かむあがり

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名かむあがり;神上り
+表記神上り
TitleKamuagari
テキスト内容天皇の霊が天上へと回帰すること。天皇など高貴な者の死を「崩」と書き「カムアガリ」と訓むが、これは「神上がり」からの延伸義である。一般には高貴な者の死は「神去る(神退去・薨)」といわれる。本義としての「神上がり」は、唯一、柿本人麻呂の日並皇子挽歌に「飛ぶ鳥の 浄の宮に 神ながら 太敷きまして 天皇の 敷きます国と 天の原 石門を開き 神上がり 上がり座しぬ」(2-169)に見られる。浄の宮とは飛鳥浄御原の宮のことで、天武天皇の宮である。その天武天皇は地上を統治して任務を終え、「天皇(すめろき)」の統治する国であるとして天の原の石門を開いて神上がりをしたというのである。ここには不可解な表現が見られる。その一つは、どうして天の原が天皇の統治する国なのかという疑問である。おそらくこの「天皇」は天皇霊のことであり、それゆえに「スメロキ」と呼ばれているのである。高天の原世界は、天皇霊の統治するところであり、その天皇霊とは皇祖神のことである。ここに「天皇」という語が律令的天皇と天皇の霊格という二重の構造の中に存在することが知られ、地上の天皇が崩御すると肉体は地上の陵墓に収められるが、その霊は天皇(すめろき)という霊格となり天上へと回帰するということになる。その反対が「知らしめす 神の命と 天雲の 八重かき別けて 神下し 座せまつりし」(同上)である。天上の神々は、「神の命」(天皇霊)を担う「日の皇子」(ヒという霊格)を地上へと神下し、地上の天皇とするのである。天皇は任務を終えると天皇霊となり、再び天上へと回帰するのである。二つには、天の原の「石門」とは何かということである。記紀ではニニギの命の神下しに石門を開けて地上へと降すのであり、それを受けて人麻呂はその霊が回帰する時にも石門を開けて神上がりをすると理解しているのである。この天の原の石門とは、天上の宮廷の入り口の門、すなわち「天門」であると思われる。天上の東に「角」という2つの星があり、これが天門(閶闔)である。星宿の28宿図に見られる東方七宿の中の角二星であり、キトラ古墳や高松塚古墳の星宿図に見られ、7世紀後半には天上の宮廷に関する理解は及んでいたと思われる。いわば、「神上がる」とは、天の門を開けて天の宮廷へと天皇霊が回帰することを指すのである。辰巳正明「日の皇子と高天の原神学」『折口信夫』(笠間書院)。
+執筆者辰巳正明
-68454402009/07/06hoshino.seiji00DSG000280かむあがり;神上りKamuagari天皇の霊が天上へと回帰すること。天皇など高貴な者の死を「崩」と書き「カムアガリ」と訓むが、これは「神上がり」からの延伸義である。一般には高貴な者の死は「神去る(神退去・薨)」といわれる。本義としての「神上がり」は、唯一、柿本人麻呂の日並皇子挽歌に「飛ぶ鳥の 浄の宮に 神ながら 太敷きまして 天皇の 敷きます国と 天の原 石門を開き 神上がり 上がり座しぬ」(2-169)に見られる。浄の宮とは飛鳥浄御原の宮のことで、天武天皇の宮である。その天武天皇は地上を統治して任務を終え、「天皇(すめろき)」の統治する国であるとして天の原の石門を開いて神上がりをしたというのである。ここには不可解な表現が見られる。その一つは、どうして天の原が天皇の統治する国なのかという疑問である。おそらくこの「天皇」は天皇霊のことであり、それゆえに「スメロキ」と呼ばれているのである。高天の原世界は、天皇霊の統治するところであり、その天皇霊とは皇祖神のことである。ここに「天皇」という語が律令的天皇と天皇の霊格という二重の構造の中に存在することが知られ、地上の天皇が崩御すると肉体は地上の陵墓に収められるが、その霊は天皇(すめろき)という霊格となり天上へと回帰するということになる。その反対が「知らしめす 神の命と 天雲の 八重かき別けて 神下し 座せまつりし」(同上)である。天上の神々は、「神の命」(天皇霊)を担う「日の皇子」(ヒという霊格)を地上へと神下し、地上の天皇とするのである。天皇は任務を終えると天皇霊となり、再び天上へと回帰するのである。二つには、天の原の「石門」とは何かということである。記紀ではニニギの命の神下しに石門を開けて地上へと降すのであり、それを受けて人麻呂はその霊が回帰する時にも石門を開けて神上がりをすると理解しているのである。この天の原の石門とは、天上の宮廷の入り口の門、すなわち「天門」であると思われる。天上の東に「角」という2つの星があり、これが天門(閶闔)である。星宿の28宿図に見られる東方七宿の中の角二星であり、キトラ古墳や高松塚古墳の星宿図に見られ、7世紀後半には天上の宮廷に関する理解は及んでいたと思われる。いわば、「神上がる」とは、天の門を開けて天の宮廷へと天皇霊が回帰することを指すのである。辰巳正明「日の皇子と高天の原神学」『折口信夫』(笠間書院)。,281かむあがり神上り辰巳正明か1
資料ID31890

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