宇都宮黙霖

大分類明治期国学・神道・宗教関係人物データベース
分野分類 CB宗教学・神道学
人名宇都宮黙霖
+読み仮名 / NAME / 性別うつのみや もくりん / UTSUNOMIYA Mokurin / 男
+別称〔諱〕覚了[黙霖年譜]
〔俗〕雄綱[黙霖年譜]
〔幼〕采女[黙霖年譜]
〔通〕黙霖、真名介[黙霖年譜]
〔字〕絢夫[黙霖年譜]
〔号〕黙霖、雪渓、史狂、楳渓[黙霖年譜]
〔諡〕操心院[黙霖年譜]
+生年月日文政7年(1824)9月[黙霖年譜]
+没年月日明治30年(1897)9月15日[黙霖年譜]
学統・宗派浄土真宗(本願寺派)
+研究書・伝記小田豊登『宇都宮眞名介先生小伝』小田豊登、1915年。
吉野浩三『黙霖に於ける臣道実践』目黒書店、1941年。
玖村敏雄『宇都宮黙霖』広島県教育会、1933年。
☆知切光歳『宇都宮黙霖』日本電報通信社出版部、1942年。
布目唯信『吉田松陰と月性と黙霖』興教書院、1942年。
村岡繁『吉田松陰と僧黙霖—思想の対決』松陰遺墨展示館、1968年。
東広島郷土史研究会『東広島の明治維新—黙霖と神機隊』東広島郷土史研究会、1977年。
+研究論文利井興隆「明治維新の王政復古と仏教」『国体明徴と仏教』一味出版部、1936年。
川上喜蔵「宇都宮黙霖の「神仏討論傍観評」序説」『神道学』27、1960年。
山岸紘一「倒幕思想の先駆者 宇都宮黙霖の生涯と思想」『伝統と現代』62、1980年。
+事典・略伝等依田百川「聾僧默霖傳」『談叢』巻2、吉川半七、1900年。
広島市袋町小学校郷土教育研究会『本校郷土教育と郷土読本』広島市袋町小学校、1932年。
吉野浩三「宇都宮黙霖畧伝」故宇都宮黙霖先生顕彰会設立準備委員会、1936年。
神根生『明治維新の勤王僧』興教書院、1936年。
栗原定雄「聾志士宇都宮默霖」『聾口話教育』74、1940年。
栗原定雄「憂國の聾僧宇都宮默霖」『聾唖の光』1(福祉号)2、1942年。
栗原定雄「宇都宮默霖の新体制建設気概」『聾唖の光』1(教育号)1、1942年。
知切光歳「幕末の傑僧宇都宮默霖」『興亜』31、1942年。
呉新興日報社編『大呉市民史 明治篇』呉新興日報社、1943年。
武藤正行『勤皇家戸原卯橘』講談社、1944年。
梅原真隆『梅原真隆選集』31、1954年。
鳥鼠義卿『芸備の真宗学侶』飯田印刷所、1966年。
河上徹太郎『吉田松陰—武と儒による人間像』文芸春秋、1968年。
川上喜蔵編『宇都宮黙霖・吉田松陰往復書翰』錦正社、1972年。
田妻喜代人「人物評伝 郷土の先哲 宇都宮黙霖について」『芸備地方史研究』119、1978年。
日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年。
田村信三『広町—地誌 続編』広島図書出版協会、1983年。
日本仏教人名辞典編纂委員会編『日本仏教人名辞典』法蔵館、1992年。
大尾博敏『黙霖物語』宇都宮黙霖研究会、1997年。
柏原祐泉・薗田香融・平松令三監修『真宗人名辞典』法蔵館、1999年。
+略年譜文政7年(1824) 9月、安芸国賀茂郡広村長浜において、西福寺惟馨三男峻嶺と宇都宮作兵衛娘琴の私生児として生まれる。幼名采女[黙霖年譜]。
文政9年(1826) 賀茂郡川上村川上村字正力の阿弥陀堂善証庵に住す一道の養子となる[黙霖年譜]。
天保7年(1836) 養父一道と義絶し、長浜の母方で養育される[黙霖年譜]。
天保9年(1838) 琴の弟・長浜専徳寺住職常諦のもとに寓居し、手習や大学の素読を受ける[黙霖年譜]。
天保13年(1842) 賀茂郡寺西村医家野坂由節の門に入り、春秋左氏伝を習う[黙霖年譜]。
天保14年(1843) 安芸国安芸郡蒲苅島三の弘願寺住職円識の学塾・樹心斎に入り、漢籍や仏典を修める[黙霖年譜]。
弘化元年(1844) 大坂や播磨国にて遊学している間に病にかかり、聴力と吃音障害を受ける[黙霖年譜]。
弘化2年(1845) 6月14日、安芸国加茂郡長浜浦住蓮寺欣浄弟覚了として、本願寺派僧籍に入る[黙霖年譜]。
嘉永3年(1850) 備後国尾道福善寺寂円に宗乗を学ぶ。興正寺住職本寂と知り合う。九州を遊歴する[黙霖年譜]。
嘉永4年(1851) 山陰地方を遊歴[黙霖年譜]。
安政元年(1854) 広島藩、幕府から黙霖追捕の命を受け、父峻嶺等を詰問[黙霖年譜]。
安政2年(1855) 9月中旬、月性と会う。11月上旬岩国地方を回る。また、11月から吉田松陰と文通開始[黙霖年譜]。
安政3年(1856) 8月中、松陰と文通を介して論争を行う[黙霖年譜]。
慶応元年(1865) 5月13日、長州藩の陣内にて、「孫子題辞」を藩主へ上る[黙霖年譜]。
慶応2年(1866) 3月、長州藩藩校明倫館の儒員兼社寺管轄を命ぜられる。4月下旬、還俗して宇都宮真名介雄綱と称す。6月頃、広島藩に捕らえられる[黙霖年譜]。
慶応3年(1867) 広島藩から出牢。京都へ向かう[黙霖年譜]。
明治元年(1868) 冬、広島藩牢に入れられる[黙霖年譜]。
明治2年(1869) 3月6日、広島藩牢出獄[黙霖年譜]。
明治4年(1871) 6月15日、広島藩庁から帰国命令が下るも、黙霖は拒絶。8月頃、陸軍大丞船越衛の調停によって広島藩庁と黙霖との軋轢が解消され、以前没収された著述の一部が返却される。8月、太政官から終生3人扶持および大阪府において貫属士族に列するという令が下る[黙霖年譜]。
明治5年(1872) 2月、興正寺に対して還俗に付除帳を出願し、容れられる[黙霖年譜]。
明治6年(1873) 2月28日、教部省から湊川神社権宮司兼権中講義の辞令を受け、湊川神社に赴任。4月25日、教部省から男山八幡宮禰宜兼権中講義の転任辞令を受け、男山八幡宮に赴任。7月25日、禰宜兼権中講義を教部省から免じられる。8月、平民に入籍の旨、大阪府知事渡辺昇から通達を受ける[黙霖年譜]。
明治10年(1877) 1月4日、終生3人扶持の賞典を、135円の金録公債年7分利附にかえる旨が大蔵省から達せられる[黙霖年譜]。
明治12年(1879) 安芸郡役所の筆生に雇用(すぐに辞す)[黙霖年譜]。
明治15年(1882) 長浜に隠棲し、大蔵一切経和訳の最初を著す[黙霖年譜]。
明治21年(1888) 呉浦澤原家に寄留[黙霖年譜]。
明治27年(1894) 2月、勤王家の事績調査指令を受け、履歴調査書を作成の上、広島県知事鍋島幹に提出[黙霖年譜]。
明治30年(1897) 9月15日、呉市胡子町澤原邸にて病没[黙霖年譜]。
+主要著作宇都宮黙霖「草稿」1861年。
宇都宮黙霖「梅渓草稿」1巻、1862年。
宇都宮黙霖「楳渓童兒稿」6巻、1863年。
宇都宮黙霖「管評管歌」1巻、1864年。
宇都宮黙霖「遷都歌東遊稿」1巻、1864年。
宇都宮黙霖「春機堂記」1巻、1864年。
宇都宮黙霖「二十一回猛士伝」1865年。
宇都宮黙霖「孫子題辞」1865年。
宇都宮黙霖「雪草谿稿」1巻、1865年。
宇都宮黙霖「雪卿稿」1巻、1865年。
宇都宮黙霖「中庸折議」1巻、1865年。
宇都宮黙霖「孟子折議」1巻、1865年。
宇都宮黙霖「毛詩和讃」3巻、1866年。
宇都宮黙霖「詩稿」1巻、1866年。
宇都宮黙霖「毛詩和韵」3巻、1866年。
宇都宮黙霖「畳韻稿」2巻、1866年。
宇都宮黙霖「雪渓文集」1巻、1868年。
宇都宮黙霖「雪渓稿」1巻、1868年。
宇都宮黙霖「国風伝」1巻、1869年。
宇都宮黙霖「幽後雑文楮余」2巻、1869年。
宇都宮黙霖「退妖篇」1巻、1869年。
宇都宮黙霖「権輿歌」1巻、1869年。
宇都宮黙霖「幽後集」4巻、1870年。
宇都宮黙霖「回天詩和讃」1巻、1870年。
宇都宮黙霖「賦」1巻、1870年。
宇都宮黙霖「賛類」1巻、1870年。
宇都宮黙霖「勢語」2巻、1871年。
宇都宮黙霖「日本詩経畳韻」22巻、1871年。
宇都宮黙霖「日本詩経例言」1巻、1871年。
宇都宮黙霖「雪卿集」1巻、1873年。
宇都宮黙霖「評語」1巻、1874年。
宇都宮黙霖「十七条追考」1巻、1874年。
宇都宮黙霖「淡海名所」1巻、1878年。
宇都宮黙霖「短語」28巻、1882年。
宇都宮黙霖「萩露」50巻、1883年。
宇都宮黙霖「齢草」32巻、1884年。
宇都宮黙霖「藤鬘」23巻、1884年。
宇都宮黙霖「雲濤集」20巻、1885年。
宇都宮黙霖「大喪記」14巻、1885年。
宇都宮黙霖「回顧篇」12巻、1886年。
宇都宮黙霖「集経鈔」1巻、1886年。
宇都宮黙霖「結印集咒」2巻、1886年。
宇都宮黙霖「耳順一賀」1887年。
宇都宮黙霖「傍観評」1巻、1888年。
宇都宮黙霖「呈伊藤相国」1篇、1894年。
宇都宮黙霖「鄙稿」1巻、1894年。
宇都宮黙霖「詩欧文稿」1巻、1894年。
宇都宮黙霖「夜馬台手振廻扣」1巻、1894年。
宇都宮黙霖「道後行日記」1895年。
宇都宮黙霖「道後行咏歌」1895年。
宇都宮黙霖「道後行吟詩」1895年。
宇都宮黙霖「薩帋巻」1巻、1895年。
宇都宮黙霖「功徳碑誌銘」1巻、1895年。
宇都宮黙霖「台宗疏釈玄談」1897年。
宇都宮黙霖「正信偈玄談」1897年。
宇都宮黙霖「五教章玄談」1897年。
+キーワード(1)浄土真宗
+キーワード(2)神道家教導職
データベースの典拠「黙霖年譜」=知切光歳『宇都宮黙霖』日本電報通信社出版部、1942年。
-106871 50 2018/02/27 kota.saito 本登録 0 JMK000053 宇都宮黙霖 UTSUNOMIYA Mokurin 宇都宮黙霖 UTSUNOMIYA Mokurin 文政7年(1824)〜明治30年(1897) うつのみや もくりん / UTSUNOMIYA Mokurin / 男 うつのみや もくりん 〔諱〕覚了[黙霖年譜]
〔俗〕雄綱[黙霖年譜]
〔幼〕采女[黙霖年譜]
〔通〕黙霖、真名介[黙霖年譜]
〔字〕絢夫[黙霖年譜]
〔号〕黙霖、雪渓、史狂、楳渓[黙霖年譜]
〔諡〕操心院[黙霖年譜] 文政7年(1824)9月[黙霖年譜] 明治30年(1897)9月15日[黙霖年譜] 浄土真宗(本願寺派) 小田豊登『宇都宮眞名介先生小伝』小田豊登、1915年。
吉野浩三『黙霖に於ける臣道実践』目黒書店、1941年。
玖村敏雄『宇都宮黙霖』広島県教育会、1933年。
☆知切光歳『宇都宮黙霖』日本電報通信社出版部、1942年。
布目唯信『吉田松陰と月性と黙霖』興教書院、1942年。
村岡繁『吉田松陰と僧黙霖—思想の対決』松陰遺墨展示館、1968年。
東広島郷土史研究会『東広島の明治維新—黙霖と神機隊』東広島郷土史研究会、1977年。 利井興隆「明治維新の王政復古と仏教」『国体明徴と仏教』一味出版部、1936年。
川上喜蔵「宇都宮黙霖の「神仏討論傍観評」序説」『神道学』27、1960年。
山岸紘一「倒幕思想の先駆者 宇都宮黙霖の生涯と思想」『伝統と現代』62、1980年。 依田百川「聾僧默霖傳」『談叢』巻2、吉川半七、1900年。
広島市袋町小学校郷土教育研究会『本校郷土教育と郷土読本』広島市袋町小学校、1932年。
吉野浩三「宇都宮黙霖畧伝」故宇都宮黙霖先生顕彰会設立準備委員会、1936年。
神根生『明治維新の勤王僧』興教書院、1936年。
栗原定雄「聾志士宇都宮默霖」『聾口話教育』7-4、1940年。
栗原定雄「憂國の聾僧宇都宮默霖」『聾唖の光』1(福祉号)2、1942年。
栗原定雄「宇都宮默霖の新体制建設気概」『聾唖の光』1(教育号)1、1942年。
知切光歳「幕末の傑僧宇都宮默霖」『興亜』3-1、1942年。
呉新興日報社編『大呉市民史 明治篇』呉新興日報社、1943年。
武藤正行『勤皇家戸原卯橘』講談社、1944年。
梅原真隆『梅原真隆選集』31、1954年。
鳥鼠義卿『芸備の真宗学侶』飯田印刷所、1966年。
河上徹太郎『吉田松陰—武と儒による人間像』文芸春秋、1968年。
川上喜蔵編『宇都宮黙霖・吉田松陰往復書翰』錦正社、1972年。
田妻喜代人「人物評伝 郷土の先哲 宇都宮黙霖について」『芸備地方史研究』119、1978年。
日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年。
田村信三『広町—地誌 続編』広島図書出版協会、1983年。
日本仏教人名辞典編纂委員会編『日本仏教人名辞典』法蔵館、1992年。
大尾博敏『黙霖物語』宇都宮黙霖研究会、1997年。
柏原祐泉・薗田香融・平松令三監修『真宗人名辞典』法蔵館、1999年。 文政7年(1824) 9月、安芸国賀茂郡広村長浜において、西福寺惟馨三男峻嶺と宇都宮作兵衛娘琴の私生児として生まれる。幼名采女[黙霖年譜]。
文政9年(1826) 賀茂郡川上村川上村字正力の阿弥陀堂善証庵に住す一道の養子となる[黙霖年譜]。
天保7年(1836) 養父一道と義絶し、長浜の母方で養育される[黙霖年譜]。
天保9年(1838) 琴の弟・長浜専徳寺住職常諦のもとに寓居し、手習や大学の素読を受ける[黙霖年譜]。
天保13年(1842) 賀茂郡寺西村医家野坂由節の門に入り、春秋左氏伝を習う[黙霖年譜]。
天保14年(1843) 安芸国安芸郡蒲苅島三の弘願寺住職円識の学塾・樹心斎に入り、漢籍や仏典を修める[黙霖年譜]。
弘化元年(1844) 大坂や播磨国にて遊学している間に病にかかり、聴力と吃音障害を受ける[黙霖年譜]。
弘化2年(1845) 6月14日、安芸国加茂郡長浜浦住蓮寺欣浄弟覚了として、本願寺派僧籍に入る[黙霖年譜]。
嘉永3年(1850) 備後国尾道福善寺寂円に宗乗を学ぶ。興正寺住職本寂と知り合う。九州を遊歴する[黙霖年譜]。
嘉永4年(1851) 山陰地方を遊歴[黙霖年譜]。
安政元年(1854) 広島藩、幕府から黙霖追捕の命を受け、父峻嶺等を詰問[黙霖年譜]。
安政2年(1855) 9月中旬、月性と会う。11月上旬岩国地方を回る。また、11月から吉田松陰と文通開始[黙霖年譜]。
安政3年(1856) 8月中、松陰と文通を介して論争を行う[黙霖年譜]。
慶応元年(1865) 5月13日、長州藩の陣内にて、「孫子題辞」を藩主へ上る[黙霖年譜]。
慶応2年(1866) 3月、長州藩藩校明倫館の儒員兼社寺管轄を命ぜられる。4月下旬、還俗して宇都宮真名介雄綱と称す。6月頃、広島藩に捕らえられる[黙霖年譜]。
慶応3年(1867) 広島藩から出牢。京都へ向かう[黙霖年譜]。
明治元年(1868) 冬、広島藩牢に入れられる[黙霖年譜]。
明治2年(1869) 3月6日、広島藩牢出獄[黙霖年譜]。
明治4年(1871) 6月15日、広島藩庁から帰国命令が下るも、黙霖は拒絶。8月頃、陸軍大丞船越衛の調停によって広島藩庁と黙霖との軋轢が解消され、以前没収された著述の一部が返却される。8月、太政官から終生3人扶持および大阪府において貫属士族に列するという令が下る[黙霖年譜]。
明治5年(1872) 2月、興正寺に対して還俗に付除帳を出願し、容れられる[黙霖年譜]。
明治6年(1873) 2月28日、教部省から湊川神社権宮司兼権中講義の辞令を受け、湊川神社に赴任。4月25日、教部省から男山八幡宮禰宜兼権中講義の転任辞令を受け、男山八幡宮に赴任。7月25日、禰宜兼権中講義を教部省から免じられる。8月、平民に入籍の旨、大阪府知事渡辺昇から通達を受ける[黙霖年譜]。
明治10年(1877) 1月4日、終生3人扶持の賞典を、135円の金録公債年7分利附にかえる旨が大蔵省から達せられる[黙霖年譜]。
明治12年(1879) 安芸郡役所の筆生に雇用(すぐに辞す)[黙霖年譜]。
明治15年(1882) 長浜に隠棲し、大蔵一切経和訳の最初を著す[黙霖年譜]。
明治21年(1888) 呉浦澤原家に寄留[黙霖年譜]。
明治27年(1894) 2月、勤王家の事績調査指令を受け、履歴調査書を作成の上、広島県知事鍋島幹に提出[黙霖年譜]。
明治30年(1897) 9月15日、呉市胡子町澤原邸にて病没[黙霖年譜]。 - 宇都宮黙霖「草稿」1861年。
宇都宮黙霖「梅渓草稿」1巻、1862年。
宇都宮黙霖「楳渓童兒稿」6巻、1863年。
宇都宮黙霖「管評管歌」1巻、1864年。
宇都宮黙霖「遷都歌東遊稿」1巻、1864年。
宇都宮黙霖「春機堂記」1巻、1864年。
宇都宮黙霖「二十一回猛士伝」1865年。
宇都宮黙霖「孫子題辞」1865年。
宇都宮黙霖「雪草谿稿」1巻、1865年。
宇都宮黙霖「雪卿稿」1巻、1865年。
宇都宮黙霖「中庸折議」1巻、1865年。
宇都宮黙霖「孟子折議」1巻、1865年。
宇都宮黙霖「毛詩和讃」3巻、1866年。
宇都宮黙霖「詩稿」1巻、1866年。
宇都宮黙霖「毛詩和韵」3巻、1866年。
宇都宮黙霖「畳韻稿」2巻、1866年。
宇都宮黙霖「雪渓文集」1巻、1868年。
宇都宮黙霖「雪渓稿」1巻、1868年。
宇都宮黙霖「国風伝」1巻、1869年。
宇都宮黙霖「幽後雑文楮余」2巻、1869年。
宇都宮黙霖「退妖篇」1巻、1869年。
宇都宮黙霖「権輿歌」1巻、1869年。
宇都宮黙霖「幽後集」4巻、1870年。
宇都宮黙霖「回天詩和讃」1巻、1870年。
宇都宮黙霖「賦」1巻、1870年。
宇都宮黙霖「賛類」1巻、1870年。
宇都宮黙霖「勢語」2巻、1871年。
宇都宮黙霖「日本詩経畳韻」22巻、1871年。
宇都宮黙霖「日本詩経例言」1巻、1871年。
宇都宮黙霖「雪卿集」1巻、1873年。
宇都宮黙霖「評語」1巻、1874年。
宇都宮黙霖「十七条追考」1巻、1874年。
宇都宮黙霖「淡海名所」1巻、1878年。
宇都宮黙霖「短語」28巻、1882年。
宇都宮黙霖「萩露」50巻、1883年。
宇都宮黙霖「齢草」32巻、1884年。
宇都宮黙霖「藤鬘」23巻、1884年。
宇都宮黙霖「雲濤集」20巻、1885年。
宇都宮黙霖「大喪記」14巻、1885年。
宇都宮黙霖「回顧篇」12巻、1886年。
宇都宮黙霖「集経鈔」1巻、1886年。
宇都宮黙霖「結印集咒」2巻、1886年。
宇都宮黙霖「耳順一賀」1887年。
宇都宮黙霖「傍観評」1巻、1888年。
宇都宮黙霖「呈伊藤相国」1篇、1894年。
宇都宮黙霖「鄙稿」1巻、1894年。
宇都宮黙霖「詩欧文稿」1巻、1894年。
宇都宮黙霖「夜馬台手振廻扣」1巻、1894年。
宇都宮黙霖「道後行日記」1895年。
宇都宮黙霖「道後行咏歌」1895年。
宇都宮黙霖「道後行吟詩」1895年。
宇都宮黙霖「薩帋巻」1巻、1895年。
宇都宮黙霖「功徳碑誌銘」1巻、1895年。
宇都宮黙霖「台宗疏釈玄談」1897年。
宇都宮黙霖「正信偈玄談」1897年。
宇都宮黙霖「五教章玄談」1897年。 浄土真宗 神道家教導職 - - - - - - - - - - - - - - - - 「黙霖年譜」=知切光歳『宇都宮黙霖』日本電報通信社出版部、1942年。 - 1
資料ID40214

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