おおなむちすくなひこな

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名おおなむちすくなひこな;おほなむちすくなひこな;大汝少彦名
+項目名(旧かな)おほなむちすくなひこな
+表記大汝少彦名
TitleOnamuchisukunahikona
テキスト内容 神名。通常オホナムチの神、スクナヒコナの神と並び称される二柱の神。オホアナモチ、スクナヒコ、スクナヒコネとも。日本古代の多くの文献―記紀、万葉集、出雲国風土記、播磨国風土記、風土記逸文(尾張国、伊豆国、伊予国)『古語拾遺』、『先代旧事本紀』、『文徳実録』等に、その事跡をともなって記載されている。これら種々の文献に伝える神格は多様であり、また神名の表記も一定していない。記では、オホナムチは皮を剥れた兎を医療の知識で救い、因幡のヤカミヒメを妻として得ることを予言されるが、これを嫉妬した八十神に殺害される。母神によって蘇生した後、紀伊国を経て根の堅州国へ赴き、その国の主宰神スサノヲの試練に耐えて妻と神宝を獲得し、スサノヲによって「大国主神」となることを約束される。大国主神となったこの神が出雲の海辺にいる時、海の彼方からやって来る小人神がスクナヒコナである。二神はともに国を作ったが、その後スクナヒコナは常世国に渡った。紀では、スクナヒコナは記と同様に海からやって来た小人神で、二神は力を合わせて天下を経営し、人間と家畜の医療を司り、害虫害獣をはらった。後に記と同様に小人神のみ常世へと退去したという。また記紀には酒造りの神としてスクナミカミが語られるが、これはスクナヒコナと同神とされている。出雲国風土記には「天の下造らしし大神大穴持命」と記され、そこではオホナムチが国土を造った神とされていたことがわかる。風土記の記事には、二神そろって国内を巡行するものが多く、稲種を落とす(出雲国飯石郡、播磨国揖保郡)、温泉を開く(逸文伊豆国、逸文伊予国)などに特徴がある。万葉集では、4首の歌に取り上げられている。この二神の座した岩窟(「大汝少彦名のいましけむしつの岩屋」)は何世代も経たもの(3-355)、二神は山を作り(7-1247)、山を名付け(6-963)、始原の神代から存在している(18-4106)と歌われて、悠かな過去、始まりの時に存在していた神とされる。そこには、「国」に関わる神というよりは、より素朴な形で「土地」に関わって人々に語り継がれていた二神の姿が読み取れよう。『文徳実録』では、この二神が鹿島大洗の磯に石の形で出現したとあり、石神としても伝えられたことがわかる。この石神としての伝承は、延喜式の「大穴持神像石神社」「宿那彦神像石神社」の社名にもその形跡がうかがわれ、また万葉集(3-355)の「岩屋」にも関連があるかもしれない。松村武雄『日本神話の研究(3)』(培風館)。松前健『日本神話の形成』(塙書房)。菅野雅雄『古事記構想の研究』(桜楓社)。三浦佑之「大国主神話の構造と語り」『古事記研究大系(8)』(高科書店)。
+執筆者寺田恵子
-68354402009/07/06hoshino.seiji00DSG000180おおなむちすくなひこな;おほなむちすくなひこな;大汝少彦名Onamuchisukunahikona 神名。通常オホナムチの神、スクナヒコナの神と並び称される二柱の神。オホアナモチ、スクナヒコ、スクナヒコネとも。日本古代の多くの文献―記紀、万葉集、出雲国風土記、播磨国風土記、風土記逸文(尾張国、伊豆国、伊予国)『古語拾遺』、『先代旧事本紀』、『文徳実録』等に、その事跡をともなって記載されている。これら種々の文献に伝える神格は多様であり、また神名の表記も一定していない。記では、オホナムチは皮を剥れた兎を医療の知識で救い、因幡のヤカミヒメを妻として得ることを予言されるが、これを嫉妬した八十神に殺害される。母神によって蘇生した後、紀伊国を経て根の堅州国へ赴き、その国の主宰神スサノヲの試練に耐えて妻と神宝を獲得し、スサノヲによって「大国主神」となることを約束される。大国主神となったこの神が出雲の海辺にいる時、海の彼方からやって来る小人神がスクナヒコナである。二神はともに国を作ったが、その後スクナヒコナは常世国に渡った。紀では、スクナヒコナは記と同様に海からやって来た小人神で、二神は力を合わせて天下を経営し、人間と家畜の医療を司り、害虫害獣をはらった。後に記と同様に小人神のみ常世へと退去したという。また記紀には酒造りの神としてスクナミカミが語られるが、これはスクナヒコナと同神とされている。出雲国風土記には「天の下造らしし大神大穴持命」と記され、そこではオホナムチが国土を造った神とされていたことがわかる。風土記の記事には、二神そろって国内を巡行するものが多く、稲種を落とす(出雲国飯石郡、播磨国揖保郡)、温泉を開く(逸文伊豆国、逸文伊予国)などに特徴がある。万葉集では、4首の歌に取り上げられている。この二神の座した岩窟(「大汝少彦名のいましけむしつの岩屋」)は何世代も経たもの(3-355)、二神は山を作り(7-1247)、山を名付け(6-963)、始原の神代から存在している(18-4106)と歌われて、悠かな過去、始まりの時に存在していた神とされる。そこには、「国」に関わる神というよりは、より素朴な形で「土地」に関わって人々に語り継がれていた二神の姿が読み取れよう。『文徳実録』では、この二神が鹿島大洗の磯に石の形で出現したとあり、石神としても伝えられたことがわかる。この石神としての伝承は、延喜式の「大穴持神像石神社」「宿那彦神像石神社」の社名にもその形跡がうかがわれ、また万葉集(3-355)の「岩屋」にも関連があるかもしれない。松村武雄『日本神話の研究(3)』(培風館)。松前健『日本神話の形成』(塙書房)。菅野雅雄『古事記構想の研究』(桜楓社)。三浦佑之「大国主神話の構造と語り」『古事記研究大系(8)』(高科書店)。

181おおなむちすくなひこなおほなむちすくなひこな大汝少彦名寺田恵子お1
資料ID31790

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