おすくに

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名おすくに;をすくに;食国
+項目名(旧かな)をすくに
+表記食国
TitleOsukuni
テキスト内容天皇のお治めになる国の意で、天皇の支配・統治領域をさす。「おす」は「治める」「飲む・食う」「着る・身につける」の尊敬語。語源に関しては、「おす」を居る意の動詞の尊敬語とみる説(『大言海』)もあるが、折口信夫は天皇の召し上がる飲食物を作る国を原義として、そこからご統治なさる国の意が派生したものとみる。岡田精司は当該語詞の背景として大嘗祭にも関わる食物の供献儀礼を説く。諸国奉上の産物を食べることにより、天皇は統治者としての資格を得て、国々を領有し国家を支配するのである。上代文献には多く登場しており、記は「夜之食国」「食国之政」の用例があり、『霊異記』は天皇の治世の表現にも用いている。また、『続日本紀』を参照するに、即位における宣命には、天皇の支配・統治領域を示す表現として、文武天皇を始め必ず用いていることから、公的・社会的な要素の濃い語詞であることがわかる。万葉集においてもそれは顕著で、全10例はほぼ公式の場における歌に限られており、1例を除いて長歌であることにも注意を要する。柿本人麻呂作歌には、日並皇子尊(草壁皇子)の殯宮挽歌(2-167異伝歌詞)と高市皇子尊の殯宮挽歌(2-199)に登場し、後者では天武天皇に関し「食す国を定めたまふと」と詠み、国家を支配するために降臨した神的存在とみなす。藤原宮役民作歌では、新都を拠点に統治する国家領域として寿詞的に用いる(1-50)。行幸従駕や侍宴関係では、笠金村の難波宮行幸作歌(6-928)、大伴家持の侍宴応詔歌(19-4254)、同じく陸奥国の出金詔書を言祝ぐ歌(18-4094)にみられる。また律令官人の海外・地方赴任の際には、聖武天皇の賜酒節度使歌(6-973)、大伴旅人の石川足人への唱和歌(6-956)、家持の大伴池主との贈答歌(17-4006・4008)に用いられていることから、作者の天皇・朝廷に対する高い意識を汲み取ることができる。折口信夫「大嘗祭の本義」『全集3』(中央公論社)。岡田精司『古代王権の祭祀と神話』(塙書房)。
+執筆者小林真美
-68373402009/07/06hoshino.seiji00DSG000199おすくに;をすくに;食国Osukuni天皇のお治めになる国の意で、天皇の支配・統治領域をさす。「おす」は「治める」「飲む・食う」「着る・身につける」の尊敬語。語源に関しては、「おす」を居る意の動詞の尊敬語とみる説(『大言海』)もあるが、折口信夫は天皇の召し上がる飲食物を作る国を原義として、そこからご統治なさる国の意が派生したものとみる。岡田精司は当該語詞の背景として大嘗祭にも関わる食物の供献儀礼を説く。諸国奉上の産物を食べることにより、天皇は統治者としての資格を得て、国々を領有し国家を支配するのである。上代文献には多く登場しており、記は「夜之食国」「食国之政」の用例があり、『霊異記』は天皇の治世の表現にも用いている。また、『続日本紀』を参照するに、即位における宣命には、天皇の支配・統治領域を示す表現として、文武天皇を始め必ず用いていることから、公的・社会的な要素の濃い語詞であることがわかる。万葉集においてもそれは顕著で、全10例はほぼ公式の場における歌に限られており、1例を除いて長歌であることにも注意を要する。柿本人麻呂作歌には、日並皇子尊(草壁皇子)の殯宮挽歌(2-167異伝歌詞)と高市皇子尊の殯宮挽歌(2-199)に登場し、後者では天武天皇に関し「食す国を定めたまふと」と詠み、国家を支配するために降臨した神的存在とみなす。藤原宮役民作歌では、新都を拠点に統治する国家領域として寿詞的に用いる(1-50)。行幸従駕や侍宴関係では、笠金村の難波宮行幸作歌(6-928)、大伴家持の侍宴応詔歌(19-4254)、同じく陸奥国の出金詔書を言祝ぐ歌(18-4094)にみられる。また律令官人の海外・地方赴任の際には、聖武天皇の賜酒節度使歌(6-973)、大伴旅人の石川足人への唱和歌(6-956)、家持の大伴池主との贈答歌(17-4006・4008)に用いられていることから、作者の天皇・朝廷に対する高い意識を汲み取ることができる。折口信夫「大嘗祭の本義」『全集3』(中央公論社)。岡田精司『古代王権の祭祀と神話』(塙書房)。
200おすくにをすくに食国小林真美お1
資料ID31809

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