新井日薩

大分類明治期国学・神道・宗教関係人物データベース
分野分類 CB宗教学・神道学
人名新井日薩
+読み仮名 / NAME / 性別あらい にっさつ / ARAI Nissatsu / 男
+別称〔諱〕日薩[略伝]
〔幼〕林之助[略伝]
〔字〕文嘉[略伝]
〔号〕文明院、容月盧主人[略伝]
+生年月日天保元年(1830)12月26日[年譜]
+没年月日明治21年(1888)8月29日[年譜]
学統・宗派日蓮宗
+研究書・伝記☆林竹次郎「日薩和上略伝」薩和上遺稿事蹟編纂会編『新居日薩—伝記・新居日薩』日蓮宗宗務院、1937年(のち大空社より1994年改版)。
牧野内寛清『明治佛教史上に於ける新居日薩』研精社、1937年。
新居日薩和上百遠忌顕彰会編『日薩和上百遠忌記念集』山喜房仏書林、1987年。
新井智清『近代日蓮宗の宗政—薩鑑修三師の時代を中心にして』国土安穏寺、1987年。
+研究論文北村行遠「〔近代高僧素描〕新居日薩」『日本仏教史学』19、1984年。
安中尚史「近代日蓮宗の動向—新居日薩の教育活動について」『印度學佛教學研究』401、1991年。
安中尚史「明治期における日蓮宗の組織変革について」『印度學佛教學研究』472、1999)。
渡邊寶陽「明治維新後の社会状況と日蓮宗—新居日薩の事跡を通して—」『印度学仏教学研究』492、2001年。
+事典・略伝等☆林竹次郎「薩和上略年譜」薩和上遺稿事蹟編纂会編『新居日薩—伝記・新居日薩』日蓮宗宗務院、1937年(のち大空社より1994年改版)。
松田毛鶴「日薩上人と円光寺の鐘」上毛郷土史研究會『上毛及上毛人』245、1937年。
日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年。
日本仏教人名辞典編纂委員会編『日本仏教人名辞典』法蔵館、1992年。
+略年譜天保元年(1830) 12月26日、上野国山田郡桐生町新井宗左衛門六男として生まれる[年譜]。
天保9年(1838) 2月、武蔵国秩父郡御堂村浄蓮寺の日軌の弟子となる[年譜]。
天保10年(1839) 4月8日、得度[年譜]。
嘉永元年(1848) 加賀国金沢立像寺充洽園に入り、優陀那院日輝のもとで学ぶ[年譜]。
安政2年(1855) 春に江戸へ出て、秋に駒込蓮久寺に住す[年譜]。
元治元年(1864) 神楽坂善国寺の住職となる[年譜]。
明治5年(1872) 4月29日、権訓導に補任[年譜]。
明治6年(1873) 1月18日、大教院から十一級出仕ならびに仏学教師に申し付けられる。1月27日、大教院から幹事に任ぜられる。2月27日、中講義に補任[年譜]。
明治7年(1874) 3月3日 大講義に補任される。同日、久遠寺の住職を申しつけられる。4月1日、日蓮宗一致派の管長に就任。5月12日、権少教正に補任。10月11日から年末まで、千葉県・神奈川県・足柄県・山梨県・筑摩県における各宗僧侶一同検査や巡回説教のために出張[年譜]。
明治8年(1875) 2月3日、少教正に補任。3月2日、甲斐国巨摩郡大野村本遠寺の住職を兼帯するよう申しつけられる。5月、静岡中教院設立のために静岡・岩本・玉沢などを巡回説教する。11月13日、中教正に補任[年譜]。
明治9年(1876) 6月1日、管長を退任。9月20日、久遠寺住職を依願により差免、本遠寺住職に専務するよう申しつけられる。11月1日、本遠寺住職を依願により差免。12月19日、権大教正となる[年譜]。
明治11年(1878) 10月22日、管長に就任[年譜]。
明治12年(1879) 4月26日、捨子養育を行う福田会育児院を運営する福田会の会長に選挙される。9月20日、大教正に補任[年譜]。
明治16年(1883) 12月4日、管長辞任[年譜]。
明治19年(1886) 8月14日、管長から本門寺住職の特命を受ける[年譜]。
明治21年(1888) 8月29日、死去[年譜]。
+主要著作新井日薩述『受不受决疑鈔』(不明、不明)。
+キーワード(1)日蓮宗
+キーワード(2)仏教家教導職
+キーワード(3)大教院
データベースの典拠「年譜」=林竹次郎「薩和上略年譜」薩和上遺稿事蹟編纂会編『新居日薩—伝記・新居日薩』日蓮宗宗務院、1937年。
「略伝」=林竹次郎「日薩和上略伝」薩和上遺稿事蹟編纂会編『新居日薩—伝記・新居日薩』日蓮宗宗務院、1937年。
-106898 50 2018/02/27 kota.saito 本登録 0 JMK000080 新井日薩 ARAI Nissatsu 新井日薩 ARAI Nissatsu 天保元年(1830)〜明治21年(1888) あらい にっさつ / ARAI Nissatsu / 男 あらい にっさつ 〔諱〕日薩[略伝]
〔幼〕林之助[略伝]
〔字〕文嘉[略伝]
〔号〕文明院、容月盧主人[略伝] 天保元年(1830)12月26日[年譜] 明治21年(1888)8月29日[年譜] 日蓮宗 ☆林竹次郎「日薩和上略伝」薩和上遺稿事蹟編纂会編『新居日薩—伝記・新居日薩』日蓮宗宗務院、1937年(のち大空社より1994年改版)。
牧野内寛清『明治佛教史上に於ける新居日薩』研精社、1937年。
新居日薩和上百遠忌顕彰会編『日薩和上百遠忌記念集』山喜房仏書林、1987年。
新井智清『近代日蓮宗の宗政—薩鑑修三師の時代を中心にして』国土安穏寺、1987年。 北村行遠「〔近代高僧素描〕新居日薩」『日本仏教史学』19、1984年。
安中尚史「近代日蓮宗の動向—新居日薩の教育活動について」『印度學佛教學研究』40-1、1991年。
安中尚史「明治期における日蓮宗の組織変革について」『印度學佛教學研究』47-2、1999)。
渡邊寶陽「明治維新後の社会状況と日蓮宗—新居日薩の事跡を通して—」『印度学仏教学研究』49-2、2001年。 ☆林竹次郎「薩和上略年譜」薩和上遺稿事蹟編纂会編『新居日薩—伝記・新居日薩』日蓮宗宗務院、1937年(のち大空社より1994年改版)。
松田毛鶴「日薩上人と円光寺の鐘」上毛郷土史研究會『上毛及上毛人』245、1937年。
日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年。
日本仏教人名辞典編纂委員会編『日本仏教人名辞典』法蔵館、1992年。 天保元年(1830) 12月26日、上野国山田郡桐生町新井宗左衛門六男として生まれる[年譜]。
天保9年(1838) 2月、武蔵国秩父郡御堂村浄蓮寺の日軌の弟子となる[年譜]。
天保10年(1839) 4月8日、得度[年譜]。
嘉永元年(1848) 加賀国金沢立像寺充洽園に入り、優陀那院日輝のもとで学ぶ[年譜]。
安政2年(1855) 春に江戸へ出て、秋に駒込蓮久寺に住す[年譜]。
元治元年(1864) 神楽坂善国寺の住職となる[年譜]。
明治5年(1872) 4月29日、権訓導に補任[年譜]。
明治6年(1873) 1月18日、大教院から十一級出仕ならびに仏学教師に申し付けられる。1月27日、大教院から幹事に任ぜられる。2月27日、中講義に補任[年譜]。
明治7年(1874) 3月3日 大講義に補任される。同日、久遠寺の住職を申しつけられる。4月1日、日蓮宗一致派の管長に就任。5月12日、権少教正に補任。10月11日から年末まで、千葉県・神奈川県・足柄県・山梨県・筑摩県における各宗僧侶一同検査や巡回説教のために出張[年譜]。
明治8年(1875) 2月3日、少教正に補任。3月2日、甲斐国巨摩郡大野村本遠寺の住職を兼帯するよう申しつけられる。5月、静岡中教院設立のために静岡・岩本・玉沢などを巡回説教する。11月13日、中教正に補任[年譜]。
明治9年(1876) 6月1日、管長を退任。9月20日、久遠寺住職を依願により差免、本遠寺住職に専務するよう申しつけられる。11月1日、本遠寺住職を依願により差免。12月19日、権大教正となる[年譜]。
明治11年(1878) 10月22日、管長に就任[年譜]。
明治12年(1879) 4月26日、捨子養育を行う福田会育児院を運営する福田会の会長に選挙される。9月20日、大教正に補任[年譜]。
明治16年(1883) 12月4日、管長辞任[年譜]。
明治19年(1886) 8月14日、管長から本門寺住職の特命を受ける[年譜]。
明治21年(1888) 8月29日、死去[年譜]。 - 新井日薩述『受不受决疑鈔』(不明、不明)。 日蓮宗 仏教家教導職 大教院 - - - - - 文化~慶応 明治0年代 明治10年代 明治20年代 - - - - - - 「年譜」=林竹次郎「薩和上略年譜」薩和上遺稿事蹟編纂会編『新居日薩—伝記・新居日薩』日蓮宗宗務院、1937年。
「略伝」=林竹次郎「日薩和上略伝」薩和上遺稿事蹟編纂会編『新居日薩—伝記・新居日薩』日蓮宗宗務院、1937年。 - 1
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