【解説】毛利輝元自筆書状集 一巻~三巻

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+解説毛利輝元自筆書状集 [貴-1699~1701]

〈解題〉

本学所蔵「毛利輝元自筆書状集」は全二十二通、三巻に納められている。戦国・織豊期か ら江戸期にかけての大名、毛利輝元(1553-1625)の自筆による書状で、その内訳は次の通 り。

1 年月日未詳、「右近」宛、署判なし(縦28.9糎×横47.8糎)
2 年月日未詳、「右近」宛、署判なし(縦31.0糎×横50.1糎)
3 年月日未詳、「右近」宛、署判なし(縦29.2糎×横47.5糎)
4 年月日未詳、「右近」宛、署判なし(縦31.3.糎×横50.1糎)
5 年月日未詳、「右近」宛、署判なし(縦32.4.糎×横50.3糎)
6 年月日未詳、「右近」宛、署判なし(縦32.5.糎×横50.6糎)※以上、第一巻
7 年月日未詳、「右近」宛、署判なし(縦31.0.糎×横43.7糎)
8 年月日未詳、「右近」宛、署判なし(縦31.0.糎×横48.9糎)
9 年月日未詳、「右近」宛、署判なし(縦31.0.糎×横49.4糎)
10 年月日未詳、「右近」宛、署判なし(縦30.3糎×横48.0糎)
11 年月日未詳、「右近」宛、署判なし(縦31.0糎×横49.8糎)
12 年月日未詳、「粟右」宛、署判なし(縦29.2糎×横44.6糎)
13 年月日未詳、「あわ右近」宛、署判なし(縦27.2糎×横38.3糎)
14 年月日未詳、「粟右近」宛、署判なし(縦26.5糎×横41.7糎)※以上、第二巻
15 年月日未詳、宛所なし、署判なし(縦16.1糎×横47.5糎)
16 年月日未詳、「粟右近」宛、署判なし(縦30.9糎×横46.3糎)
17 年月日未詳、「粟右」宛、署判なし(縦29.2糎×横44.6糎)
18 年月日未詳、「粟右近」宛、署判なし(縦26.5㎝×横41.7㎝)
19 (年未詳)卯月六日、「粟右」宛、花押あり(縦32.6㎝×横48.8㎝)
20 年月日未詳、「あわ右近」宛、署判なし(縦31.4㎝×横48.3㎝)
21 (年未詳)七月十一日、「粟九郎右」、花押あり(縦35.1㎝×横53.6㎝)
22 年月日未詳、「あわ右近」宛、署判なし(縦30.8㎝×横49.4㎝)※以上、第三巻
中近世武家社会において最上位の身分に位置する大名の書状は、右筆によって書かれるの が通例であるが、毛利氏においては勃興の祖元就、その後継者の隆元、そしてその子輝元と、 極めて多くの自筆書状を残している。毛利本家のみならず、吉川家を継いだ元春(元就次 男)・小早川家を継いだ隆景(元就三男)も同様の傾向にあり、このような毛利一族の自筆 書状の多さは、戦国大名中でも異彩を放っていると言えよう。

この「毛利輝元自筆書状集」は、すべて毛利氏代々の家臣粟屋氏に宛てて出されており、 一点「あわ九郎右」宛のものがあるほかは、いずれも「粟屋右近」こと粟屋元貞宛となって いる。『萩藩閥閲録』によれば、元貞は天正十六(1588)年七月二十六日に従五位下右近大夫 に叙任、寛永七(1630)年三月に六十八歳で死去している。「あわ九郎右」は、粟屋九郎右衛 門元重であろうか。年号が記されているものは皆無、月日が書かれているものもわずか二点 しかない。さらに発給者である毛利輝元の実名が書かれているものもなく、かろうじて花押 が据えられているものが二点ある。月日や署名・花押が書かれていないことからは、輝元に とって粟屋元貞がそれだけ気心が知れた間柄であったことと考えられる。時期的には、いず れも慶長年間を遡ることはなく、豊臣から江戸初期にかけてのものであろう。頻出するのは 輝元の嫡男の秀就。また「20」には黒田如水の名もみえる。書状がやりとりされた場所とし ては、「4」に伏見の地名があり、また「22」には智積院・清水といった寺院名が確認でき ることから、主に上方であったと想定される。
+登録番号(図書館資料ID)貴1699-1701
所有者(所蔵者)國學院大學図書館
コンテンツ権利区分CC BY-NC-ND
資料ID144070

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