衆』葦書房、1995年。
大須賀久人「国学者に於ける死生観と近世天文学との関係」谷省吾先生退職記念神道学論文集編集委員会編『神道学論文集―谷省吾先生退職記念』国書刊行会、1995年。
桂島宣弘「幕末国学の転回と佐藤信淵の思想―『天柱記』と『鎔造化育論』を中心に」衣笠安喜編『近世思想史研究の現在』思文閣出版、1995年。
川上征雄「佐藤信淵の国土計画思想に関する研究」『都市計画論文集』30、1995年。
見城悌治「明治における佐藤信淵像と尊徳門人」衣笠安喜編『近世思想史研究の現在』思文閣出版、1995年。
板坂耀子「佐藤信淵の九州紀行」『雅俗』3、1996年。
稲雄次「佐藤信淵の政治経済思想」『秋田法学』29、1997年〔学術文献刊行会編『日本史学年次別論文集』近世2―1997年再録、朋文出版、1999年〕。
稲雄次「佐藤信淵年譜(1)」『秋田法学』30、1997年。
川上征雄「佐藤信淵の考えた国土政策」『人と国土』23-1、1997年。
稲雄次「佐藤信淵の実学とは何か(上)(中)(下)」『秋田法学』31~33、1998~99年。
桑原恵「幕末国学における「産霊」の思想」大阪大学文学部日本史研究室編『近世近代の地域と権力』(大阪大学文学部日本史研究室創立50周年記念論文集下巻)清文堂出版、1998年。
石山洋「実学書の夜明け7 佐藤信淵『経済要録』」『日本古書通信』64-7、1999年。
稲雄次「佐藤信淵家学年譜」『秋田法学』33、1999年。
子安宣邦「佐藤信淵とは誰か―自己確信者と歴史のエコー」『江戸の思想』10、1999年。
☆稲雄次「佐藤信淵の虚像と実像」『秋田法学』36、2000年。
斎藤尚志「佐藤信淵の思想―「産霊」の原理と「術」の模索を中心として」『千里山文学論集』63、2000年。
矢嶋道文「佐藤信淵の農政思想―経世観と農業技術・経営論」『関東学院女子短期大学短大論叢』105、2000年。
稲雄次「資料 佐藤信淵研究文献目録」『秋田論叢』17、2001年。
稲雄次「資料 佐藤信淵『巡察記』」『秋田法学』37、2001年。
周禅鴻「佐藤信淵と黄宗義の学校論についての一考察」『研究室紀要』(東京大学)27 、2001年。
松浦玲「還暦以後(26)佐藤信淵―豪商の日記に見る大思想家の末路」『一冊の本』6-8、2001年。
斎藤尚志「佐藤信淵における〈知〉の創造」『千里山文学論集』68、2002年。
羽賀祥二「膨張する皇国・開化する皇国」小森陽一ほか編『近代世界の形成』(岩波講座近代日本の文化史1)岩波書店、2002年。
井上説史「国学におけるダイナミズム―佐藤信淵「天柱記」を中心に」『年報日本思想史』2、2003年。
稲雄次「佐藤信淵の世界」『紀要』(秋田経済法科大学法学部法律政治研究所)20、2004年。
黒須憲・竹田隆一「佐藤信淵の兵法―兵法・家言」『武道学研究』37、2004年。
齊藤壽胤「佐藤信淵の「産霊」観」『神道宗教』198、2005年。
藤原暹「国学思想上の「身体」―篤胤、信淵、藤村そして泡鳴」『日本学研究』3、2005年。
前田勉「国学者の西洋認識」『國學院雜誌』107-11、2006年。
宮地正人「佐藤信淵と房総」『千葉史学』51、2007年。
藤原暹「「五箇条の御誓文」の思想史的意義―「語彙」を中心に」『神園』1、2008年。
奥田尚「嶺田楓江『海外新話』の解題にかえて―上海とアヘン戦争」追手門学院大学アジア学科編『上海アラカルト』(和泉選書167)和泉書院、2009年。
阿部弘生「近世後期の武芸観に関する研究―佐藤信淵・山鹿素水を中心に」『國學院大學紀要』48、2010年〔学術文献刊行会編『日本史学年次別論文集』近世2―2010年再録、朋文出版、2013年〕。
田中優子「「日本」と「国益」―その複数の意味」『国際日本学』8、2010年。
矢嶋道文「宮崎安貞『農業全書』と「薬種」栽培法の意義―国民生活の視点からみた輸入漢方(長崎貿易)と在来薬種との関連」『関東学院大学文学部紀要』120・121下。2010年。
稲雄次「佐藤信淵『垂統秘録』について」『北方風土』65、2012年。
向谷地博信「学生諸君に佐藤信淵を平易に紹介する 江戸期の佐藤信淵先生に学ぶ父子ツーリズム」『ノースアジア大学国際観光研究』5、2012年。
稲雄次「佐藤信淵(上)(下)」『北方風土』65・66、2013年。
上田晴彦「『天柱記』における地動説に関する考察及び太陽図に関する調査研究について」『秋田大学教育文化学部研究紀要』自然科学68、2013年。
小野将「佐藤信淵と神道方吉川家―幕府寺社奉行所「公事吟味留」所収一件史料の再検討」東京大学大学院人文社会系研究科・文学部日本史学研究室編刊『近世社会史論叢―吉田伸之先生退職記念』2013年。
Alain Rocher「Mythe et ideologie identitaire au Japon」法政大学国際日本学研究所編『日本のアイデンティティを〈象徴〉するもの―2011年アルザス・シンポジウム報告』法政大学国際日本学研究センター、2013年。
仲尾宏「歴史に刻む日本とコリア(10)朝鮮蔑視観念のはじまり(その2)佐藤信淵」『Sai(사이)』73、2015年。
野村英登「玉利喜造の霊気説からみる自然と身体」『「エコ・フィロソフィ』研究」9、2015年。
藤田博子「佐藤信淵の保育施設構想への着眼と展開」『大阪芸術大学短期大学部紀要』39、2015年。
鴇田恵吉「佐藤家学の完成の地大豆谷」『千葉県図書館情報』63(刊行年不明)。
兵頭賢一 「佐藤信淵と宇和島との関係」『伊予史談』51・52(刊行年不明)。
柴田武雄「佐藤信淵のこと」『東金文化』4-10(刊行年不明) 。
鴇田恵吉「筆田耕余録」『千葉教育』531(刊行年不明)。
本田忠雄「佐藤信淵の商業管理論」『商工経済研究』4-2(刊行年不明)。 織田完之「佐藤信淵伝」『農業雑誌』184、1883年。
「故佐藤信淵翁肖像及小伝」『日本之殖産』4、1888年。
鈴木省三「佐藤信淵伝」『奥羽史料』1-1、1889年。
醉霞居士「古今農事有功大家小伝(佐藤信淵先生伝)」『農業雑誌』16-29、1891年。
百足登「佐藤信淵の伝」『文華』2、1893年。
「佐藤信淵翁伝」『早稲田文学(第1次第1期)』50、1893年。
『佐藤信淵翁関係図書目録』西馬音内報効義会信淵文庫、1900年。
津田啓次郞「佐藤信淵」『青年世界』9-3、1902年。
「佐藤信淵の経済要録海外の雑誌に紹介せらる」『国家学会雑誌』17-198、1903年。
河上肇「佐藤信淵先生を憶ふ」『明義』5-3、1904年。
橘枝直「佐藤信淵」安永三四郎編『花紅柳緑』東京書院、1905年。
瀬谷純一著刊『勤王家及功労者列伝』1920年。
修養団講習会秋田県協賛会編刊『秋田県概況』1921年。
鯨岡逸朗編『平田篤胤先生著書佐藤信淵先生著書根本通明先生遺著目録―県立秋田図書館蔵』秋田県立秋田図書館、1930年。
「佐藤信淵展墓会の状況」『掃苔』2-12、1933年。
羽倉信一郎編刊『佐藤信淵大人年譜―昭和八年十一月廿六日東京市杉並区松応寺展墓会記念』1933年。
信淵会「佐藤信淵著述書目並解題」『歴史公論』3-9、1934年。
佐々木皎堂「第二回佐藤信淵大人展墓祭概況」『掃苔』4-1、1935年。
佐々木庄蔵「第三回佐藤信淵先生の展墓会概況」『掃苔』5-4、1936年。
佐藤昇庵『佐藤信淵略伝』出版社不明、1940年。
佐藤信淵大人顕彰会編刊『弥高文庫佐藤信淵大人著書並関係文献』1950年。
藤村作編『日本文学大辞典』新潮社、1950~52年(増補改訂)。
秋田短期大学佐藤信淵研究会編刊『佐藤信淵先生関係図書目録』1959年。
渡辺与五郎「佐藤信淵研究文献目録」『亜細亜大学経済学紀要』2、1967年。
『秋田人名大事典』秋田魁新報社、1974年。
関根只誠編『名人忌辰録』ゆまに書房、1977年(復刻)。
奈良本辰也『歴史に学ぶ』潮出版社、1981年。
『秋田大百科事典』秋田魁新報社、1981年。
『新修平田篤胤全集』別巻、名著出版、1981年。

* 国史大辞典、国書人名辞典、神道事典、神道辞典、神道人名辞典、神道大辞典 ※佐藤信淵の経歴には数々の疑問が呈せられている点も多い。以下は『佐藤信淵の虚像と実像』巻末の「佐藤信淵年譜」より、確証のあるものとして示されている年月を記す。
※佐藤信淵自身が書いた経歴としては『経済要録』序言にあり、『天柱記』序説と『経済要略』序にも簡単な記事がある。他、子が記した『佐藤家譜略記』などもあるが、信淵の経歴には不明瞭なところがあり、前後の叙述にも矛盾がある。

明和6年(1769) 出羽国雄勝郡新成村郡山に、父・信季の子として生まれる[虚像と実像]。
安永10年/天明元年(1781) 春、父に従い東蝦夷に渡り根室に至る。この後、奥羽・関東を父と遍歴[虚像と実像]。
天明4年(1782) 父と足尾の銅山に滞在中、8月3日に父が死去。父の遺命により江戸に出る[虚像と実像]。
寛政4年(1792) 春、江戸の京橋柳町にて医業を始める(『佐藤家略記』より。鴇田恵吉著『佐藤信淵』では寛政5年(1793)とある)[虚像と実像]。
寛政12年(1800) 大総国山辺郡大豆谷村に居を移す[虚像と実像]。
文化4年(1807) 江戸に出て、京橋柳町にて医業を再び開く。阿波徳島藩家老・集堂勇左衛門と知り合い、兵学師範として徳島に渡る[虚像と実像]。
文化12年(1815) 5月1日、平田篤胤に入門[虚像と実像]。
文化13年(1816) 春、医業を廃業する。2月14日、吉川源十郎不束一件に連座して入牢。3月17日、病により付出牢。12月27日、神社奉行より江戸払いを命ぜられる。下総国船橋大神宮に退去[虚像と実像]。
文化14年(1817) 大豆谷に退去[虚像と実像]。
天保3年(1832) 禁を破り大豆村を去って江戸に入る。11月23日、江戸十里四方追放。武蔵国足立郡鹿手袋村に蟄居。またこの年、文政12年(1829)年より執筆してきた『農政本論』を薩摩藩の重臣猪飼央のために筆記奉呈[虚像と群像]。
弘化3年(1846) 12月、11代将軍家斎3回忌法要の大赦により赦免され、江戸払い帳消しとなる[虚像と実像]。
嘉永3年(1850) 1月6日、死去[虚像と実像]。 佐藤信淵著『佐藤椿園家伝書目録』織田完之編『佐藤信淵家学大要』碑文協会、1906年。
滝本誠一編『佐藤信淵家学全集』(上・中・下)岩波書店、1926-1927年。 佐藤信淵『経済要録』〔滝本誠一編『佐藤信淵家学全集』上巻所収、岩波書店、1925-1926年〕〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/970675〕。
佐藤信淵『農政本論』〔滝本誠一編『佐藤信淵家学全集』中巻所収、岩波書店、1925-1926年〕〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/970676〕。
佐藤信淵『天柱記』〔安津素彦編『国学大系』第12巻所収、地平社、1943年〕。
佐藤信淵『経済要略』〔安津素彦編『国学大系』第12卷所収、地平社、1943-1944年〕。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - 「虚像と実像」=稲雄次「佐藤信淵の虚像と実像」『秋田法学』36、2000年。 - 1

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