しま

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名しま;島・志摩・山斎・山池
+表記島・志摩・山斎・山池
TitleShima
テキスト内容①周囲を水で囲まれた陸地。②地名。三重県鳥羽市と志摩郡一帯の地。③池に築山を配した庭園。泉林。①は陸に対する島で、「をちこちの島は多けど」(2-220)、「島隠(がく)り我が漕ぎ来れば」(6-944)、「島陰に我が船泊(は)てむ」(9-1719)など用例は多い。②の「志摩」は、「御食(みけ)つ国志摩の海人」(6-1033)の1例のみ。「御食つ国」は、天皇の御食事の材料としての魚介類を奉る国のこと。万葉集中では、淡路(6-933)、伊勢(13-3234)、志摩の3国を「御食つ国」と呼んでいる。都に近く、新鮮な魚介類を供することができたため、かく称されたのであろう。記(天孫降臨、猿女君の条)に「島の速贄(はやにへ)」とあるのも、志摩の国から貢上される初物の贄(魚介類)のことかという。③の園池・庭園の意は、「山池」の表記が示すように、池に配した築山を海中の島に見立てての称。「妹として二人作りし我が山斎(しま)」(3-452)、「山斎の木立(こだち)も神さびにけり」(5-867)などとある「山斎」は、本来、人里離れた山間の居室、山荘を意味する漢語であるが、これを庭園の意に用いた。日並皇子(ひなみしのみこ)の宮を「島の宮」という。もと蘇我馬子の邸宅であったところを、馬子の没後に皇子の宮とした。紀に、馬子は飛鳥川のほとりに邸宅を設け、庭の池に島を築いたことから「嶋大臣(しまのおほおみ)」と呼ばれたとある(626<推古天皇34>年)。「島の宮」の呼称もこの「嶋大臣」に因むものであったか。皇子の死を悼んだ挽歌に「島の宮勾(まがり)の池の放ち鳥」(2-170)とある。飛鳥川から水を引き入れ、「上の池」(2-172)から流し、池には橋を架け(2-187)、鳥を放ち(2-180)、また、石組みを荒磯風に仕立て(2-181)、石組みの周辺には石つつじが植えられていた(2-185)。一連の挽歌群からは、およそこうした庭園の様が想起される。明日香村島の庄で発掘された庭園遺構は、この「島の宮」かという。
+執筆者尾崎富義
コンテンツ権利区分CC BY-NC
資料ID32036
-68600402009/07/06hoshino.seiji00DSG000426しま;島・志摩・山斎・山池Shima①周囲を水で囲まれた陸地。②地名。三重県鳥羽市と志摩郡一帯の地。③池に築山を配した庭園。泉林。①は陸に対する島で、「をちこちの島は多けど」(2-220)、「島隠(がく)り我が漕ぎ来れば」(6-944)、「島陰に我が船泊(は)てむ」(9-1719)など用例は多い。②の「志摩」は、「御食(みけ)つ国志摩の海人」(6-1033)の1例のみ。「御食つ国」は、天皇の御食事の材料としての魚介類を奉る国のこと。万葉集中では、淡路(6-933)、伊勢(13-3234)、志摩の3国を「御食つ国」と呼んでいる。都に近く、新鮮な魚介類を供することができたため、かく称されたのであろう。記(天孫降臨、猿女君の条)に「島の速贄(はやにへ)」とあるのも、志摩の国から貢上される初物の贄(魚介類)のことかという。③の園池・庭園の意は、「山池」の表記が示すように、池に配した築山を海中の島に見立てての称。「妹として二人作りし我が山斎(しま)」(3-452)、「山斎の木立(こだち)も神さびにけり」(5-867)などとある「山斎」は、本来、人里離れた山間の居室、山荘を意味する漢語であるが、これを庭園の意に用いた。日並皇子(ひなみしのみこ)の宮を「島の宮」という。もと蘇我馬子の邸宅であったところを、馬子の没後に皇子の宮とした。紀に、馬子は飛鳥川のほとりに邸宅を設け、庭の池に島を築いたことから「嶋大臣(しまのおほおみ)」と呼ばれたとある(626<推古天皇34>年)。「島の宮」の呼称もこの「嶋大臣」に因むものであったか。皇子の死を悼んだ挽歌に「島の宮勾(まがり)の池の放ち鳥」(2-170)とある。飛鳥川から水を引き入れ、「上の池」(2-172)から流し、池には橋を架け(2-187)、鳥を放ち(2-180)、また、石組みを荒磯風に仕立て(2-181)、石組みの周辺には石つつじが植えられていた(2-185)。一連の挽歌群からは、およそこうした庭園の様が想起される。明日香村島の庄で発掘された庭園遺構は、この「島の宮」かという。427しま島・志摩・山斎・山池尾崎富義し1

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