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金刀比羅神社天保三年俳諧献額

名称ヨミコトヒラジンジャテンポウサンネンハイカイケンガク
所在地久慈市湊町13-90 金刀比羅神社
年代江戸時代
指定年月日2025/3/31
解説金刀比羅神社天保三年俳諧献額(ことひらじんじゃ てんぽうさんねん はいかいけんがく)
 
 「金刀比羅神社天保三年俳諧献額」は、天保3年(1832)、当時の俳人たちが詠んだ句109句を額に記し、現在の久慈市湊町にある金刀比羅神社に奉納されたものである。久慈の俳人のみならず各地から句が寄せられており、八戸藩第7代藩主南部信房公から句を賜っていることは特筆すべき点である。藩政時代の久慈地方における俳諧文化の隆盛を伝えるとともに、文化交流の範囲の広さを知ることができる貴重な資料である。

 「金刀比羅神社天保三年俳諧献額」は、天保3年(1832)7月、久慈市湊町の金刀比羅神社に奉納されたもので、願主は、久慈の俳人である白野・白意・嵯忠・魯仙・橘平・梅星軒馬来の6名で、願主らの句が中心となり、春51句、夏30句、秋11句、冬8句、文音9句の計109句から成る。この6人は、当時の久慈の政治・経済の中心的人物でもあった。
 八戸藩第7代藩主南部信房も句を寄せており、信房は幼い頃から俳諧をたしなみ、研鑽を重ねて俳諧を推奨し、「俳諧の藩主」として知られ、五梅庵畔李と号した。献額には五梅庵畔李と信房の側室である花月堂李州の句も寄せられている。
 句を寄せた俳人の範囲は、久慈・野田・大野・八戸・一戸・福岡・沼宮内・岩泉・五戸・野辺地・宮古の他、仙台・江戸・京都にまで及んでおり、文化交流の広さを知ることができる。
 額は、縦52cm、横387cmの大額であり、けやきの一枚板に墨書されている。「天保三年壬辰七月吉日 梅星軒八重歳現書」とあり、梅星軒馬来80歳の時の揮毫によるものである。梅星軒馬来は久慈出身の俳人で、現在の岩手県北地域の俳壇における重鎮であった。本名を中野鋼庵という。八戸藩の御典医を勤め、藩主信房の信望厚い名医であった。
 大額で句数も多く、八戸藩主の句が掲載され、江戸時代後期の久慈地方における俳諧文化の隆盛を伝える貴重な資料である。

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