大内青巒

大分類明治期国学・神道・宗教関係人物データベース
分野分類 CB宗教学・神道学
人名大内青巒
+読み仮名 / NAME / 性別おおうち せいらん / OUCHI Seiran / 男
+別称〔俗〕退[藩人譚]
〔字〕巻之[藩人譚]
〔号〕藹々、露堂[藩人譚]
+生年月日弘化2年(1845)4月17日[略伝]
+没年月日大正7年(1918)12月16日[略伝]
学統・宗派曹洞宗
+研究書・伝記大谷栄一・吉永進一・近藤俊太郎編『近代仏教スタディーズ』法蔵館、2016年。
+研究論文友松円諦「在家仏教徒の活動」法蔵館編集部編『講座近代仏教2歴史編』法蔵館、1961年。
大久保道舟「明治仏教の再建と居士の活躍」法蔵館編集部編『講座近代仏教2歴史編』法蔵館、1961年。
池田英俊「明治期における在家仏教運動—特に恩と戒の実践をめぐって—」日本宗教史研究会編『日本宗教史研究2 布教者と民衆との対話』法蔵館、1968年。
池田英俊「仏教の啓蒙主義的開明思想の形成」『明治の新仏教運動』吉川弘文館、1976年。
池田英俊「大内青巒の教化思想と教会結社をめぐる問題」『宗教研究』601、1986年。
池田英俊「教会・結社の成立と新教団の再編」『明治仏教教会・結社史の研究』刀水書房、1994年。
林淳「大内青巒の神道論—『神道弁論』」『禅研究所紀要』36、2007年。
星野靖二「仏教を演説する—明治10年代中葉における「仏教演説」の位相—」『近代日本の宗教概念—宗教者の言葉と近代』有志舎、2012年。
菅原研州「大内青巒居士の研究—その評価について」『曹洞宗総合研究センター学術大会紀要』15、2014年。
太田正弘「「神職の離檀」余録」『神道史研究』621、2014年。
大谷栄一「近代仏教にみる新聞・雑誌、結社、演説」島薗進、高埜利彦、林淳、若尾政希編『シリーズ日本人と宗教 近世から近代へ』5、春秋社、2015年。
菅原研州「大内青巒居士の禅思想」『東海仏教』61、2016年。
+事典・略伝等楪太仙『藹々華甲記』大内青巒居士還暦祝賀会事務所、1905年。
古山省吾編『中央之旧仙台藩人譚』宮城県顕揚会、1917年。
☆加藤咄堂「大内青巒先生略伝」『護法』322、1918年。
常光浩然「大内青巒」『明治の仏教者』上、春秋社、1968年。
芹川博道「大内青巒」伊藤友信他編『近代日本哲学思想家辞典』東京書籍、1982年。
「大内青巒」禪學大辭典編纂所編『新版禪學大辭典』大修館書店、1985年。
川口高風「「明教新誌」における曹洞宗関係記事 (一)—明治八年七月〜十二月」『愛知学院大学教養部紀要』44、1996年。
池田英俊「大内青巒」『日本近現代人名辞典』吉川弘文館、2001年。
川口高風「変革期の仏教(5)明治期曹洞宗の活動—原坦山・大内青巒・大道長安」『大法輪』692、2002年。
高橋原「大内青巒」科学研究費補助金基盤研究(B)「近代日本における知識人宗教運動の言説空間—『新仏教』の思想史・文化史的研究—」報告書、研究代表:吉永進一、研究課題番号:20320016、2008〜2011年度。
日本仏教人名辞典編纂委員会編『日本仏教人名辞典』法蔵館、1992年。
柏原祐泉・薗田香融・平松令三監修『真宗人名辞典』法蔵館、1999年。
+略年譜弘化2年(1845) 4月17日、仙台東五番町にて、仙台藩士の家に生まれる。のち、出家して泥牛と号す[略伝]。
万延元年(1860) 照庵に従い、江戸に出る。大槻磐渓に漢文を学び、曹洞宗長徳院の原坦山に禅を、福田行誠に仏典を学ぶ。西本願寺派の大洲鉄然の推挙により、21代門主大谷光尊の侍講を務める。この前後、禅浄一致を唱え、還俗居士として還俗し、非僧非俗の生活に入る[言説空間]。
明治4年(1871) 5月、青江秀とともに『新聞雑誌』を創刊し、主筆となる。また、『曙新聞』の主筆もつとめる[言説空間]。
明治8年(1875) 7月、新聞『明教新誌』。小野梓、島地黙雷らとともに共存同衆を結び、『共存雑誌』を編集する[言説空間]。
明治9年(1876) 活版印刷会社の秀英舎を設立し社長となる[言説空間]。
明治12年(1879) 前島密らと楽善会を組織し、築地に楽善会訓盲院を設立して教監となる。また、東京府とはかり、小学校教員速成伝習所を設置する。さらに、仏教各派を説いて仏教普通学校(高等普通学校)を始め、校長となる[言説空間]。
明治22年(1889) 島地黙雷・井上円了らとともに、尊皇奉仏大同団を結成する[言説空間]。
明治23年(1890) 三宅雪嶺らと『江湖新聞』を発行する。また、上宮教会、鴻盟社を設立する[言説空間]。
明治30年(1897) 曹洞宗大学講師を嘱託[言説空間]。
大正3年(1914) 東洋大学学長に就任する[言説空間]
大正7年(1918) 12月16日、死去[略伝]
+主要著作藹々居士編『豆州熱海誌』大内青巒、1878年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765137〕。
大内青巒編輯『仏教大意』鴻盟社、1884年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/817227〕。
大内青巒『日本仏教史略』鴻盟社、1884年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/816953〕。
大内青巒『曹洞宗両祖伝略』大内青巒、1884年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/823326〕。
大内青巒編『熱海独案内』逸見久五郎、1885年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764837〕。
大内青巒『百法問答抄校本』1〜9、鴻盟社、1886年 第1〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819072〕第2・第3〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819073〕 第4・第5〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819074〕第6・第7〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819075〕 第8・第9〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819076〕
大内青巒『尊皇奉仏論』鴻盟社、1889年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/816833〕。
大内青巒述・三嶋春洞 記『曹洞教会修証義聞解』鴻盟社、1891年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/823288〕。
大内青巒『宇宙之光』哲学書院、1892年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/899606〕。
大内青巒『般若心経講要』白雲精舎、1893年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818025〕。
大内青巒『般若心経講義・仏説法滅盡経講義』光融館、1894年。
大内青巒講述『遺教経講義』国母社、1895年。
大内青巒講述『原人論』光融館、1897年。
大内青巒『禅学三要』国母社、1897年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/823198〕。
大内青巒『謠曲禅話』鴻盟社、1901年。
今村金治郎編・大内青巒述『皇室と仏教の関係』鴻盟社、1903年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/816419〕。
大内青巒『碧巌集講話』鴻盟社、1906年 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1146512
大内青巒『四十二章経講義』光融館、1907年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/817821〕。
大内青巒(宗密原著)『原人論講義』光融館、1908年。
大内青巒『普勧坐禅儀講話』鴻盟社、1908年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/823461〕。
大内青巒『仏教の根本思想』井冽堂、1908年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/817285〕。
大内青巒『円覚経講義』光融館、1909年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/899609〕。
大内青巒『道徳之根柢』井洌堂、1909年。
大内青巒『禅の極致』丙午出版社、1913年。
大内青巒『青巒禅話』丙午出版社、1914年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/943877〕。
大内青巒『御大典と仏教』鴻盟社、1915年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/943555〕。
大内青巒『破木杓』至誠堂書店、1915年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/948860〕。
大内青巒『道は近きにあり』東亞堂書房、1915年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/933638〕。
大内青巒『処世之道』至誠堂書店 (發兌)、1915年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953848〕。
大内青巒『人生の快楽』文昌堂、1916年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/955221〕。
大内青巒『教育勅語要解』、明誠館書店、1916年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953958〕。
大内青巒『寒山詩講話』明治出版社、1917年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/955914〕。
大内青巒『自ら救ふ力』中央出版社、1917年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/956009〕。
大内青巒『力の活用』文昌堂書店、1917年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/955946〕。
大内青巒『通俗修証義講話』鴻盟社、1926年。
大内青巒『坐禅用心記講話』鴻盟社、1926年。
大内青巒『参禅道話』、中央出版社、1927年。
大内青巒『応用自在職業別引導法語文範』、修養世界社、1930年。
大内青巒『修養講話』京文社書店、1935年。
大内青巒『禅学講話』京文社書店、1935年。
出口王仁三郎・大内青巒・加藤新子・井上亮・土井大靖『仏説法滅尽経と弥勒下生』みいづ舎、2007年。
大内青巒『六波羅密』、国母社(発行年不明)。
+キーワード(1)曹洞宗
データベースの典拠「藩人譚」=古山省吾編『中央之旧仙台藩人譚』宮城県顕揚会、1917年。
「略伝」=加藤咄堂「大内青巒先生略伝」『護法』322、1918年。
「言説空間」高橋原「大内青巒」科学研究費補助金基盤研究(B)「近代日本における知識人宗教運動の言説空間—『新仏教』の思想史・文化史的研究—」報告書、研究代表:吉永進一、研究課題番号:20320016、2008〜2011年度。
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資料ID40284
-106941 50 2018/02/27 kota.saito 本登録 0 JMK000123 大内青巒 OUCHI Seiran 大内青巒 OUCHI Seiran 弘化2年(1845)〜大正7年(1918) おおうち せいらん / OUCHI Seiran / 男 おおうち せいらん 〔俗〕退[藩人譚]
〔字〕巻之[藩人譚]
〔号〕藹々、露堂[藩人譚] 弘化2年(1845)4月17日[略伝] 大正7年(1918)12月16日[略伝] 曹洞宗 大谷栄一・吉永進一・近藤俊太郎編『近代仏教スタディーズ』法蔵館、2016年。 友松円諦「在家仏教徒の活動」法蔵館編集部編『講座近代仏教2歴史編』法蔵館、1961年。
大久保道舟「明治仏教の再建と居士の活躍」法蔵館編集部編『講座近代仏教2歴史編』法蔵館、1961年。
池田英俊「明治期における在家仏教運動—特に恩と戒の実践をめぐって—」日本宗教史研究会編『日本宗教史研究2 布教者と民衆との対話』法蔵館、1968年。
池田英俊「仏教の啓蒙主義的開明思想の形成」『明治の新仏教運動』吉川弘文館、1976年。
池田英俊「大内青巒の教化思想と教会結社をめぐる問題」『宗教研究』60-1、1986年。
池田英俊「教会・結社の成立と新教団の再編」『明治仏教教会・結社史の研究』刀水書房、1994年。
林淳「大内青巒の神道論—『神道弁論』」『禅研究所紀要』36、2007年。
星野靖二「仏教を演説する—明治10年代中葉における「仏教演説」の位相—」『近代日本の宗教概念—宗教者の言葉と近代』有志舎、2012年。
菅原研州「大内青巒居士の研究—その評価について」『曹洞宗総合研究センター学術大会紀要』15、2014年。
太田正弘「「神職の離檀」余録」『神道史研究』62-1、2014年。
大谷栄一「近代仏教にみる新聞・雑誌、結社、演説」島薗進、高埜利彦、林淳、若尾政希編『シリーズ日本人と宗教 近世から近代へ』5、春秋社、2015年。
菅原研州「大内青巒居士の禅思想」『東海仏教』61、2016年。 楪太仙『藹々華甲記』大内青巒居士還暦祝賀会事務所、1905年。
古山省吾編『中央之旧仙台藩人譚』宮城県顕揚会、1917年。
☆加藤咄堂「大内青巒先生略伝」『護法』32-2、1918年。
常光浩然「大内青巒」『明治の仏教者』上、春秋社、1968年。
芹川博道「大内青巒」伊藤友信他編『近代日本哲学思想家辞典』東京書籍、1982年。
「大内青巒」禪學大辭典編纂所編『新版禪學大辭典』大修館書店、1985年。
川口高風「「明教新誌」における曹洞宗関係記事 (一)—明治八年七月〜十二月」『愛知学院大学教養部紀要』44、1996年。
池田英俊「大内青巒」『日本近現代人名辞典』吉川弘文館、2001年。
川口高風「変革期の仏教(5)明治期曹洞宗の活動—原坦山・大内青巒・大道長安」『大法輪』69-2、2002年。
高橋原「大内青巒」科学研究費補助金基盤研究(B)「近代日本における知識人宗教運動の言説空間—『新仏教』の思想史・文化史的研究—」報告書、研究代表:吉永進一、研究課題番号:20320016、2008〜2011年度。
日本仏教人名辞典編纂委員会編『日本仏教人名辞典』法蔵館、1992年。
柏原祐泉・薗田香融・平松令三監修『真宗人名辞典』法蔵館、1999年。 弘化2年(1845) 4月17日、仙台東五番町にて、仙台藩士の家に生まれる。のち、出家して泥牛と号す[略伝]。
万延元年(1860) 照庵に従い、江戸に出る。大槻磐渓に漢文を学び、曹洞宗長徳院の原坦山に禅を、福田行誠に仏典を学ぶ。西本願寺派の大洲鉄然の推挙により、21代門主大谷光尊の侍講を務める。この前後、禅浄一致を唱え、還俗居士として還俗し、非僧非俗の生活に入る[言説空間]。
明治4年(1871) 5月、青江秀とともに『新聞雑誌』を創刊し、主筆となる。また、『曙新聞』の主筆もつとめる[言説空間]。
明治8年(1875) 7月、新聞『明教新誌』。小野梓、島地黙雷らとともに共存同衆を結び、『共存雑誌』を編集する[言説空間]。
明治9年(1876) 活版印刷会社の秀英舎を設立し社長となる[言説空間]。
明治12年(1879) 前島密らと楽善会を組織し、築地に楽善会訓盲院を設立して教監となる。また、東京府とはかり、小学校教員速成伝習所を設置する。さらに、仏教各派を説いて仏教普通学校(高等普通学校)を始め、校長となる[言説空間]。
明治22年(1889) 島地黙雷・井上円了らとともに、尊皇奉仏大同団を結成する[言説空間]。
明治23年(1890) 三宅雪嶺らと『江湖新聞』を発行する。また、上宮教会、鴻盟社を設立する[言説空間]。
明治30年(1897) 曹洞宗大学講師を嘱託[言説空間]。
大正3年(1914) 東洋大学学長に就任する[言説空間]
大正7年(1918) 12月16日、死去[略伝] - 藹々居士編『豆州熱海誌』大内青巒、1878年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765137〕。
大内青巒編輯『仏教大意』鴻盟社、1884年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/817227〕。
大内青巒『日本仏教史略』鴻盟社、1884年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/816953〕。
大内青巒『曹洞宗両祖伝略』大内青巒、1884年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/823326〕。
大内青巒編『熱海独案内』逸見久五郎、1885年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764837〕。
大内青巒『百法問答抄校本』1〜9、鴻盟社、1886年 第1〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819072〕第2・第3〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819073〕 第4・第5〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819074〕第6・第7〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819075〕 第8・第9〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819076〕
大内青巒『尊皇奉仏論』鴻盟社、1889年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/816833〕。
大内青巒述・三嶋春洞 記『曹洞教会修証義聞解』鴻盟社、1891年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/823288〕。
大内青巒『宇宙之光』哲学書院、1892年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/899606〕。
大内青巒『般若心経講要』白雲精舎、1893年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818025〕。
大内青巒『般若心経講義・仏説法滅盡経講義』光融館、1894年。
大内青巒講述『遺教経講義』国母社、1895年。
大内青巒講述『原人論』光融館、1897年。
大内青巒『禅学三要』国母社、1897年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/823198〕。
大内青巒『謠曲禅話』鴻盟社、1901年。
今村金治郎編・大内青巒述『皇室と仏教の関係』鴻盟社、1903年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/816419〕。
大内青巒『碧巌集講話』鴻盟社、1906年 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1146512
大内青巒『四十二章経講義』光融館、1907年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/817821〕。
大内青巒(宗密原著)『原人論講義』光融館、1908年。
大内青巒『普勧坐禅儀講話』鴻盟社、1908年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/823461〕。
大内青巒『仏教の根本思想』井冽堂、1908年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/817285〕。
大内青巒『円覚経講義』光融館、1909年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/899609〕。
大内青巒『道徳之根柢』井洌堂、1909年。
大内青巒『禅の極致』丙午出版社、1913年。
大内青巒『青巒禅話』丙午出版社、1914年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/943877〕。
大内青巒『御大典と仏教』鴻盟社、1915年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/943555〕。
大内青巒『破木杓』至誠堂書店、1915年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/948860〕。
大内青巒『道は近きにあり』東亞堂書房、1915年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/933638〕。
大内青巒『処世之道』至誠堂書店 (發兌)、1915年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953848〕。
大内青巒『人生の快楽』文昌堂、1916年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/955221〕。
大内青巒『教育勅語要解』、明誠館書店、1916年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953958〕。
大内青巒『寒山詩講話』明治出版社、1917年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/955914〕。
大内青巒『自ら救ふ力』中央出版社、1917年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/956009〕。
大内青巒『力の活用』文昌堂書店、1917年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/955946〕。
大内青巒『通俗修証義講話』鴻盟社、1926年。
大内青巒『坐禅用心記講話』鴻盟社、1926年。
大内青巒『参禅道話』、中央出版社、1927年。
大内青巒『応用自在職業別引導法語文範』、修養世界社、1930年。
大内青巒『修養講話』京文社書店、1935年。
大内青巒『禅学講話』京文社書店、1935年。
出口王仁三郎・大内青巒・加藤新子・井上亮・土井大靖『仏説法滅尽経と弥勒下生』みいづ舎、2007年。
大内青巒『六波羅密』、国母社(発行年不明)。 曹洞宗 - - - - - - - 文化~慶応 明治0年代 明治10年代 明治20年代 明治30年代 明治40年代 大正 - - - 「藩人譚」=古山省吾編『中央之旧仙台藩人譚』宮城県顕揚会、1917年。
「略伝」=加藤咄堂「大内青巒先生略伝」『護法』32-2、1918年。
「言説空間」高橋原「大内青巒」科学研究費補助金基盤研究(B)「近代日本における知識人宗教運動の言説空間—『新仏教』の思想史・文化史的研究—」報告書、研究代表:吉永進一、研究課題番号:20320016、2008〜2011年度。 - 1

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