【解説】古今和歌集 鎌倉時代写 武田祐吉旧蔵本

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+解説古今和歌集  [貴1851]

〈外題〉なし
〈内題〉「古今和哥集巻第一」(巻三以降は「古今和歌集」)
〈巻冊〉20巻1冊
〈体裁〉綴葉装
〈書写年代〉南北朝時代
〈表紙寸法〉縦30.0糎×横22.2糎
〈書入・貼紙〉イ本注記、声点、朱点など多数。
〈奥書〉書本云 本奥云、越本如此、又ノイ本此書様無之/此集家々所称雖説々多且任師説/又加了見、為備後学之證本不顧/老眼之不堪手自書之、近代僻案之/好士等以書生之失錯称有識之秘事/可謂道之魔姓、不可用之、但如此用捨/只可随其身所好、不可存自他之差別、志/同者可随之
 貞応元年十一月廿日○戸部尚書在判
  後朝以人令読合書入落字畢
寛元々年十月八日以京極中納言入道自筆之本/書写此校畢、云文字云書様聊不相違書/本所写留也、於当道最可秘達者乎
 建長四年九月七日 午刻書写畢
  後日一校畢
建長八年 沽洗九日書写校合畢、文字/書様如書本写之、而彼本僻事有其数/是展転書写之錯歟、猶以證本可校合/者也矣
寂恵法師  後日以朱少々有勘付事、極以自由事歟/早可消之 同年七月四日於李部之亭以越州史之/證本悉以令比校之処少々有相違事、仍/行数書様文字等任彼本悉皆直付畢/即加墨点付越本是也、又彼奥書詞云
此本申請右典厩年来御所持之本所書写也/彼本者京極中納言定家自筆也、彼卿於和謌/既得独歩於仮名能弁子細云々、是以書写/調帖之間、和字漢字勿用異作、行沽寸法/悉移本体無省老賢之證本是末代之/規模而已于時宝治第三之暦大蔟初八之候/聊記子細以備後見矣
又云
 建長四年六月十九日以右兵衛督教定朝臣本/重一校、即少々有所直付、所謂称氏本是也/為氏朝臣自筆之本也、而其父為家卿加自筆/奥書、其詞曰
   建長四年卯月中旬
    以家秘本令書写之
     為備證本也
     前亜相戸部尚書藤(花押抹消)
 建長第八之暦夷則初三之候/九条内府基、五条三品俊、京極黄門定三本/壬生二品家、清輔朝臣等、已上以此等之本/遂校合之処、区皆相違、頗迷是非、仍/啻守京本之一隅為指南、暫以余本之/異説傍付之畢而已
〈解題〉

墨付122丁で、料紙は斐楮混漉。表紙は茶色牡丹唐草文様の緞子。本文は貞応元年(1222)11月20日の奥書を持つ藤原定家書写本。和歌本文は一行書。奥書によれば、本書は、寂恵が建長八年(1256)3月9日に貞応元年(1222)11月20日定家書写本を書写し、後日、朱書で注記を加えた後、李部(源親行)邸にて、越州刺史(北条実時)所持本を以て校合した本の転写本とされる。

〈参考〉

・『國學院大學図書館蔵 武田祐吉博士旧蔵善本解題』 (角川書店 1985年)

・川上新一郎「寂恵の古今集研究について」(『斯道文庫論集』38 2004年2月)

・川上新一郎「貞応元年十一月廿日定家奥書本古今集考-寂恵の古今集研究について(続)-」(『斯道文庫論集』39 2005年2月)

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資料ID143236
-+テーマ検索 春の特別列品「恋とさすらいの系譜―源氏物語と平安文学」143235 37 2020/11/18 r.teshina 【解説】古今和歌集 鎌倉時代写 武田祐吉旧蔵本 【解説】古今和歌集 鎌倉時代写 武田祐吉旧蔵本 貴1851 03 003 古今和歌集  [貴1851]

〈外題〉なし
〈内題〉「古今和哥集巻第一」(巻三以降は「古今和歌集」)
〈巻冊〉20巻1冊
〈体裁〉綴葉装
〈書写年代〉南北朝時代
〈表紙寸法〉縦30.0糎×横22.2糎
〈書入・貼紙〉イ本注記、声点、朱点など多数。
〈奥書〉書本云 本奥云、越本如此、又ノイ本此書様無之/此集家々所称雖説々多且任師説/又加了見、為備後学之證本不顧/老眼之不堪手自書之、近代僻案之/好士等以書生之失錯称有識之秘事/可謂道之魔姓、不可用之、但如此用捨/只可随其身所好、不可存自他之差別、志/同者可随之
 貞応元年十一月廿日○戸部尚書在判
  後朝以人令読合書入落字畢
寛元々年十月八日以京極中納言入道自筆之本/書写此校畢、云文字云書様聊不相違書/本所写留也、於当道最可秘達者乎
 建長四年九月七日 午刻書写畢
  後日一校畢
建長八年 沽洗九日書写校合畢、文字/書様如書本写之、而彼本僻事有其数/是展転書写之錯歟、猶以證本可校合/者也矣
寂恵法師  後日以朱少々有勘付事、極以自由事歟/早可消之 同年七月四日於李部之亭以越州史之/證本悉以令比校之処少々有相違事、仍/行数書様文字等任彼本悉皆直付畢/即加墨点付越本是也、又彼奥書詞云
此本申請右典厩年来御所持之本所書写也/彼本者京極中納言定家自筆也、彼卿於和謌/既得独歩於仮名能弁子細云々、是以書写/調帖之間、和字漢字勿用異作、行沽寸法/悉移本体無省老賢之證本是末代之/規模而已于時宝治第三之暦大蔟初八之候/聊記子細以備後見矣
又云
 建長四年六月十九日以右兵衛督教定朝臣本/重一校、即少々有所直付、所謂称氏本是也/為氏朝臣自筆之本也、而其父為家卿加自筆/奥書、其詞曰
   建長四年卯月中旬
    以家秘本令書写之
     為備證本也
     前亜相戸部尚書藤(花押抹消)
 建長第八之暦夷則初三之候/九条内府基、五条三品俊、京極黄門定三本/壬生二品家、清輔朝臣等、已上以此等之本/遂校合之処、区皆相違、頗迷是非、仍/啻守京本之一隅為指南、暫以余本之/異説傍付之畢而已
〈解題〉

墨付122丁で、料紙は斐楮混漉。表紙は茶色牡丹唐草文様の緞子。本文は貞応元年(1222)11月20日の奥書を持つ藤原定家書写本。和歌本文は一行書。奥書によれば、本書は、寂恵が建長八年(1256)3月9日に貞応元年(1222)11月20日定家書写本を書写し、後日、朱書で注記を加えた後、李部(源親行)邸にて、越州刺史(北条実時)所持本を以て校合した本の転写本とされる。

〈参考〉

・『國學院大學図書館蔵 武田祐吉博士旧蔵善本解題』 (角川書店 1985年)

・川上新一郎「寂恵の古今集研究について」(『斯道文庫論集』38 2004年2月)

・川上新一郎「貞応元年十一月廿日定家奥書本古今集考-寂恵の古今集研究について(続)-」(『斯道文庫論集』39 2005年2月)

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