にきたつ

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名にきたつ;熟田津・飽田津・柔田津
+表記熟田津・飽田津・柔田津
TitleNikitatsu
テキスト内容現在の愛媛県松山市和気町・堀江町・古三津町あたりではないかとされているが、詳細な所在地は不明。661(斉明7)年、百済救援のため新羅遠征に向かった斉明天皇が、航海の途中である「熟田津」の伊予の湯に停泊したとされる。その際、額田王によって詠まれた「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎいでな」(1-8)は、熟田津を詠み込んだ著名な作歌でとして知られる。当該歌にみられる「船乗り」の語には、その状況から、船団の進発にあたって航海の安全を祈る儀礼の場を想定することができる。また、山部赤人の歌(3-322、323)があり、これも、伊予の温泉の作である。この歌では、天皇の行幸において詠まれ、大宮人が船乗りをする様を皇祖の神によって得られた天下安寧の喜びをあらわすものとして描かれている。
+執筆者城﨑陽子
-68779402009/07/06hoshino.seiji00DSG000605にきたつ;熟田津・飽田津・柔田津Nikitatsu現在の愛媛県松山市和気町・堀江町・古三津町あたりではないかとされているが、詳細な所在地は不明。661(斉明7)年、百済救援のため新羅遠征に向かった斉明天皇が、航海の途中である「熟田津」の伊予の湯に停泊したとされる。その際、額田王によって詠まれた「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎいでな」(1-8)は、熟田津を詠み込んだ著名な作歌でとして知られる。当該歌にみられる「船乗り」の語には、その状況から、船団の進発にあたって航海の安全を祈る儀礼の場を想定することができる。また、山部赤人の歌(3-322、323)があり、これも、伊予の温泉の作である。この歌では、天皇の行幸において詠まれ、大宮人が船乗りをする様を皇祖の神によって得られた天下安寧の喜びをあらわすものとして描かれている。606にきたつ熟田津・飽田津・柔田津城﨑陽子に1
資料ID32215

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