釈雲照

大分類明治期国学・神道・宗教関係人物データベース
分野分類 CB宗教学・神道学
人名釈雲照
+読み仮名 / NAME / 性別しゃく うんしょう / SHAKU Unsho / 男
+別称〔幼〕竹二[年譜]
〔法〕雲照[年譜]
〔字〕大雄[釈雲照 中]
+生年月日文政10年(1827)3月20日[年譜]
+没年月日明治42年(1909)4月13日[年譜]
学統・宗派真言宗
+研究書・伝記吉田敏雄『釈雲照』文芸社、1902年。
☆草繋全宜『釈雲照』上中下、徳教会、1913〜1914年。
草繋全宜『雲照大和上伝』大覚寺、1961年。
+研究論文池田英俊「雲照の戒律主義について」『印度學佛教學研究』51、1957年。
柏原祐泉「近代佛教形成の前驅的性格—行誡・雲照の場合」『印度学仏教学研究』121、1964年。
斎藤昭俊「釈雲照と教育」『智山学報』16、1968年。
伊藤宏見「雲照律師の思想と行動」『印度学仏教学研究』232、1975年。
齋藤昭俊『近代仏教教育史』国書刊行会、1975年。
池田英俊「雲照の護法思想と戒律主義」和多秀乗・高木訷元編『弘法大師と真言宗』吉川弘文館、1984年。
里道徳雄「明治維新に於ける仏教—雲照と洪川」『大倉山論集』28、1990年。
大塚秀見「釈雲照の生涯素描—全体像把握に向けて」『現代密教』14、2002年。
山崎成子「白鳥庫吉と廣池千九郎—信仰と歴史研究における共通点」『モラロジー研究』59、2007年。
石川泰志『近代皇室と仏教—国家と宗教と歴史』原書房、2008年。
阿部宏貴「雲照律師の世俗性—仏教の近代性をどう見るか—」『現代密教』21、2010年。
坂上雅翁「颯田本真尼の外護者について—細川、本間、泉谷、E.A. Gordon」『印度学仏教学研究』632、2015年。
+事典・略伝等田口掬汀「妖僧雲照」佐藤儀助編『現代百人豪 第一編』新声社、1902年。
田中清純『戦場の花』田中清純、1907年。
山内脩謙「眞言切つての戒行者釋雲照」『明治大正傑僧秘談』大雄閣、1929年。
上田進城「雲照律師について」『龍谷大学論叢』294、1930年。
増谷文雄「釈雲照」『日本仏教聖者伝』第10巻、日本評論社、1935年。
増谷文雄「釈雲照」『宗教的生活者』第一書房、1936年。
佐藤哲英「雲照と黙雷」『大法輪』234、1956年。
知切光歳『日本の聖まんだら 第2集』大蔵出版、1956年。
常光浩然「釈雲照」『明治の仏教者』上、春秋社、1968年。
佐藤隆賢「慈雲・雲照—正法へのめざめ」木内尭央他著『高僧—その人と教え』大正大学出版部、1983年。
日本仏教人名辞典編纂委員会編『日本仏教人名辞典』法蔵館、1992年。
+略年譜文政10年(1827) 3月20日、出雲国神門郡東園村の渡部忠左衛門四男として出生[年譜]。
天保7年(1836) 9月8日、慈雲のもとで得度[年譜]。
弘化元年(1844) 8月、南山に遊学して伝法灌頂を受ける。その後、能義郡大塚村観音寺の住職となる。重病にかかる[年譜]。
弘化2年(1845) 2月15日、霊感に打たれ、終生女人と同座しないことを仏前にて誓う。3月4日から冬まで高野山に登山する[年譜]。
弘化4年(1847) 9月、出雲潮郷普賢院に転住する[年譜]。
嘉永元年(1848) 3月4日、高野山に登り、金剛峯寺衆徒となる。以降、各地で修法などを行う[年譜]。
安政3年(1856) 3月、高井田において雲伝神道の灌頂を受ける[年譜]。
明治2年(1869) 4月16日、増上寺において、浄国寺徹定と面会し、同盟会の結成を計画。4月22日、キリスト教拒絶の願書を書く本山連署にて出願する。同年中、高野山福寿院住職となる[年譜]。
明治7年(1874) 2月13日、教導職七級試補になる。3月7日、山科勧修寺住職となり、大教院において教義の大宗を講ずる[年譜]。
明治8年(1875) 11月、大教院派出として、中教院設立と教導職指南のために、中国地方を巡教。島根県下において、須弥説と地動説との争論が発生し、布教を禁ぜられる[年譜]。
明治9年(1876) 布教禁止の処分をめぐり、進退伺いを提出[年譜]。
明治10年(1877) 10月、勧修寺住職を辞任。備中浅口郡連島宝島寺に下る[年譜]。
明治12年(1879) 3月、高野山衆徒の依頼を受け、登山して大学頭となる。9月、宗規改正に際し、東京真言宗出張所五大本山からの要請を受けて上京する[年譜]。
明治13年(1880) 越後を巡教[年譜]。
明治14年(1881) 4月、京都に戻り。総黌を設立[年譜]。
明治15年(1882) 後七日御修法再興を上奏。8月4日、再興の沙汰を受ける[年譜]。
明治16年(1883) 久邇宮朝彦親王を上首とし、十善会を発足する[年譜]。
明治20年(1887) 2月、東京において戒律学校を開設。5月5日、那須野雲照寺落慶供養[年譜]。
明治23年(1890) 5月、戒律学校の規模を拡充し、目白僧園と改称する[年譜]。
明治32年(1899) 4月9日、大僧正に任ぜられる。7月、仁和寺門跡となる[年譜]。
明治33年(1900) 4月9日、仁和寺門跡を辞任[年譜]。
明治37年(1904) 日露戦争戦死者追悼のために法要を営む[年譜]。
明治39年(1906) 5月8日、戦死者追悼のため、韓国へ渡る。11月10日帰京[年譜]。
明治41年(1908) 7月22日、東北、北海道、樺太巡教に出発[年譜]。
明治42年(1909) 4月13日、死去[年譜]。
+著作目録類「雲照和上著書解題」草繋全宜『釈雲照』上中下、徳教会、1913年。
「論文講義目録」草繋全宜『釈雲照』上中下、徳教会、1913年。
+主要著作釈雲照『緇門正儀』樹下覚三、1880年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/816538〕。
釈雲照『初心法衣訓』真言宗法務出張所、1881年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819441〕。
釈雲照『七衆戒義諺詮』森江佐七、1882年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819386〕。
釈雲照『大日本国教論』森江書店、1882年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819585〕。
釈雲照『四威儀小作法』森江佐七、1882年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819341〕。
釈雲照『密宗安心義章』真言宗法務所、1883年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819832〕。
釈雲照『十善戒略解総論』長木栄治郎、1886年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819010〕。
釈雲照『受十善戒作法諺詮』釈戒本、1888年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819026〕。
釈雲照『十善戒法易行弁』釈戒本、1888年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819009〕。
釈雲照『仏教大意』哲学書院、1889年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/817224〕。
釈雲照著・福田慈海編『十善学童日用行法略軌』花桝峻崖、1890年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819012〕。
釈雲照『十善戒弁疑』十善会、1890年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819008〕。
釈雲照述・大智記『人の道』能潤社、1891年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819749〕。
釈雲照『十善戒和讃略解』仏教婦人協会、1892年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819011〕。
釈雲照『四十八願和讃』関本諦承、1892年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/820896〕。
釈雲照『仏教大原則』経世書院、1893年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/817240〕。
釈雲照『心経大意』仏教学会、1893年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/817854〕。
釈雲照『仏教入門の初歩』経世書院、1894年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/817280〕。
釈雲照『軍事に対する観念』経世書院、1894年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/816401〕。
釈雲照述『いろはの義解』鴻盟社、1894年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/862146〕。
釈雲照『十善の法話』十善会、1895年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819014〕。
釈雲照『末法開蒙記』十善会、1897年 上〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/81982〕 下〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819823〕。
釈雲照述・佐々木量俊編『仏教入門初歩』顕道書院、1898年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/817279〕。
釈雲照『日本民族総安心』目白僧園、1900年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/816965〕。
釈雲照『国民教育之方針』博文館、1900年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/808692〕。
釈雲照『仏教大原理—付・十善戒法易行弁』博文館、1901年。
釈雲照『教育勅語の淵源』金港堂、1901年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/759265〕。
釈雲照『仏教原論』博文館、1905年〔htt://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/817137〕。
釈雲照述『予が信仰』隆文館、1907年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819854〕。
釈雲照『日本国民教育の本義略説』夫人正法会、1908年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/808579〕。
釈雲照述『十善業道経講義』光融館、1909年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/899682〕。
釈雲照『仏教通論』光融館、1910年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/817257〕。
釈雲照『金剛般若波羅蜜経講解』目白僧園、1910年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/817813〕。
伊藤宏見編『雲照・興然遺墨集』文化書房博文社、1974年。
+キーワード(1)真言宗
+キーワード(2)仏教家教導職
+キーワード(3)大教院
データベースの典拠「年譜」=「雲照大和上年譜」草繋全宜『釈雲照』上中下、徳教会、1913年。
「釈雲照 中」=草繋全宜『釈雲照』中、徳教会、1913〜1914年。
-106884 50 2018/02/27 kota.saito 本登録 0 JMK000066 釈雲照 SHAKU Unsho 釈雲照 SHAKU Unsho 文政10年(1827)〜明治42年(1909) しゃく うんしょう / SHAKU Unsho / 男 しゃく うんしょう 〔幼〕竹二[年譜]
〔法〕雲照[年譜]
〔字〕大雄[釈雲照 中] 文政10年(1827)3月20日[年譜] 明治42年(1909)4月13日[年譜] 真言宗 吉田敏雄『釈雲照』文芸社、1902年。
☆草繋全宜『釈雲照』上中下、徳教会、1913〜1914年。
草繋全宜『雲照大和上伝』大覚寺、1961年。 池田英俊「雲照の戒律主義について」『印度學佛教學研究』5-1、1957年。
柏原祐泉「近代佛教形成の前驅的性格—行誡・雲照の場合」『印度学仏教学研究』12-1、1964年。
斎藤昭俊「釈雲照と教育」『智山学報』16、1968年。
伊藤宏見「雲照律師の思想と行動」『印度学仏教学研究』23-2、1975年。
齋藤昭俊『近代仏教教育史』国書刊行会、1975年。
池田英俊「雲照の護法思想と戒律主義」和多秀乗・高木訷元編『弘法大師と真言宗』吉川弘文館、1984年。
里道徳雄「明治維新に於ける仏教—雲照と洪川」『大倉山論集』28、1990年。
大塚秀見「釈雲照の生涯素描—全体像把握に向けて」『現代密教』14、2002年。
山崎成子「白鳥庫吉と廣池千九郎—信仰と歴史研究における共通点」『モラロジー研究』59、2007年。
石川泰志『近代皇室と仏教—国家と宗教と歴史』原書房、2008年。
阿部宏貴「雲照律師の世俗性—仏教の近代性をどう見るか—」『現代密教』21、2010年。
坂上雅翁「颯田本真尼の外護者について—細川、本間、泉谷、E.A. Gordon」『印度学仏教学研究』63-2、2015年。 田口掬汀「妖僧雲照」佐藤儀助編『現代百人豪 第一編』新声社、1902年。
田中清純『戦場の花』田中清純、1907年。
山内脩謙「眞言切つての戒行者釋雲照」『明治大正傑僧秘談』大雄閣、1929年。
上田進城「雲照律師について」『龍谷大学論叢』294、1930年。
増谷文雄「釈雲照」『日本仏教聖者伝』第10巻、日本評論社、1935年。
増谷文雄「釈雲照」『宗教的生活者』第一書房、1936年。
佐藤哲英「雲照と黙雷」『大法輪』23-4、1956年。
知切光歳『日本の聖まんだら 第2集』大蔵出版、1956年。
常光浩然「釈雲照」『明治の仏教者』上、春秋社、1968年。
佐藤隆賢「慈雲・雲照—正法へのめざめ」木内尭央他著『高僧—その人と教え』大正大学出版部、1983年。
日本仏教人名辞典編纂委員会編『日本仏教人名辞典』法蔵館、1992年。 文政10年(1827) 3月20日、出雲国神門郡東園村の渡部忠左衛門四男として出生[年譜]。
天保7年(1836) 9月8日、慈雲のもとで得度[年譜]。
弘化元年(1844) 8月、南山に遊学して伝法灌頂を受ける。その後、能義郡大塚村観音寺の住職となる。重病にかかる[年譜]。
弘化2年(1845) 2月15日、霊感に打たれ、終生女人と同座しないことを仏前にて誓う。3月4日から冬まで高野山に登山する[年譜]。
弘化4年(1847) 9月、出雲潮郷普賢院に転住する[年譜]。
嘉永元年(1848) 3月4日、高野山に登り、金剛峯寺衆徒となる。以降、各地で修法などを行う[年譜]。
安政3年(1856) 3月、高井田において雲伝神道の灌頂を受ける[年譜]。
明治2年(1869) 4月16日、増上寺において、浄国寺徹定と面会し、同盟会の結成を計画。4月22日、キリスト教拒絶の願書を書く本山連署にて出願する。同年中、高野山福寿院住職となる[年譜]。
明治7年(1874) 2月13日、教導職七級試補になる。3月7日、山科勧修寺住職となり、大教院において教義の大宗を講ずる[年譜]。
明治8年(1875) 11月、大教院派出として、中教院設立と教導職指南のために、中国地方を巡教。島根県下において、須弥説と地動説との争論が発生し、布教を禁ぜられる[年譜]。
明治9年(1876) 布教禁止の処分をめぐり、進退伺いを提出[年譜]。
明治10年(1877) 10月、勧修寺住職を辞任。備中浅口郡連島宝島寺に下る[年譜]。
明治12年(1879) 3月、高野山衆徒の依頼を受け、登山して大学頭となる。9月、宗規改正に際し、東京真言宗出張所五大本山からの要請を受けて上京する[年譜]。
明治13年(1880) 越後を巡教[年譜]。
明治14年(1881) 4月、京都に戻り。総黌を設立[年譜]。
明治15年(1882) 後七日御修法再興を上奏。8月4日、再興の沙汰を受ける[年譜]。
明治16年(1883) 久邇宮朝彦親王を上首とし、十善会を発足する[年譜]。
明治20年(1887) 2月、東京において戒律学校を開設。5月5日、那須野雲照寺落慶供養[年譜]。
明治23年(1890) 5月、戒律学校の規模を拡充し、目白僧園と改称する[年譜]。
明治32年(1899) 4月9日、大僧正に任ぜられる。7月、仁和寺門跡となる[年譜]。
明治33年(1900) 4月9日、仁和寺門跡を辞任[年譜]。
明治37年(1904) 日露戦争戦死者追悼のために法要を営む[年譜]。
明治39年(1906) 5月8日、戦死者追悼のため、韓国へ渡る。11月10日帰京[年譜]。
明治41年(1908) 7月22日、東北、北海道、樺太巡教に出発[年譜]。
明治42年(1909) 4月13日、死去[年譜]。 「雲照和上著書解題」草繋全宜『釈雲照』上中下、徳教会、1913年。
「論文講義目録」草繋全宜『釈雲照』上中下、徳教会、1913年。 釈雲照『緇門正儀』樹下覚三、1880年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/816538〕。
釈雲照『初心法衣訓』真言宗法務出張所、1881年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819441〕。
釈雲照『七衆戒義諺詮』森江佐七、1882年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819386〕。
釈雲照『大日本国教論』森江書店、1882年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819585〕。
釈雲照『四威儀小作法』森江佐七、1882年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819341〕。
釈雲照『密宗安心義章』真言宗法務所、1883年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819832〕。
釈雲照『十善戒略解総論』長木栄治郎、1886年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819010〕。
釈雲照『受十善戒作法諺詮』釈戒本、1888年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819026〕。
釈雲照『十善戒法易行弁』釈戒本、1888年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819009〕。
釈雲照『仏教大意』哲学書院、1889年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/817224〕。
釈雲照著・福田慈海編『十善学童日用行法略軌』花桝峻崖、1890年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819012〕。
釈雲照『十善戒弁疑』十善会、1890年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819008〕。
釈雲照述・大智記『人の道』能潤社、1891年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819749〕。
釈雲照『十善戒和讃略解』仏教婦人協会、1892年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819011〕。
釈雲照『四十八願和讃』関本諦承、1892年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/820896〕。
釈雲照『仏教大原則』経世書院、1893年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/817240〕。
釈雲照『心経大意』仏教学会、1893年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/817854〕。
釈雲照『仏教入門の初歩』経世書院、1894年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/817280〕。
釈雲照『軍事に対する観念』経世書院、1894年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/816401〕。
釈雲照述『いろはの義解』鴻盟社、1894年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/862146〕。
釈雲照『十善の法話』十善会、1895年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819014〕。
釈雲照『末法開蒙記』十善会、1897年 上〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/81982〕 下〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819823〕。
釈雲照述・佐々木量俊編『仏教入門初歩』顕道書院、1898年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/817279〕。
釈雲照『日本民族総安心』目白僧園、1900年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/816965〕。
釈雲照『国民教育之方針』博文館、1900年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/808692〕。
釈雲照『仏教大原理—付・十善戒法易行弁』博文館、1901年。
釈雲照『教育勅語の淵源』金港堂、1901年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/759265〕。
釈雲照『仏教原論』博文館、1905年〔htt://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/817137〕。
釈雲照述『予が信仰』隆文館、1907年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819854〕。
釈雲照『日本国民教育の本義略説』夫人正法会、1908年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/808579〕。
釈雲照述『十善業道経講義』光融館、1909年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/899682〕。
釈雲照『仏教通論』光融館、1910年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/817257〕。
釈雲照『金剛般若波羅蜜経講解』目白僧園、1910年〔http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/817813〕。
伊藤宏見編『雲照・興然遺墨集』文化書房博文社、1974年。 真言宗 仏教家教導職 大教院 - - - - - - - - - - - - - - - 「年譜」=「雲照大和上年譜」草繋全宜『釈雲照』上中下、徳教会、1913年。
「釈雲照 中」=草繋全宜『釈雲照』中、徳教会、1913〜1914年。 - 1
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