おおきみ

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名おおきみ;おほきみ;天皇・大王・大君
+項目名(旧かな)おほきみ
+表記天皇・大王・大君
TitleOkimi
テキスト内容天皇・皇子・皇女に対する尊称。本来は天皇を対象とするが、万葉集では柿本人麻呂の歌を中心に皇子・皇女に対しても用いられる。用字は一字一音の仮名書きのほか、大王(57例)、王(27例)、大皇(13例)、皇(7例)、大君・多公(各1例)で、大王が最も多く、天皇の表記も8例見られる。大皇・皇は天皇の表記に近く、天皇の称に関連してのものであろう。成句の面では、「遠(とほ)の朝廷(みかど)」、「任(ま)けのまにまに」、「命(みこと)かしこみ」など、統治や命令に関係した語句が下接する例が多く、統治者をさす基本的な語彙といえる。統治者のあり方を象徴するのは君主号であり、大枠として大王(だいおう)号から天皇号への展開としてそれは把握される。大王(だいおう)の称は5世紀の、「辛亥年」(471年)の年紀を記す稲荷山古墳出土の鉄剣銘や江田船山古墳出土の大刀銘に見え、雄略天皇(ワカタケル)を対象にこの称が用いられる。また、それらの銘文では、その支配にかかわって「天下」の語がともに用いられ、大王は「天(あめ)の下」、すなわち全世界の支配者として位置づけられている。もっとも、この点は、倭国が中国から冊封(さくほう)されていた実情とそぐわず、倭国的な中華思想に基づくものと解されている。従来大王については、王に対する単なる尊称とみて、君主号とは認めがたいとする議論もあるが、こうした世界観に表裏して使用されている点からみて、称号としての意義を認めるべきであろう。大王を称号として漢字による成語とみた場合には、君主やそれに連なる人に対する尊称である和語の「おほきみ」とはいちおう区別されることになる。ただし、万葉集では、大王の表記が「おほきみ」の訓字として最多を数えている。訓字のこうした傾向も君主号としての表記の伝統を受けてのものとみると、逆に理解しやすいことになる。一方、律令制の君主については、「儀制令」に、時に応じて用いる称として天子・天皇・皇帝・陛下などの語が挙げられるが、実際には天皇の称を中心とするものであったとみられている。天皇の語については、日本で独自に作られたとする理解がある一方で、道教や仏教など外来思想の影響も一方では指摘され、なかでも道教において宇宙の最高神とされる「天皇大帝」に由来するという見解が広くみられる。また、その成立時期についても、主要な説として推古朝説、天智朝説、天武・持統朝説がある。奈良県明日香村の飛鳥池遺跡から天皇号木簡が出土したことにより、近時は天武朝段階があらためて注目されているが、推古朝説も依然根強い。ただし、天皇号の成立が君主像の質的な変化を受けてのものという理解は広く認められるところであり、その点は万葉集の表現に即しても考えられている。橋本達雄は、記紀歌謡・万葉歌双方に見られる「やすみしし我が大君」の表現を考察して、枕詞の「やすみしし」は全世界を統治する意で、天皇号同様道教の教理に基づいて案出されたものという。また、この表現は「敢て伝統的な呼称と用字を継承しながら、それと明確に区別するために『やすみしし』を冠し」たものであり、「諸豪族の上に超越した呼称」として天皇号に通じ、双方は表裏の関係にあって、ともに推古朝に生み出されたものと説く。また西條勉は、天皇号の成立を天武朝ととらえ、天武に対する神格化表現との関係に注目して、「オホキミ賛美の決まり文句は、伝統的な『やすみししわが大王』から『大王は神にしませば』という神格化の表現を経て、オホキミを神そのものとして称える『高光る日の御子』『高照らす日の御子』『神ながら神さびせすと』といった表現に拡張されていった。この展開は連続的なものではなく、あいだに〈天皇号の成立〉を挟んで断続している」と説き、天武朝を画期として、持統朝へと展開、深化したことを指摘する。橋本説も西條説も天皇号の成立にかかわって「おほきみ」像の変化を説く点は同じである。異なるのはその時期と変化の内実である。天皇号の成立が推古朝・天武朝それぞれに考えられている点を踏まえれば、それぞれが統治者像に変化をもたらした画期であったと考えられる。そして、質的に大きく変化するという点では、現神(あきつかみ)としての神格化表現が顕在化する天武朝、またその動向を受けて展開した持統朝ということになろう。奈良朝になると、そうした神格化表現のうち「日の皇子」の賛辞は見られなくなるものの、人麻呂に始まる「神ながら」の表現は継承され、天皇やその皇統に対する神聖観が保持されるなか、天武・持統の時代が聖代として仰がれるようになる。「おおきみ」像の変化という点では、天武・持統朝がやはり大きな画期であったとみなされる。渡辺茂「古代君主の称号に関する二、三の試論」『史流第8号』(北海道教育大学史学会)。東野治之「『大 王』号の成立と『天皇』号の成立」『ゼミナール日本古代史下』(光文社)。西嶋定生『日本歴史の国際 環境』(東京大学出版会)。森公章「天皇号の成立をめぐって」『古代日本の対外意識と通交』(吉川弘文館)。神野志隆光『柿本人麻呂研究』(塙書房)。大津透「天皇号の成立」『古代の天皇制』(岩波書店)。熊谷公男『日本の歴史第3巻 大王から天皇へ』(講談社)。吉村武彦『古代天皇の誕生』(角川書店)。津田左右吉「天皇考」『日本上代史の研究』(岩波書店)。土橋寛「上代文学と神仙思想」『日本古代の呪祷と説話』(塙書房)。福永光司・上田正昭・上山春平『道教と古代の天皇制』(徳間書店)。櫻井満「『やすみしし』と『知らしめす』」『大嘗祭を考える』(桜楓社)。橋本達雄「やすみしし我が大君考」『万葉集の時空』(笠間書院)。西條勉「天皇号の成立と王権神話」『東アジアの古代文化』98号(大和書房)。
+執筆者菊地義裕
-68347402009/07/06hoshino.seiji00DSG000173おおきみ;おほきみ;天皇・大王・大君Okimi天皇・皇子・皇女に対する尊称。本来は天皇を対象とするが、万葉集では柿本人麻呂の歌を中心に皇子・皇女に対しても用いられる。用字は一字一音の仮名書きのほか、大王(57例)、王(27例)、大皇(13例)、皇(7例)、大君・多公(各1例)で、大王が最も多く、天皇の表記も8例見られる。大皇・皇は天皇の表記に近く、天皇の称に関連してのものであろう。成句の面では、「遠(とほ)の朝廷(みかど)」、「任(ま)けのまにまに」、「命(みこと)かしこみ」など、統治や命令に関係した語句が下接する例が多く、統治者をさす基本的な語彙といえる。統治者のあり方を象徴するのは君主号であり、大枠として大王(だいおう)号から天皇号への展開としてそれは把握される。大王(だいおう)の称は5世紀の、「辛亥年」(471年)の年紀を記す稲荷山古墳出土の鉄剣銘や江田船山古墳出土の大刀銘に見え、雄略天皇(ワカタケル)を対象にこの称が用いられる。また、それらの銘文では、その支配にかかわって「天下」の語がともに用いられ、大王は「天(あめ)の下」、すなわち全世界の支配者として位置づけられている。もっとも、この点は、倭国が中国から冊封(さくほう)されていた実情とそぐわず、倭国的な中華思想に基づくものと解されている。従来大王については、王に対する単なる尊称とみて、君主号とは認めがたいとする議論もあるが、こうした世界観に表裏して使用されている点からみて、称号としての意義を認めるべきであろう。大王を称号として漢字による成語とみた場合には、君主やそれに連なる人に対する尊称である和語の「おほきみ」とはいちおう区別されることになる。ただし、万葉集では、大王の表記が「おほきみ」の訓字として最多を数えている。訓字のこうした傾向も君主号としての表記の伝統を受けてのものとみると、逆に理解しやすいことになる。一方、律令制の君主については、「儀制令」に、時に応じて用いる称として天子・天皇・皇帝・陛下などの語が挙げられるが、実際には天皇の称を中心とするものであったとみられている。天皇の語については、日本で独自に作られたとする理解がある一方で、道教や仏教など外来思想の影響も一方では指摘され、なかでも道教において宇宙の最高神とされる「天皇大帝」に由来するという見解が広くみられる。また、その成立時期についても、主要な説として推古朝説、天智朝説、天武・持統朝説がある。奈良県明日香村の飛鳥池遺跡から天皇号木簡が出土したことにより、近時は天武朝段階があらためて注目されているが、推古朝説も依然根強い。ただし、天皇号の成立が君主像の質的な変化を受けてのものという理解は広く認められるところであり、その点は万葉集の表現に即しても考えられている。橋本達雄は、記紀歌謡・万葉歌双方に見られる「やすみしし我が大君」の表現を考察して、枕詞の「やすみしし」は全世界を統治する意で、天皇号同様道教の教理に基づいて案出されたものという。また、この表現は「敢て伝統的な呼称と用字を継承しながら、それと明確に区別するために『やすみしし』を冠し」たものであり、「諸豪族の上に超越した呼称」として天皇号に通じ、双方は表裏の関係にあって、ともに推古朝に生み出されたものと説く。また西條勉は、天皇号の成立を天武朝ととらえ、天武に対する神格化表現との関係に注目して、「オホキミ賛美の決まり文句は、伝統的な『やすみししわが大王』から『大王は神にしませば』という神格化の表現を経て、オホキミを神そのものとして称える『高光る日の御子』『高照らす日の御子』『神ながら神さびせすと』といった表現に拡張されていった。この展開は連続的なものではなく、あいだに〈天皇号の成立〉を挟んで断続している」と説き、天武朝を画期として、持統朝へと展開、深化したことを指摘する。橋本説も西條説も天皇号の成立にかかわって「おほきみ」像の変化を説く点は同じである。異なるのはその時期と変化の内実である。天皇号の成立が推古朝・天武朝それぞれに考えられている点を踏まえれば、それぞれが統治者像に変化をもたらした画期であったと考えられる。そして、質的に大きく変化するという点では、現神(あきつかみ)としての神格化表現が顕在化する天武朝、またその動向を受けて展開した持統朝ということになろう。奈良朝になると、そうした神格化表現のうち「日の皇子」の賛辞は見られなくなるものの、人麻呂に始まる「神ながら」の表現は継承され、天皇やその皇統に対する神聖観が保持されるなか、天武・持統の時代が聖代として仰がれるようになる。「おおきみ」像の変化という点では、天武・持統朝がやはり大きな画期であったとみなされる。渡辺茂「古代君主の称号に関する二、三の試論」『史流第8号』(北海道教育大学史学会)。東野治之「『大 王』号の成立と『天皇』号の成立」『ゼミナール日本古代史下』(光文社)。西嶋定生『日本歴史の国際 環境』(東京大学出版会)。森公章「天皇号の成立をめぐって」『古代日本の対外意識と通交』(吉川弘文館)。神野志隆光『柿本人麻呂研究』(塙書房)。大津透「天皇号の成立」『古代の天皇制』(岩波書店)。熊谷公男『日本の歴史第3巻 大王から天皇へ』(講談社)。吉村武彦『古代天皇の誕生』(角川書店)。津田左右吉「天皇考」『日本上代史の研究』(岩波書店)。土橋寛「上代文学と神仙思想」『日本古代の呪祷と説話』(塙書房)。福永光司・上田正昭・上山春平『道教と古代の天皇制』(徳間書店)。櫻井満「『やすみしし』と『知らしめす』」『大嘗祭を考える』(桜楓社)。橋本達雄「やすみしし我が大君考」『万葉集の時空』(笠間書院)。西條勉「天皇号の成立と王権神話」『東アジアの古代文化』98号(大和書房)。
174おおきみおほきみ天皇・大王・大君菊地義裕お1
資料ID31783

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