かむかぜ

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名かむかぜ;神風
+表記神風
TitleKamukaze
テキスト内容①神の吹かせる風。神のいるところを吹く風ともいう。②神のような威力のある風。万葉集には1-82、2-163、同199、13-3234などに見える。『俊頼髄脳』に「神のおほんめぐみ」と解してから『袖中抄』などの歌学書に諸説が見えるが、万葉集以来、伊勢の神威にかけて考えるのが普通である。枕詞。『仙覚註釈』所引の伊勢国風土記逸文には、国つ神の伊勢津彦(いせつひこ)が神武天皇に国土を奉る証として、波風を起して東へ去ったので「神風の伊勢の国、常世の浪寄する国」と称したと「神風の伊勢」のおこりが説かれている。この逸文には出雲とは異なるもう一つの国譲り説話が描かれている。契沖は『厚顔抄』で、神武紀の久米歌「神風の伊勢の海」の注に際し、万葉集の柿本人麻呂の歌(2-199)を重視して「此ニ依ラハ、天照太神ノ吹サセ給フ風也」とした。また賀茂真淵は『冠辞考』で神代紀の風は天津神の息で、シナトベあるいはシナツヒコと呼ばれる神となったという記事を踏まえて、「こは神風の息といふべきを略きて、伊の語にいひかけたるなり」と考えた。本居宣長は『古事記伝』の久米歌の注において「契沖の、万葉二なる人麻呂の歌を引て、天照大神の吹かせ賜ふ風なりと云るは非なり、神武天皇の御時、大御神はいまだ伊勢には坐ざるものをや」と契沖説を退け、真淵の説を支持している。荒木田久老は『信濃漫録』で「神息の風といはではあらぬ語格なり」とし、『全註釈』も「伊勢の国号は、大和の国ヨリシテ背の国と為すにあるべく、イは軽く添えた語であるやうであるから、それに懸かるといふに無理があり、またこの枕詞が、他のイに始まる語に懸かつた例を見ないのも、吹息説は、不安定である」とする。『沢瀉注釈』は「神風の吹く伊勢、と解すれはよいと思ふ。神風とは大神のいます地を吹く風、伊勢は風が強く、今も土地の人はこれを「神風」と云つてゐる」とする。益田勝実は「民族的な来訪神の往来、伊勢へ吹き寄せる神風」という解釈を示している。このように伊勢に掛かる理由は諸説見られ、①②のように解釈も分かれている。枕詞としては中世以降「かみかぜや」となることが多い。また転じて、伊勢皇太神宮の中を流れる御裳濯川(五十鈴川)にかかったり、皇太神宮のある地「山田の原」「宮野の原」や、皇太神宮をあらわす「内外の宮」「朝日の宮」などにかかる。さらに神の縁の意で用いられることもある。益田勝実「神風考―天武挽歌をめぐって」『文学』51号(岩波書店)。
+執筆者渡辺卓
-68456402009/07/06hoshino.seiji00DSG000282かむかぜ;神風Kamukaze①神の吹かせる風。神のいるところを吹く風ともいう。②神のような威力のある風。万葉集には1-82、2-163、同199、13-3234などに見える。『俊頼髄脳』に「神のおほんめぐみ」と解してから『袖中抄』などの歌学書に諸説が見えるが、万葉集以来、伊勢の神威にかけて考えるのが普通である。枕詞。『仙覚註釈』所引の伊勢国風土記逸文には、国つ神の伊勢津彦(いせつひこ)が神武天皇に国土を奉る証として、波風を起して東へ去ったので「神風の伊勢の国、常世の浪寄する国」と称したと「神風の伊勢」のおこりが説かれている。この逸文には出雲とは異なるもう一つの国譲り説話が描かれている。契沖は『厚顔抄』で、神武紀の久米歌「神風の伊勢の海」の注に際し、万葉集の柿本人麻呂の歌(2-199)を重視して「此ニ依ラハ、天照太神ノ吹サセ給フ風也」とした。また賀茂真淵は『冠辞考』で神代紀の風は天津神の息で、シナトベあるいはシナツヒコと呼ばれる神となったという記事を踏まえて、「こは神風の息といふべきを略きて、伊の語にいひかけたるなり」と考えた。本居宣長は『古事記伝』の久米歌の注において「契沖の、万葉二なる人麻呂の歌を引て、天照大神の吹かせ賜ふ風なりと云るは非なり、神武天皇の御時、大御神はいまだ伊勢には坐ざるものをや」と契沖説を退け、真淵の説を支持している。荒木田久老は『信濃漫録』で「神息の風といはではあらぬ語格なり」とし、『全註釈』も「伊勢の国号は、大和の国ヨリシテ背の国と為すにあるべく、イは軽く添えた語であるやうであるから、それに懸かるといふに無理があり、またこの枕詞が、他のイに始まる語に懸かつた例を見ないのも、吹息説は、不安定である」とする。『沢瀉注釈』は「神風の吹く伊勢、と解すれはよいと思ふ。神風とは大神のいます地を吹く風、伊勢は風が強く、今も土地の人はこれを「神風」と云つてゐる」とする。益田勝実は「民族的な来訪神の往来、伊勢へ吹き寄せる神風」という解釈を示している。このように伊勢に掛かる理由は諸説見られ、①②のように解釈も分かれている。枕詞としては中世以降「かみかぜや」となることが多い。また転じて、伊勢皇太神宮の中を流れる御裳濯川(五十鈴川)にかかったり、皇太神宮のある地「山田の原」「宮野の原」や、皇太神宮をあらわす「内外の宮」「朝日の宮」などにかかる。さらに神の縁の意で用いられることもある。益田勝実「神風考―天武挽歌をめぐって」『文学』51号(岩波書店)。283かむかぜ神風渡辺卓か1
資料ID31892

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