あらたまの

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名あらたまの;荒玉の・璞の
+表記荒玉の・璞の
TitleAratamano
テキスト内容「年」「月」などにかかる枕詞。語義やかかり方は未詳。万葉集では、一字一音表記の例を除くと「荒玉(珠)」「璞」と表記される場合がほとんどである。「璞」は『和名抄』(十巻本)に「玉未理也」とあり、掘り出したままでまだ磨いていない玉の意味である。「未玉」(12-2956)の用字例もあることから、少なくとも万葉集の表記上はその意味が意識されていたと考えられる。このことから、荒玉を磨くという意味の「砥(と)」と同音を含む「年」にかかるという説や、荒玉は角張っていて「鋭(と)し」であるから「年」にかかるという説があり、やがて「月」などにも転用していったとされている。しかし、「砥」「鋭」の「と」はいずれも甲類音で「年」の「と」は乙類音であることから、語源として疑問視されてもいる。一方で、『和名抄』(二十巻本)によれば遠江国の郡名に「麁玉(あらたま)」があり、万葉集にも「阿良多麻の寸戸の林に」(14-3353)「璞の寸戸が竹垣」(11-2530)などとよまれていることから、まず地名の「寸戸(きへ)」との関わりがあり、やがて「阿良多麻の来経(きへ)ゆく年の」(5-881)といった用法から転じて「年」「月」にかかるようになったとみる説もある。また、大伴家持の歌には「年行き返り」(17-3978、18-4116、19-4156、20-4490)「年返る」(17-3979)など、時間が経過して年が改まるという表現にかかる例がみられ、「あらたまの」は「改まる」と同根の語であり、年月の循環や一新に関わるとする説もある。記中巻の景行天皇条には「あらたまの年が来経れば あらたまの年は来経行く」(歌謡28)とよまれた例もみえる。ほかにも、新月に魂のよみがえりを想定して「新魂の月」といったのが元であるという説など多くの説があるが、いずれも定説には至っていない。「玉」「魂」は同根の和語であり、荒玉を「あらみたま」の意とみるならば、霊魂に関する神事や呪術に由来するとも考えられる。
+執筆者井上さやか
-68243402009/07/06hoshino.seiji00DSG000069あらたまの;荒玉の・璞のAratamano「年」「月」などにかかる枕詞。語義やかかり方は未詳。万葉集では、一字一音表記の例を除くと「荒玉(珠)」「璞」と表記される場合がほとんどである。「璞」は『和名抄』(十巻本)に「玉未理也」とあり、掘り出したままでまだ磨いていない玉の意味である。「未玉」(12-2956)の用字例もあることから、少なくとも万葉集の表記上はその意味が意識されていたと考えられる。このことから、荒玉を磨くという意味の「砥(と)」と同音を含む「年」にかかるという説や、荒玉は角張っていて「鋭(と)し」であるから「年」にかかるという説があり、やがて「月」などにも転用していったとされている。しかし、「砥」「鋭」の「と」はいずれも甲類音で「年」の「と」は乙類音であることから、語源として疑問視されてもいる。一方で、『和名抄』(二十巻本)によれば遠江国の郡名に「麁玉(あらたま)」があり、万葉集にも「阿良多麻の寸戸の林に」(14-3353)「璞の寸戸が竹垣」(11-2530)などとよまれていることから、まず地名の「寸戸(きへ)」との関わりがあり、やがて「阿良多麻の来経(きへ)ゆく年の」(5-881)といった用法から転じて「年」「月」にかかるようになったとみる説もある。また、大伴家持の歌には「年行き返り」(17-3978、18-4116、19-4156、20-4490)「年返る」(17-3979)など、時間が経過して年が改まるという表現にかかる例がみられ、「あらたまの」は「改まる」と同根の語であり、年月の循環や一新に関わるとする説もある。記中巻の景行天皇条には「あらたまの年が来経れば あらたまの年は来経行く」(歌謡28)とよまれた例もみえる。ほかにも、新月に魂のよみがえりを想定して「新魂の月」といったのが元であるという説など多くの説があるが、いずれも定説には至っていない。「玉」「魂」は同根の和語であり、荒玉を「あらみたま」の意とみるならば、霊魂に関する神事や呪術に由来するとも考えられる。70あらたまの荒玉の・璞の井上さやかあ1
資料ID31679

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