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卯子酉大明神(神祇祭祀碑)

名称ヨミウネトリダイミョウジン(ジンギサイシヒ)
地域長内町
所在地岩手県久慈市長内町第28地割107-2付近三叉路
年代安政2年6月(1855)
解説久慈市指定史跡「平沢一里塚」のほど近く、道路の分岐地点に所在する。
[銘文]
右ハのた
安政二年
夘子酉大明神
夘六月日
左ハくき
八日町舛田屋良吉
内容【卯子酉大明神とは?】
下閉伊郡普代村に所在する「鵜鳥(うのとり)神社」。卯子酉(うねとり)神社、卯子酉大明神とも呼ばれる。由緒によると、平安時代の初めの延暦23年(804)卯子酉山薬師寺として建立されたのが始まりとも、大同2年(807)4月8日、卯子酉大明神として開眼されたのが起源とも言われている。
海上安全、豊漁、縁結び、安産の神として、広い地域で信仰されており、久慈からも多くの参詣者があったものと思われる。
卯子酉大明神の石碑は藩政時代の「浜街道」沿いにあり、この街道は久慈から卯子酉大明神への参詣の道でもあった。道標を兼ねた祭祀碑として建立されたものと推定される。
石碑のある場所は三叉路となっている。ただし、石碑は元の建立場所からは多少移動している可能性がある。
「左ハくき」:現在の市道とおおむね同様の行程で、三崎半島の館石地区を経由し久喜地区に至る街道を指すものと推測。
「右ハのた」:現・久慈市宇部町を経由し野田村に至る街道を指すものと推測。現在は廃道となっており正確なルートは不明。
「八日町舛田屋良吉」は石碑の建立者と思われるが、記録が残っておらず人物は不明である。

参考:鵜鳥神社(夘子酉神社・うねどり様)」鵜鳥神社社務所刊・1991 改訂第二版
   岩手県神社名鑑 昭和63年 岩手県神社庁 刊

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