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砂子彦三郎歌碑

名称ヨミスナコヒコサブロウカヒ
地域大川目町
所在地岩手県久慈市大川目町山口 岩井川沿い採石場付近
年代平成17年5月吉日(2005)
解説(正面)
砂子彦三郎歌碑
春疾風荒びし名残り夕空は
黄に濁りつ遠き山鳴り
岩城信雲かく
(背面)
郷土が生んだ農民歌人砂子彦三郎を顕彰し その業績を永く後世に伝えるためにこの碑を 建立する 砂子彦三郎は明治二十八年九戸郡大川目村(現久慈市)に生まれ家業の農林業に勤しみながら大川目村長久慈市農業委員会々長等の要職を歴任し地域の振興に貢献した かたわら短歌の道に情熱を燃やし多くの優れた作品を残している 歌集に「秋泉集」「山時雨」「高原」「杉群」及び遺歌集「忍冬」がある 「杉群」は久慈地方短詩型文学の普及発展にも寄与し久慈市民文芸賞創設にあたって市民文芸特別賞を受賞したのちに「北辺の灯」と称された 歌碑に彫り込んだ歌は「杉群」からとった下の句の「黄に濁りつつ」は黄砂か つとに「奥深い歌風」で知られる彦三郎を偲んでの選歌である 昭和五十年八月八十歳で永眠した 平成十七年五月吉日 歌人砂子彦三郎を顕彰する会 会長 佐々木正一
内容【砂子彦三郎とは?】
砂子彦三郎は1895年生まれ。10代から短歌を詠み始め、久慈市や九戸郡各地の小中学校の校歌や久慈渓流小唄を作詞するなど、久慈地方を代表する農業歌人として活動。1975年に80歳で逝去。

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