韓神社
大分類 | 式内社データベース |
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旧郡名 | 宮内省 |
+座数 | 2 |
官幣・国幣 | 官幣 |
社格 | 名大・月・新 |
名神大社・大社・小社 | 名大 |
月次祭・新嘗祭の有無 | 月・新 |
テキスト内容 | ・天平神護元年(765)「園神 廿戸 韓神 十戸〈並讃岐国、同年(天平神護元年)奉充〉」(『格勅符抄』大同元年牒〈806〉) ・嘉祥3年(850)10月20日「亦遣右中弁兼右近衛中将従四位下藤原朝臣氏宗向園神韓神等社、策命曰、 天皇が詔旨に申給く、御冠奉授むと祷申賜ひしに依て、従五位下の御冠を奉授り崇奉る状を、御位記令持て奉出す、此状を聞食て、 天皇朝庭を常磐に堅磐に護幸奉賜へと申給くと申、」(『文実』) ・斉衡2年(855)9月9日「以園神韓神列於名神、」(『文実』) ・天安2年(858)11月20日「停園韓神祭、自此之後、鎮魂新嘗等諸祭皆停止、」(『三実』) ・貞観元年(859)11月14日から貞観15年(873)11月16日まで毎年(2月・11月の一方もしくは両方)、園韓神祭の斎行記録有り(『三実』『紀略』) ・貞観16年(874)2月11日「停園韓神祭、」(『紀略』) ・同2月15日「欲修魂鎮祭、而十二日皇太后宮犬死、今日内裏犬産、神祇官卜云、園韓神今年春秋不祠仍成祟、」(『三実』国史大系本によると「恐衍、見十二月紀」)→同年12月15日 ・同11月16日「先是、十月廿七日木工寮史生出雲島成死、喪家人入寮、寮官人参入内裏、由是、平野、梅宮、春日、大原野、園韓神、鎮魂等諸祭、皆従停廃、大祓於建礼門前、」(『三実』) ・貞観17年(875)2月23日「停園韓神祭、」(『三実』) ・貞観17年(875)2月23日から仁和2年(886)まで、下記の記録以外は毎年(2月・11月の一方もしくは両方)、園韓神祭の通常斎行記録有り。 ・元慶4年(880)2月17日「内裏犬産之穢、延及所司、仍停園韓神祭、」(『三実』) ・元慶5年(881)2月11日「是夜、園韓神祭如常、不歌舞、縁諒闇也、」(『三実』) |
+神階の変遷(~六国史) | 「天皇朝庭」の「護幸」のため、韓神に従五位下(『文実』嘉祥3年〈850〉10月20日) *特記事項に詳細 →韓神に従三位(『文実』斉衡元年〈854〉4月9日) →従三位韓神に正三位(『三実』貞観元年〈859〉正月27日) |
+標柱(金剛寺本) | (貞) |
資料ID | 180560 |
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