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頌徳碑(長内市松顕彰碑)
名称ヨミ | ショウトクヒ(オサナイイチマツケンショウヒ) |
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地域 | 川井 |
所在地 | 岩手県久慈市山形町川井 丹内神社 |
年代 | 昭和44年11月3日(1969) |
解説 | (正面) 頌徳碑 従六位勲六等 長内市松翁 岩手県知事 千田正書 (背面) 碑文 長内氏は明治二十六年九月十五日九戸郡山形村大字川井九の八一に生まれ明治三十七年三月川 井尋常小学校四学年卒業 大正六年二月若冠二十五才にして山形村収入役に就任以後十五年間 村財政の確立に努め 昭和七年十月選ばれて村長に就任し 昭和二十一年十一月公職追放令に 依り退職する迄十四年間 恰も満州事変 支那事変 大東亜戦争とうち続く戦時体制下に在っ てあらゆる困難に遭遇しつゝ村政の振興に努力す 昭和三十年四月再び村長の職に就き 昭和 三十四年四月まで通算実に三十三年の永きに亘り地方自治の発展に尽力した 茲に於いて氏が 永年に亘り地域住民の福祉増進と郷土の発展育成に貢献し町村行政史上不滅の功績を樹立した 偉業に対し 昭和三十四年四月日本功労顕彰協会東久通名誉総裁により自治功労記念章を授与せ られた なお その間山形村産業組合事務理事 山形村農会長 山形村警防団長 山形村農業 委員会長 岩手県経済農業協同組合連合合理事等の要職に在っては地方産業の進展に力を致す の外 久慈沼区内線の改良工事完成に伴う国鉄バスの開通をはじめ 山形村産業組合の設立と その後における強化育成 農協事業としての全村電化第一期工事の完成 教育医療施設の整備 等その功績は枚挙にいとまなく 今日における山形村発展の基礎を築いた功労は誠に大いなる ものがあり 茲に村政施行八十周年を迎うるに当りその偉徳を録し後世に伝え報恩の微意を表 するものである 因みに氏は昭和四十一年八月七十四才を以て偉大なる生涯を閉じられた 昭和四十四年十一月三日 協賛者イロハ順 長内三藏 長内新三郎 金子定一 茅森弥平治 高屋敷英志 田口譲 滝山浪次郎 中野虎雄 久保田助次郎 工藤泰忠 山崎善作 二ツ神武藏 二又幸四郎 佐々木武司 清水邦夫 清水吾一 下舘重男 城内福松 城内義郎 代表小笠原道夫 |