落合芳幾

OCHIAI, Yoshiiku
1833-1904

作家略歴

浮世絵師。本名は落合幾次郎。号は一蕙斎、朝霞楼など。1849年頃、歌川国芳に入門し、55年に安政の大地震の惨状を写した錦絵で名声を得る。兄弟弟子の月岡芳年と幕末の風潮を反映した血みどろ絵の共作《英名二十八衆句》で知名度を上げ、幕末・明治期に人気を二分した。72年、戯作者の條野採菊と、貸本屋番頭の西田伝助とともに、『東京日日新聞』(毎日新聞の前身)を発刊する。74年より、『東京日々新聞』大錦(新聞錦絵)の錦絵を担当するほか、『平仮名絵入新聞』『歌舞伎新報』の刊行にも参画し、表紙や挿絵を描いた。戯作者や好事家との交流から新聞事業へ専念するようになってからは、錦絵制作から距離を置き、挿絵や役者肖像に取り組んだ。

この作家の作品一覧[全3件]

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