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川崎稲荷神の由来について(説明碑)
名称ヨミ | カワサキイナリシンノユライニツイテ(セツメイヒ) |
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地域 | 長内町 |
所在地 | 岩手県久慈市長内町第23地割25稲荷神社境内 |
年代 | 平成11年4月10日(1999) |
解説 | 川崎稲荷神社の由来について ここに鎮座している「稲荷神社」についての由来を記して後世の記録とするものである。 昭和二年常磐商会が久慈地方で砂鉄の製錬を始めるにあたり、久慈浜に鉄骨の製錬工場を建設した。 その節工事の守護神として、伏見稲荷大社より稲荷神二体の分神を得て、一体は久慈浜の工場に、もう一体は鉱山部の白山にそれぞれ鎮座された。 昭和八年三月三日の三陸沖地震津波により久慈浜工場が大きな被害を受け、ご神体は建物もろとも埋没してしまったが掘り起こしてみると屋根の柾一枚も落ちておらず、稲荷神のご加護の偉大さを思い知らされるものがあった。 かくして昭和十五年川崎製鉄となり、現川崎町に工場の移転に伴い「川崎神社」として迎えられ、製鉄所従業員の礼拝を受けてきた。 昭和五十三年九月川崎製鉄工場の撤去により稲村寛一氏と相計り、川崎神社のご神体を現在の稲荷神社に遷座することとし、この地を永遠の安住の地と定め鎮座することとなったものである。 平成十一年四月十日 久慈市小久慈町 批杷辰蔵 建之 |
サンプルワード | 史跡 |