こうのはら

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名こうのはら;こうふのはら;子負の原
+項目名(旧かな)こうふのはら
+表記子負の原
TitleKonohara
テキスト内容現在の福岡県糸島郡の二丈町にあるとされる原の名。山上憶良が「鎮懐石」を詠んだとする歌(5-813)の序には、新羅出兵の際に、身重であった神功皇后が心を鎮めるために用いた、鶏の卵形の二つの石を、筑前国の子負の原に置いたとある。次の歌(5-814)は、そのことを永遠に語り伝えるよう、神霊の宿る石をお置きになったのであろうと伝えている。子負の原に石を置いたということは、この原が神霊によって守られる地であることを示している。神功皇后の新羅出兵に纏わるこの「鎮懐石」伝承は、九州に立ち寄った時期や石の用い方や出産の時期などの話の細部が異なりながら、記紀・風土記にも掲載されている。特に、『釈日本紀』が引用する筑前国風土記・筑紫風土記には、それぞれ「児饗の野」「子饗の原」として、万葉集と同じ地の名が見える。万葉集の「子負」という地名表記は、神功皇后が仲哀天皇を身ごもっていたという伝承を意識してのものと思われる。
+執筆者倉住薫
-68531402009/07/06hoshino.seiji00DSG000357こうのはら;こうふのはら;子負の原Konohara現在の福岡県糸島郡の二丈町にあるとされる原の名。山上憶良が「鎮懐石」を詠んだとする歌(5-813)の序には、新羅出兵の際に、身重であった神功皇后が心を鎮めるために用いた、鶏の卵形の二つの石を、筑前国の子負の原に置いたとある。次の歌(5-814)は、そのことを永遠に語り伝えるよう、神霊の宿る石をお置きになったのであろうと伝えている。子負の原に石を置いたということは、この原が神霊によって守られる地であることを示している。神功皇后の新羅出兵に纏わるこの「鎮懐石」伝承は、九州に立ち寄った時期や石の用い方や出産の時期などの話の細部が異なりながら、記紀・風土記にも掲載されている。特に、『釈日本紀』が引用する筑前国風土記・筑紫風土記には、それぞれ「児饗の野」「子饗の原」として、万葉集と同じ地の名が見える。万葉集の「子負」という地名表記は、神功皇后が仲哀天皇を身ごもっていたという伝承を意識してのものと思われる。358こうのはらこうふのはら子負の原倉住薫こ1
資料ID31967

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