二上山

ふたかみやま

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名ふたかみやま;二上山
+表記二上山
TitleFutakamiyama
テキスト内容 朋神。①奈良県葛城市と大阪府南河内郡太子町の境にある山。②富山県高岡市と氷見市の境にある山。③山容が二峯に分れ、それぞれを女神、男神などと称して祀る山。①は、大津皇子の屍を「葛城の二上山」に移葬した時、姉の大来皇女が明日からは「弟背」と見ようと歌った山(2-165)。女岳(474m)・男岳(517m)の二峰からなる。現在、雄岳頂上の葛城二上神社から少し東に降りた所に宮内庁管轄の大津皇子陵があるが、山頂への移葬には疑問があり、移葬比定地には山麓の鳥谷口古墳説や加守廃寺六角堂説も提出され、その歴史的・宗教的意味には考察の余地を残す。同じ山を歌った例は万葉集中他に3例。「玉匣」を枕詞に、紀道にある妹山・背山と比べた歌(7-1098)、河内から大坂越え(穴虫越えか)で来て、時雨の中に黄葉が流れる様を詠んだ歌(10-2185)、山に月が隠れることを序に妹と離れて逢えないのを嘆く歌(11-2668)がある。②は、家持の「二上山賦」(17-3985)に、神である故に尊いと歌われたように国府周辺に住む人々に、常に意識される神のいます山であった(274m)。巻16には、「越中国歌」として鷲が子を生む多産・豊饒の山として主讃めの民謡(16-3882)に歌われる。枕詞として「玉匣」(17-3955、3985、3987、3991)や「まそ鏡」(19-4192)を冠し、月のしずむ山とも歌われる(17-3955)。越中守であった家持は、春・秋の季節ごとに「振りさけ見」(17-3985)ては偲び、這う蔦(17-3991)や樛の木(17-4006)、霍公鳥(19-4192、19-4239)に寄せて思いをはらすよすがとした。愛玩した鷹を失い、取り戻すために網を張ったと歌うのも二上山である(17-4011、4013)。作者として他に、土師宿祢道良(17-3955)、遊行女婦土師がいる(17-4067)。③は、丹比真人国人が「筑波岳」に登った時の歌で、東の国の高山の中でも筑波山が「朋神之 貴き山」であり、並んだ姿が見たくなる山だと、神代から言い継ぎ、国見した山と歌われる(3-382)。日本の山岳信仰では、円錐形の整った神南備型の山のほかに、一山二峯の山も神山として信仰された。天孫降臨で、高天原から地上への足がかりとなるのも「二上」であり(記・紀)、大嘗祭に使う聖水を汲むのも「天の二上」だった(中臣寿詞)。現在も、二上を名乗る山は宮崎県高千穂町(1080m)や岡山県久米郡美咲町両山寺(689m)など信仰の山として祀られる。
+執筆者伊藤高雄
-68838402009/07/06hoshino.seiji00DSG000664ふたかみやま;二上山Futakamiyama 朋神。①奈良県葛城市と大阪府南河内郡太子町の境にある山。②富山県高岡市と氷見市の境にある山。③山容が二峯に分れ、それぞれを女神、男神などと称して祀る山。①は、大津皇子の屍を「葛城の二上山」に移葬した時、姉の大来皇女が明日からは「弟背」と見ようと歌った山(2-165)。女岳(474m)・男岳(517m)の二峰からなる。現在、雄岳頂上の葛城二上神社から少し東に降りた所に宮内庁管轄の大津皇子陵があるが、山頂への移葬には疑問があり、移葬比定地には山麓の鳥谷口古墳説や加守廃寺六角堂説も提出され、その歴史的・宗教的意味には考察の余地を残す。同じ山を歌った例は万葉集中他に3例。「玉匣」を枕詞に、紀道にある妹山・背山と比べた歌(7-1098)、河内から大坂越え(穴虫越えか)で来て、時雨の中に黄葉が流れる様を詠んだ歌(10-2185)、山に月が隠れることを序に妹と離れて逢えないのを嘆く歌(11-2668)がある。②は、家持の「二上山賦」(17-3985)に、神である故に尊いと歌われたように国府周辺に住む人々に、常に意識される神のいます山であった(274m)。巻16には、「越中国歌」として鷲が子を生む多産・豊饒の山として主讃めの民謡(16-3882)に歌われる。枕詞として「玉匣」(17-3955、3985、3987、3991)や「まそ鏡」(19-4192)を冠し、月のしずむ山とも歌われる(17-3955)。越中守であった家持は、春・秋の季節ごとに「振りさけ見」(17-3985)ては偲び、這う蔦(17-3991)や樛の木(17-4006)、霍公鳥(19-4192、19-4239)に寄せて思いをはらすよすがとした。愛玩した鷹を失い、取り戻すために網を張ったと歌うのも二上山である(17-4011、4013)。作者として他に、土師宿祢道良(17-3955)、遊行女婦土師がいる(17-4067)。③は、丹比真人国人が「筑波岳」に登った時の歌で、東の国の高山の中でも筑波山が「朋神之 貴き山」であり、並んだ姿が見たくなる山だと、神代から言い継ぎ、国見した山と歌われる(3-382)。日本の山岳信仰では、円錐形の整った神南備型の山のほかに、一山二峯の山も神山として信仰された。天孫降臨で、高天原から地上への足がかりとなるのも「二上」であり(記・紀)、大嘗祭に使う聖水を汲むのも「天の二上」だった(中臣寿詞)。現在も、二上を名乗る山は宮崎県高千穂町(1080m)や岡山県久米郡美咲町両山寺(689m)など信仰の山として祀られる。665ふたかみやま二上山伊藤高雄ふ1
資料ID32274

PageTop