さやけし

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名さやけし;清けし
+表記清けし
TitleSayakeshi
テキスト内容①はっきりしていて明らかである。あざやかである。②明るく清らかである。気分的にさわやかである。すがすがしい。月明かりや景色を視覚的に捉えた用例と川や波の音、鹿の鳴き声などを聴覚的に捉えた用例に大きく二分できる。万葉集での表記の多くは「清」であるが、これは「きよし」とも「さやけし」とも訓まれている。「川見れば さやけく清し」(13-3234)や「山川を 清みさやけみ」(6-907)という用例があるように、「さやけし」と「きよし」は根本的に同対象の描写に用いられることもあり、その違いをはっきり説明するのは困難である。しかし、「清き川瀬を 見るがさやけさ」(9-1737)という用例から考えると、「きよし」が対象の汚れなきさまをあらわすことが多いのに対して、「さやけし」はその対象から受けた主体の感覚・心情について言う場合が多いようである。なお、副詞として「さやに」「さやかに」があり、「さやけし」同様に視覚・聴覚いずれの場合にも使われているが、これらの語源については、音をあらわす「さやさや」「さやぐ」などと同様に擬音語「さや」に由来するものと、すがすがしい意をあらわす「さやか」と同様に動詞「冴ゆ」と同根であるものとに大別し、それぞれ別起源だとする説もあるが決しがたい。いずれにしろ「さやけし」という語は、古代の人々の独特な美意識を反映した語だと言えよう。なお、肥前国風土記のなかの「分明を、さやけしと謂ふ」という用例は一種の土地讃めである地名起源譚のなかの用例で①の意で使われていると考えられる。同様なものとして万葉集に「今造る 久邇の都は 山川の さやけき見れば うべ知らすらし」(6-1037)という大伴家持の久邇京讃歌の用例もある。
+執筆者新谷秀夫
-68579402009/07/06hoshino.seiji00DSG000405さやけし;清けしSayakeshi①はっきりしていて明らかである。あざやかである。②明るく清らかである。気分的にさわやかである。すがすがしい。月明かりや景色を視覚的に捉えた用例と川や波の音、鹿の鳴き声などを聴覚的に捉えた用例に大きく二分できる。万葉集での表記の多くは「清」であるが、これは「きよし」とも「さやけし」とも訓まれている。「川見れば さやけく清し」(13-3234)や「山川を 清みさやけみ」(6-907)という用例があるように、「さやけし」と「きよし」は根本的に同対象の描写に用いられることもあり、その違いをはっきり説明するのは困難である。しかし、「清き川瀬を 見るがさやけさ」(9-1737)という用例から考えると、「きよし」が対象の汚れなきさまをあらわすことが多いのに対して、「さやけし」はその対象から受けた主体の感覚・心情について言う場合が多いようである。なお、副詞として「さやに」「さやかに」があり、「さやけし」同様に視覚・聴覚いずれの場合にも使われているが、これらの語源については、音をあらわす「さやさや」「さやぐ」などと同様に擬音語「さや」に由来するものと、すがすがしい意をあらわす「さやか」と同様に動詞「冴ゆ」と同根であるものとに大別し、それぞれ別起源だとする説もあるが決しがたい。いずれにしろ「さやけし」という語は、古代の人々の独特な美意識を反映した語だと言えよう。なお、肥前国風土記のなかの「分明を、さやけしと謂ふ」という用例は一種の土地讃めである地名起源譚のなかの用例で①の意で使われていると考えられる。同様なものとして万葉集に「今造る 久邇の都は 山川の さやけき見れば うべ知らすらし」(6-1037)という大伴家持の久邇京讃歌の用例もある。406さやけし清けし新谷秀夫さ1
資料ID32015

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