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久慈の海女漁の技術

名称ヨミクジノアマリョウノギジュツ
地域小袖
所在地小袖漁港
年代明治初期~現代
指定年月日市・平成30年3月20日
解説 女性による素潜り漁が行われている地域は世界的に見てもほとんど例がなく、日本と、韓国の済州(チェジュ)島で行われているのみである。
 日本国内では久慈市のほか、三重県、石川県、静岡県、千葉県などで営まれているが、海女漁の従事者数は大きく減少している。久慈市は、海女漁が営まれている地域としては地理的に最も北に位置していることから、久慈の海女のことを「北限の海女」と称している。
 久慈地方における女性による素潜り漁は、明治期に久喜地区で始まり、その後、他の地域に広まったとされる。大正期には男女ともに素潜り漁を行っていたが、昭和初期の頃から男性がもっぱら沖合漁業に従事するようになると、男性の素潜り漁は行われなくなっていき、第2次世界大戦の頃には女性の素潜り漁のみが残ることとなった。
 戦中から戦後にかけての食糧難を解消するために農業の兼業が進み、女性の負担が増えたことにより、海女漁を行う女性は減少していき、海女漁の年間実施日数も減っていった。
 昭和30年頃から、観光客向けに素潜りの実演を行う観光海女が行われるようになる。現在みられる海女の絣半纏(かすりはんてん)の衣装は、観光海女への転換の際に新たに考案されたものである。
 観光海女による素潜り実演は、小袖地区と大尻地区において行われていたが、昭和58年(1983)4月27日に発生したいわゆる「久慈大火」により、大尻地区の観光施設が焼失した影響で、大尻地区の観光海女は途絶えた。海女の素潜り実演は小袖地区において続けられている。 
 現在、久慈市では、久喜・三崎・小袖地区において海女漁が伝承されている。
 久慈の海女漁は、久慈地域の自然環境を背景に成立しており、当地域の特色をよく表している伝統的な漁法として貴重であることから、平成30年(2018)3月20日、「久慈の海女漁の技術」として、久慈市の無形民俗文化財に指定された。
サンプルワードイベント・観光

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