内野秀美

作者名(ヨミ)うちの ひでみ
作者名(英語)UCHINO Hidemi
出身地久留米
没地久留米
生年月日(西暦)1911
没年月日(西暦)1998

略歴・解説

映画制作を志して日本大学芸術学部に入学するが、洋画に専念することを決めて退学。1935年に本郷洋画研究所に入り辻永に師事する。1944年にシベリア抑留を体験し、復員後は久留米に戻った。久留米市内の小・中・高校に美術教師として勤務しながら、自らが中心となって西部示現会を結成。さらには来目会の事務局長も務めるなど、地域文化振興に尽力した。来目会は1952年に最後の展覧会を開催し、久留米連合文化会洋画部に吸収された。内野ははじめ同会の副会長に、1971年には会長に就任し1990年まで務めた。初期は重厚な色調と丁寧な筆遣いで構成する写実的な作風だったが、1960年代からは筑後の風土を意識した櫨や装飾古墳を題材とした抽象的な画風に変化していった。

この作者の資料一覧[全2件]

件ずつ表示

PageTop