祖霊像(ウリ)
ME. No. | 10202 |
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資料分類名 | 彫像 Figure |
現地名 | Uli |
素材 | 木(Alstonia scholaris)、膠着材(パリナリウムナッツ+泥)、黒色顔料(木炭)、白色顔料(石灰)、茶色顔料(材料不明)、巻貝の蓋(リュウテンサザエ科か)、植物製繊維 |
L.(㎝) | - |
W.(㎝) | - |
H.(㎝) | - |
地域区分 | メラネシア Melanesia |
推定収集地1 | ビスマルク諸島 ニューアイルランド島 中部マダック地域/Bismarck Archipelago, Middle of New Ireland, Barok region |
収集者 | 小嶺 磯吉 |
寄贈者 | 小嶺磯吉 |
執筆者1 | 山口徹 |
解説1 | 顎鬚を蓄えた大顔や頭上の髪飾り、どっしりと踏ん張る短脚は、間違いなく「ウリ」と呼ばれた祖霊像の特徴である。キョウチクトウ科の高木から彫り出された一木造で、タカラガイの殻とサザエの蓋で眼球が表現され、赤土(赤)・木炭(黒)・石灰(白)とパリナリウムの樹脂を混ぜ合わせた3種類の顔料で彩色されている。突き出るペニスとふくよかな胸が示す両性具有性は、戦場での無慈悲なまでの力強さと人々を養い立てる甲斐性を象徴するという。どちらも首長に不可欠な資質だったようだが、詳細は不明である。ウリにかかわる知識は、マダックの山深い内陸で伝えられてきたが、植民地化の過程で村々が廃れてしまったからである。1904-5年に東海岸のラマサンで行われた首長の葬送儀礼(マランガン)に際して、名を残した首長たちを象徴するように、10体のウリ像が内陸の民によって運び込まれたことが僅かに知られている。そのなかには、慶應大所蔵の3体にそれぞれ似たウリ像が含まれていた。 「文学部125年記念企画展 語り出す南洋の造形:慶應大所蔵・小嶺磯吉コレクション」展示冊子(pp.4-5)より |
執筆者2 | 臺浩亮 |
解説2 | 慶應大コレクションに含まれるウリ像のうちの1体。額の左側から右目周辺を通り輪郭をなぞる顔面装飾は現在までに確認できたウリ像の類例の中でも稀有な特徴である。顎や肘から下方に伸長する支柱のほか、両肩口から胸部前方にかけて伸びるループ状の構造が確認できる。側面支柱には一対の吊目と下方に舌を伸長する口を特徴とする顔が表現される。おそらく精霊Gesを表現したものであろう。この精霊はマランガン造形物として表現されることもある。また肩口に表現されるループ状の構造もマランガン彫像に確認できるなど、形態的にもウリ像とマランガン造形物の類似性が指摘される。下方に伸長する男根の下には上半身のみが表現される副像が表現される。形態的特徴から、Kramer, A によってlembankakat lakosとの現地名が採集されたスタイルに属すると思われる。 |
執筆者3 | 山口徹 |
解説3 | どっしりした短脚、凛々しい大顔、そして両性具有の形象は正にニューアイルランド島のウリ像にちがいない。亡くなった偉大な首長の葬送儀礼に周りの村々から運ばれたウリたちが勢揃いし、13ヵ月にわたる儀式を経て新作のウリがお披露目された。独領ニューギニアの植民地政策のなかで、その慣習も廃れてしまったが、西洋に運ばれたウリ像は20世紀初頭の若き芸術家たちを魅了し、ドイツ表現主義のエミール・ノルデの作品に描かれ、シュルレアリズムの旗手アンドレ・ブルトンの書斎机に立ち、彼の詩のなかに詠い込まれた。戦後の日本でも、国立近代美術館の《現代の眼-原始芸術》展(1960年開催)に義塾所蔵のウリ像が登場した。その時のイメージの流用と思われるが、かつて奈良にあった遊園地にはモルタル製のウリもどきが立っていた。異形の元々の意味は、もはや類推の外に知りようがない。それでも、降り立った先々で観る者の感覚を揺さぶり、何ものかを想起させながら、新しい意味をその身に纏ってきたのである。ウリ像は今もまだ、その旅の途上にある。 |
過去に出品された展覧会 | 「文化人類の宝庫 ニューギニア芸術展」(上野松坂屋新館5階、1962年9月11日~16日) 「語り出す南洋の造形:慶應大所蔵・小嶺磯吉コレクション」(慶應義塾大学三田キャンパス図書館新館1F展示室、2015 年1月9日~2月7日) 「Keio Exhibition RoomX: 人間交際」(オンライン、2020年10月26日~2021年2月28日) |
本資料の掲載書籍 | 南の會 1937『ニウギニア土俗品図集(上)』南洋興発株式会社、第16図版(写真) 読売新聞社編 1962『文化人類の宝庫 ニューギニア 芸術展』 山口徹監修 山口徹・安藤広道・佐藤孝雄・渡辺丈彦編 2015『語り出す南洋の造形:慶應大所蔵・小嶺磯吉コレクション』 山口徹 2015 「ウリ像をめぐる絡み合いの歴史人類学ービスマルク群島ニューアイルランド島の造形物に関する予察ー」『史学』85(2): 401-439 |
はじめに
慶應義塾大学には、メラネシアの島々で収集された民族資料が1800点余り収蔵される。主たる資料は、戦前・戦中に南洋群島で製糖業を展開していた南洋興発株式会社社長、松江春次氏のコレクションであった。そのなかには、明治期から独領ニューギニアで貿易業を営んでいた小嶺磯吉氏の収集品も多数含まれている。慶應義塾大学の民族学研究を主導した松本信廣先生が中心となり、コレクションの図録が昭和15年に刊行されている。松江氏のご子息が塾生だった縁もあり、終戦直後に三田キャンパスで所蔵されることとなった。世界的にも貴重な民族資料群である。
■ 参考文献
・山口 徹 2015 「ウリ像をめぐる絡み合いの歴史人類学:ビスマルク群島ニューアイルランド島の造形物に関する予察」『史学』85(1-3): 401-439
https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00100104-20150700-0401
・臺 浩亮 2020 「植民地期のニューギニアにおける小嶺磯吉の活動に関する予察:一九〇五年から一九一一年における収集活動を中心に」『史学』89(3): 1-52
https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00100104-20201200-0001
1. 「推定収集地」について
・小嶺磯吉ならびに南洋興発株式会社によって収集された民族資料については『ニウギニア⼟俗品圖集』や民族学考古学研究室が管理する資料カードに記載される情報、整理作業・類例検索の過程で得られた情報、シカゴ・フィールド博物館に所蔵される小嶺磯吉の収集品の情報を総合的に判断し、より可能性が高い地域を記載した。
・西北ソロモン調査団ならびにレンネル島調査団によって収集された民族資料については民族学考古学研究室が管理する資料カードに記載される情報を記載した。
2.掲載写真について
モノクロ写真は1970年代に在籍していた民族学考古学研究室所属の学生によって撮影されたもの、またカラー写真は2013年以降に民族学考古学研究室所属の教員・学生によって撮影されたものである。
3.解説文について
2015年以降に開催された民族学考古学研究室主催の展覧会にて掲載された解説文ならびに有志が執筆した解説文を本データベース上にて掲載している。未掲載の資料解説についても順次公開する予定である。
4.メラネシア民族資料整理およびデータベース編集参加者について
メラネシア民族資料データベース編集ならびに資料整理作業参加者は以下の通り(敬称略)
<データベース編集者>
山口徹(慶大・文・教授)、臺浩亮(慶大・文研・後期博士課程)、太刀川彩子(慶大・文研・修士課程)
<資料整理作業参加者>
安藤香里、市田直一郎、岩浪雛子、嘉生泰花、川本智仁、木下圭祐、黑川由紀⼦、⼩林真⾐⼦、⼩林⻯太、佐山のの、下⽥健太郎、鈴木伸太朗、鈴木帆奈、臺浩亮、太刀川彩子、田中祐壮、遠山裕佳里、長尾琢磨、長澤良佳、成澤可奈子、藤田絢花、牧田侑子、町田竜太郎、村井南、吉⽥友⾥恵
5.その他
本データベースに掲載されるメラネシア民族資料は民族学考古学研究室が管理しています。研究室の活動や資料に関するお問い合わせについては研究室ホームページ(http://web.flet.keio.ac.jp/~toru38/ethnoarch/)をご参照ください。
なお、所蔵資料の基礎情報に関する調査に際して、以下の研究助成事業にご支援いただきました。
・「植民地期に収集されたオセアニア造形物に収集側と譲渡側の交錯を読み解く歴史人類学」(代表者:臺浩亮、2017年度 慶應義塾博士課程学生研究支援プログラム(研究科推薦枠)、2017年4月1日~2018年3月31日)
・「20世紀初頭収集のメラネシア造形物に日本人収集者の戦略と交渉を読み解く歴史人類学」(代表者:臺浩亮、2018年度 慶應義塾博士課程学生研究支援プログラム(全塾選抜枠)2018年4月1日~2019年3月31日)
・「20世紀初頭のメラネシアを巡るコレクティング・コロニアリズム研究:モノから『収集の民族誌』を描く」(代表者:臺浩亮、公益信託澁澤民族学振興基金 平成30年度 大学院生等に対する研究活動助成、2018年4月1日~2019年3月31日)
・「植民地期のニューギニアにおける『収集の現場』とモノを巡る戦略・交渉の博物館人類学」(代表者:臺浩亮、2019年度 慶應義塾博士課程学生研究支援プログラム(研究科推薦枠)、2019年4月1日~2020年3月31日)
(最終更新日 2022.1.2)
慶應義塾大学には、メラネシアの島々で収集された民族資料が1800点余り収蔵される。主たる資料は、戦前・戦中に南洋群島で製糖業を展開していた南洋興発株式会社社長、松江春次氏のコレクションであった。そのなかには、明治期から独領ニューギニアで貿易業を営んでいた小嶺磯吉氏の収集品も多数含まれている。慶應義塾大学の民族学研究を主導した松本信廣先生が中心となり、コレクションの図録が昭和15年に刊行されている。松江氏のご子息が塾生だった縁もあり、終戦直後に三田キャンパスで所蔵されることとなった。世界的にも貴重な民族資料群である。
■ 参考文献
・山口 徹 2015 「ウリ像をめぐる絡み合いの歴史人類学:ビスマルク群島ニューアイルランド島の造形物に関する予察」『史学』85(1-3): 401-439
https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00100104-20150700-0401
・臺 浩亮 2020 「植民地期のニューギニアにおける小嶺磯吉の活動に関する予察:一九〇五年から一九一一年における収集活動を中心に」『史学』89(3): 1-52
https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00100104-20201200-0001
1. 「推定収集地」について
・小嶺磯吉ならびに南洋興発株式会社によって収集された民族資料については『ニウギニア⼟俗品圖集』や民族学考古学研究室が管理する資料カードに記載される情報、整理作業・類例検索の過程で得られた情報、シカゴ・フィールド博物館に所蔵される小嶺磯吉の収集品の情報を総合的に判断し、より可能性が高い地域を記載した。
・西北ソロモン調査団ならびにレンネル島調査団によって収集された民族資料については民族学考古学研究室が管理する資料カードに記載される情報を記載した。
2.掲載写真について
モノクロ写真は1970年代に在籍していた民族学考古学研究室所属の学生によって撮影されたもの、またカラー写真は2013年以降に民族学考古学研究室所属の教員・学生によって撮影されたものである。
3.解説文について
2015年以降に開催された民族学考古学研究室主催の展覧会にて掲載された解説文ならびに有志が執筆した解説文を本データベース上にて掲載している。未掲載の資料解説についても順次公開する予定である。
4.メラネシア民族資料整理およびデータベース編集参加者について
メラネシア民族資料データベース編集ならびに資料整理作業参加者は以下の通り(敬称略)
<データベース編集者>
山口徹(慶大・文・教授)、臺浩亮(慶大・文研・後期博士課程)、太刀川彩子(慶大・文研・修士課程)
<資料整理作業参加者>
安藤香里、市田直一郎、岩浪雛子、嘉生泰花、川本智仁、木下圭祐、黑川由紀⼦、⼩林真⾐⼦、⼩林⻯太、佐山のの、下⽥健太郎、鈴木伸太朗、鈴木帆奈、臺浩亮、太刀川彩子、田中祐壮、遠山裕佳里、長尾琢磨、長澤良佳、成澤可奈子、藤田絢花、牧田侑子、町田竜太郎、村井南、吉⽥友⾥恵
本データベースに掲載されるメラネシア民族資料は民族学考古学研究室が管理しています。研究室の活動や資料に関するお問い合わせについては研究室ホームページ(http://web.flet.keio.ac.jp/~toru38/ethnoarch/)をご参照ください。
なお、所蔵資料の基礎情報に関する調査に際して、以下の研究助成事業にご支援いただきました。
・「植民地期に収集されたオセアニア造形物に収集側と譲渡側の交錯を読み解く歴史人類学」(代表者:臺浩亮、2017年度 慶應義塾博士課程学生研究支援プログラム(研究科推薦枠)、2017年4月1日~2018年3月31日)
・「20世紀初頭収集のメラネシア造形物に日本人収集者の戦略と交渉を読み解く歴史人類学」(代表者:臺浩亮、2018年度 慶應義塾博士課程学生研究支援プログラム(全塾選抜枠)2018年4月1日~2019年3月31日)
・「20世紀初頭のメラネシアを巡るコレクティング・コロニアリズム研究:モノから『収集の民族誌』を描く」(代表者:臺浩亮、公益信託澁澤民族学振興基金 平成30年度 大学院生等に対する研究活動助成、2018年4月1日~2019年3月31日)
・「植民地期のニューギニアにおける『収集の現場』とモノを巡る戦略・交渉の博物館人類学」(代表者:臺浩亮、2019年度 慶應義塾博士課程学生研究支援プログラム(研究科推薦枠)、2019年4月1日~2020年3月31日)
(最終更新日 2022.1.2)