たまぢはふ

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名たまぢはふ;魂ぢはふ
+表記魂ぢはふ
TitleTamajihafu
テキスト内容神の許しを得られれば、神はその霊力で護ってくれる。「たま」は魂の意。「ぢはふ」は神の守護の意。また「ぢはふ」は「さちはふ」の約とも。『新撰字鏡』に「影護」を「チハフ」と訓んでいる。万葉集中に、「霊ぢはふ神も我をば打棄てこそしゑや命の惜しけくもなし」(11-2661)の1例がみえる。「守護の神も私を見捨ててしまって、もう結構です。もうこんな命なんか不要ですから」という失恋の歌で、人にはその人を守る霊や神が寄りついていると考えられていた。なお、「検税使大伴卿の、筑波山に登りし時の歌」(9-1753)に、「女神もちはひたまひて」とみえ、この「ちはひ」は「霊ぢはふ」の「ぢはふ」と等しいのであろう。歌によれば、筑波山に登ることを男神も「許し」女神も「ちはひ」なさるとみえ、この例からすれば、「ちはひ」は「許し」に意味が重なり、神の許可が「ちはひ」で、許可されれば神の守護を得たという考えであろう。
+執筆者曹咏梅
-68680402009/07/06hoshino.seiji00DSG000506たまぢはふ;魂ぢはふTamajihafu神の許しを得られれば、神はその霊力で護ってくれる。「たま」は魂の意。「ぢはふ」は神の守護の意。また「ぢはふ」は「さちはふ」の約とも。『新撰字鏡』に「影護」を「チハフ」と訓んでいる。万葉集中に、「霊ぢはふ神も我をば打棄てこそしゑや命の惜しけくもなし」(11-2661)の1例がみえる。「守護の神も私を見捨ててしまって、もう結構です。もうこんな命なんか不要ですから」という失恋の歌で、人にはその人を守る霊や神が寄りついていると考えられていた。なお、「検税使大伴卿の、筑波山に登りし時の歌」(9-1753)に、「女神もちはひたまひて」とみえ、この「ちはひ」は「霊ぢはふ」の「ぢはふ」と等しいのであろう。歌によれば、筑波山に登ることを男神も「許し」女神も「ちはひ」なさるとみえ、この例からすれば、「ちはひ」は「許し」に意味が重なり、神の許可が「ちはひ」で、許可されれば神の守護を得たという考えであろう。507たまぢはふ魂ぢはふ曹咏梅た1
資料ID32116

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