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川崎製鉄久慈工場跡地

名称ヨミカワサキセイテツクジコウジョウアトチ
地域中心街
所在地岩手県久慈市川崎町1-1久慈市役所前
年代昭和55年10月(1980)
解説(正面)
川崎製鉄久慈工場跡地
(背面)
跡地追蹝
昭和一二年国内の鉄資源の開発が
国家的要請となり久慈地方の砂鉄
が注目されたのがこの時期昭和一四年
この地に川崎製鉄工場久慈製鉄所を
開設した
用地二〇万三、八〇〇平方メートル蓬萊殖
産株式会社から鉱区(小久慈町白山地区)
を買収し川崎製鉄鉱山として原料を
確保昭和一六年本格操業
生産されたルッペは航空機用特殊鋼
に使用され同二〇年の最盛期には在籍社
員一、三八七を擁し国家的使命を果す
企業としての地歩を得る
戦後石炭不足のため一時休止したが
昭和二四年再開同三八年には生産量
七万二、〇〇〇トンに達した
その後技術の進歩により特殊鋼原
料としての価値を失い昭和四二年一〇月
工場閉鎖のやむなきに至ったしかし工場
が果したクルップレン法という砂鉄製錬の
数少い技術は製鉄技術史上その意義
が髙く評価されている
昭和五十五年十月
久慈市長 久慈義昭

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