【解説】高山寺文書 三通

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+解説高山寺文書 三通

本學所蔵の「高山寺文書」は、武田祐吉博士旧蔵「高山寺文書」(以下武田博士旧蔵「高山寺文書」と略称)の三通(貴‐1908‐(1~3))と平成元年度に購入された一通(貴‐3026)、計四通がある。
 武田博士旧蔵「高山寺文書」は
1 養和元年(1182)十二月廿一日付八条院庁侍所旬日見参
2 (年未詳)十一月七日付言成自筆書状(前欠か)
3 (年未詳)八月五日付某自筆書状
の三紙三通からなっている。
 これらの文書は各紙共中央に折目の跡があり、いずれも聖教の紙背文書のあるもので、うち武田博士旧蔵の三通に書写されている聖教は、天台宗の教義を説いた章疎の断簡であり、訓点を施しかつ文言の連続している第一紙・第二紙(それぞれ一・二号文書の背)、およびこの二紙とは異筆で訓点を施さず文言も連続しない第三紙(第三号文書の背)との二種に分かれる。書写行数は、第一紙が表裏各十行、第二紙が表十一行・裏十行、第三紙が表十一行(ただし二行分の空白あり)・裏十三行である。文書・章疎とも大部分の文字を判読しうる。また、以上の三紙は裏打もない生な文書で、原型をとどめた貴重なものである。
 これらの文書と、もと一具であった考えられる文書は
 国立歴史民俗博物館所蔵「高山寺文書」(三十五通)
 国立国会図書館所蔵「根岸家旧蔵武家文書」(四通)
 国立国会図書館所蔵「高山寺古文書」(五通)
 内閣文庫所蔵「山科家古文書」(八通)
 高山寺典籍文書綜合調査団編『高山寺文書』(六通)
 島田乾三郎氏所蔵文書(三通)
 京都大学所蔵「古文書集」(一通)
が知られている。この一連の紙背文書は、八条院庁文書であったと推定され、今後の八条院庁・八条院領等の研究に重要な文書であり、その歴史的価値は高い。
 1号文書は八条院庁侍所の勤務状況を知ることができる。また、国立歴史民俗博物館所蔵「高山寺文書」32号に養和元年十一月廿二日付八条院庁侍所旬日見参が一通あり、さらに国立国会図書館所蔵「高山寺古文書」(『国立国会図書館所蔵貴重書解題』8巻、40号)に侍所所見参注文等がある。
 2号文書を内容から見ると、目代が国を離れて上洛し、在庁・百姓等は損田の裁許を要求して所当官物の納入を拒み、貯蔵されていた米穀は殆ど舂き食され尽すという非常事態が知られるので、この書状の作成されたのはおそらく治承・寿永の内乱の最中、なかでも養和年中の飢餓の頃の可能性が高い。源平争乱期の在地の情況を物語る好史料の一つである。
 3号文書は高安庄と東常門庄との相論についての文書である。
 1号から3号までは、一つの箱に入っていて、それぞれに雁皮をもって包まれている。箱蓋内側に
「修理大夫平経盛明後日可参仕候、
為成□ともハ
養和元年侍所見参
大蔵卿高階泰経高安庄領」
という貼紙(13.4×6.9糎)があり、又箱蓋前面に「古文状五十四」とある。箱は漆塗、被せ蓋造り、金具付、組紐残片がある。
(貴‐1908)

  参考文献
一、鈴木茂男「鈴木要三氏旧蔵高山寺文書について」『栃木県史研究』10号 栃木県教育委員会 1975年12月刊
二、山本信吉「文化庁保管高山寺文書(六曲屏風貼付)」『古文書研究』10号 吉川弘文館 1976年12月刊
三、小川信「武田祐吉博士旧蔵高山寺文書(三通)」『古文書研究』23号 吉川弘文館 1984年12月刊 または『國學院大學図書館蔵武田祐吉博士旧蔵善本解題』 國學院大學武田祐吉博士旧蔵善本解題編集委員会編 角川書店 1985年12月刊
四、石井進「源平争乱期の八条院領‐「八条院庁文書」を中心に‐」 『日本中世史研究の軌跡』 永原慶二・佐々木潤之助編 東大出版会 1988年4月刊
五、石井進「源平争乱期の八条院周辺‐「八条院庁文書」を手がかりに‐」 『中世の人と政治』 石井進 編 吉川弘文館 1988年7月刊
+登録番号(図書館資料ID)貴1908
所有者(所蔵者)國學院大學図書館
コンテンツ権利区分CC BY-SA-ND
資料ID144211
-144210 37 2020/11/18 r.teshina 【解説】高山寺文書 三通 【解説】高山寺文書 三通 貴1908 17 007 高山寺文書 三通

本學所蔵の「高山寺文書」は、武田祐吉博士旧蔵「高山寺文書」(以下武田博士旧蔵「高山寺文書」と略称)の三通(貴‐1908‐(1~3))と平成元年度に購入された一通(貴‐3026)、計四通がある。
 武田博士旧蔵「高山寺文書」は
1 養和元年(1182)十二月廿一日付八条院庁侍所旬日見参
2 (年未詳)十一月七日付言成自筆書状(前欠か)
3 (年未詳)八月五日付某自筆書状
の三紙三通からなっている。
 これらの文書は各紙共中央に折目の跡があり、いずれも聖教の紙背文書のあるもので、うち武田博士旧蔵の三通に書写されている聖教は、天台宗の教義を説いた章疎の断簡であり、訓点を施しかつ文言の連続している第一紙・第二紙(それぞれ一・二号文書の背)、およびこの二紙とは異筆で訓点を施さず文言も連続しない第三紙(第三号文書の背)との二種に分かれる。書写行数は、第一紙が表裏各十行、第二紙が表十一行・裏十行、第三紙が表十一行(ただし二行分の空白あり)・裏十三行である。文書・章疎とも大部分の文字を判読しうる。また、以上の三紙は裏打もない生な文書で、原型をとどめた貴重なものである。
 これらの文書と、もと一具であった考えられる文書は
 国立歴史民俗博物館所蔵「高山寺文書」(三十五通)
 国立国会図書館所蔵「根岸家旧蔵武家文書」(四通)
 国立国会図書館所蔵「高山寺古文書」(五通)
 内閣文庫所蔵「山科家古文書」(八通)
 高山寺典籍文書綜合調査団編『高山寺文書』(六通)
 島田乾三郎氏所蔵文書(三通)
 京都大学所蔵「古文書集」(一通)
が知られている。この一連の紙背文書は、八条院庁文書であったと推定され、今後の八条院庁・八条院領等の研究に重要な文書であり、その歴史的価値は高い。
 1号文書は八条院庁侍所の勤務状況を知ることができる。また、国立歴史民俗博物館所蔵「高山寺文書」32号に養和元年十一月廿二日付八条院庁侍所旬日見参が一通あり、さらに国立国会図書館所蔵「高山寺古文書」(『国立国会図書館所蔵貴重書解題』8巻、40号)に侍所所見参注文等がある。
 2号文書を内容から見ると、目代が国を離れて上洛し、在庁・百姓等は損田の裁許を要求して所当官物の納入を拒み、貯蔵されていた米穀は殆ど舂き食され尽すという非常事態が知られるので、この書状の作成されたのはおそらく治承・寿永の内乱の最中、なかでも養和年中の飢餓の頃の可能性が高い。源平争乱期の在地の情況を物語る好史料の一つである。
 3号文書は高安庄と東常門庄との相論についての文書である。
 1号から3号までは、一つの箱に入っていて、それぞれに雁皮をもって包まれている。箱蓋内側に
「修理大夫平経盛明後日可参仕候、
為成□ともハ
養和元年侍所見参
大蔵卿高階泰経高安庄領」
という貼紙(13.4×6.9糎)があり、又箱蓋前面に「古文状五十四」とある。箱は漆塗、被せ蓋造り、金具付、組紐残片がある。
(貴‐1908)

  参考文献
一、鈴木茂男「鈴木要三氏旧蔵高山寺文書について」『栃木県史研究』10号 栃木県教育委員会 1975年12月刊
二、山本信吉「文化庁保管高山寺文書(六曲屏風貼付)」『古文書研究』10号 吉川弘文館 1976年12月刊
三、小川信「武田祐吉博士旧蔵高山寺文書(三通)」『古文書研究』23号 吉川弘文館 1984年12月刊 または『國學院大學図書館蔵武田祐吉博士旧蔵善本解題』 國學院大學武田祐吉博士旧蔵善本解題編集委員会編 角川書店 1985年12月刊
四、石井進「源平争乱期の八条院領‐「八条院庁文書」を中心に‐」 『日本中世史研究の軌跡』 永原慶二・佐々木潤之助編 東大出版会 1988年4月刊
五、石井進「源平争乱期の八条院周辺‐「八条院庁文書」を手がかりに‐」 『中世の人と政治』 石井進 編 吉川弘文館 1988年7月刊 1

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