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牛の角突き

名称ヨミウシノツノツキ
地域来内
所在地岩手県久慈市山形町来内第20地割
指定年月日市・平成28年5月2日
解説 久慈市山形町の平庭高原では、東北地方では唯一となる闘牛大会が開催される。若牛の練習会である5月のわかば場所のほか、6月のつつじ場所、9月のしらかば場所、10月のもみじ場所の年4回となる。
 現在のような闘牛大会は、昭和35年(1960)に「平庭高原つつじまつり」の興行として行われたのが最初との記録が残るが、さらに起源をたどると、藩政時代(江戸時代)、久慈地方で生産した塩などを内陸部へと牛の隊列を率いて輸送しており、その牛の群れの中における優劣を決めるために「牛の角突き」を行ったのが始まりとされる。
 藩政時代、久慈地方で生産された塩や鉄などを牛の背に積み、「野田街道」(通称「塩の道」)を通って、盛岡・鹿角方面に運搬していた。その荷物を運ぶ牛の群れを「ハズナ」といい、通常5~7頭の雄牛で構成された。ハズナのリーダーとなるのが「ワガサ」と呼ばれる牛で、春先に牛方が立ち合いの上、角突きをさせて優劣をつけ、ワガサを決定した。
 「塩の道」を歩く牛の群れではワガサを先頭にすると弱い牛はその後方につき、決して追い越すことはせず、牛方はワガサをコントロールすればハズナを統率できた。
 このような牛を闘わせる習俗を、地元では「角突き」・「突き合わせ」・「ベゴ突き」・「ベゴ相撲」などと呼んでいた。
 現在、国内では6県9市町で闘牛が行なわれている。久慈市山形町の闘牛は東北地方では唯一であり、日本国内において北限の開催地でもある。
 「牛の角突き」は藩政時代における物資を運搬した街道に関わる交通史、運搬した塩や鉄等に関わる産業史、飼育した牛に関わる畜産業史等、人と牛との関わりを含めた当地方の歴史・文化を伝える習俗として貴重であることから、平成28年5月2日、久慈市の無形民俗文化財に指定された。
サンプルワードイベント・観光

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