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久慈渓流の砂子彦三郎歌碑

名称ヨミクジケイリュウノスナコヒコサブロウカヒ
地域大川目町
所在地岩手県久慈市大川目町久慈渓流岩井橋
年代平成17年5月29日(2005)
解説砂子彦三郎は明治28年大川目村で生まれ、大正14年、30歳の時に大川目村の収入役、昭和12年には助役、昭和17年から21年まで大川目村村長を務めた。
短歌とのかかわりは18歳ころからで、若い頃から短歌の創作に励み、多くの作品を残している。
大正9年、25歳の時に第一歌集「秋泉集(しゅうせんしゅう)」、36歳の時に「高原(こうげん)」、49歳の時に「山時雨(やましぐれ)」、72歳の時に「杉群(すぎむら)」を刊行した。
昭和43年、73歳の時には、現在の「久慈短歌会」の前身である「くじ歌を詠む会」を主宰し、市民のための文芸創作活動の基礎を築いた。
彦三郎は短歌の他に、「久慈渓流小唄」・「久慈湾小唄」などの民謡や、久慈市、大野村、普代村、軽米町、九戸村などの小中学校20校以上もの校歌も作詞している。昭和50年8月15日没、80歳。
「歌人砂子彦三郎を顕彰する会」により、平成16年に遺歌集「忍冬(にんどう)」の刊行、平成17年にこの歌碑が建立された。
「春疾風荒びし名残り夕空は黄に濁りつつ遠き山鳴り」(昭和40年、「杉群」所収)

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