三友書画
| 作者 | 坂本繁二郎、梅野満雄、青木繁 さかもと はんじろう、うめの みつお、あおき しげる |
|---|---|
| 技法・材質 | 軸装 |
開館時間:10:00 - 17:00 (入館は16:30まで)
※詳細は開館カレンダーをご覧ください。
〒839-0862 福岡県久留米市野中町1015

開館時間:10:00 - 17:00 (入館は16:30まで)
| 作者 | 坂本繁二郎、梅野満雄、青木繁 さかもと はんじろう、うめの みつお、あおき しげる |
|---|---|
| 技法・材質 | 軸装 |
開館時間:10:00 - 17:00 (入館は16:30まで)
| 作者名(ヨミ) | あおき しげる |
|---|---|
| 作者名(英語) | AOKI Shigeru |
| 出身地 | 久留米 |
| 没地 | 福岡 |
| 生年月日(西暦) | 1882 |
| 没年月日(西暦) | 1911 |
| 略歴・解説 | 同郷同年生まれの坂本繁二郎とともに、久留米の洋画家、森三美の画塾で洋画を学ぶ。1899年県立中学明善校を中退、画家を志して上京し、小山正太郎の画塾不同舎で学ぶ。翌1900年東京美術学校西洋画科選科に入学、1903年の第8回白馬会展に神話画稿を出品して白馬賞を受賞し、画壇にデビューした。翌1904年7月東京美術学校を卒業した夏、坂本繁二郎、森田恒友、福田たねと千葉県館山市の布良海岸に行き、同地に滞在し《海の幸》など海を題材にした作品を制作、同年秋の第9回白馬会展で《海の幸》を発表、画壇の注目を集めた。1907年東京勧業博覧会に自信作《わだつみのいろこの宮》を出品したが、不本意な三等賞に終わる。同年8月父の死去にともない帰省、以後中央画壇への復帰をめざすがかなわず、九州放浪中、肺結核のため福岡市の松浦病院で死去した。 |
| 作者名(ヨミ) | さかもと はんじろう |
|---|---|
| 作者名(英語) | SAKAMOTO Hanjiro |
| 出身地 | 久留米 |
| 没地 | 八女(福岡) |
| 生年月日(西暦) | 1882 |
| 没年月日(西暦) | 1969 |
| 略歴・解説 | 10歳の頃より森三美の画塾で絵を学ぶ。同じ年で同郷の青木繁も後に入塾した。父を早くに亡くした繁二郎は進学せず森の後任として高等小学校で図画を教えることになるが、徴兵検査で帰郷した青木に刺激され、20歳になる1902年に上京。不同舎で学ぶ。1907年第1回文展で入選。1912年第6回文展に出品した《うすれ日》は、夏目漱石に「この牛は何かを考えている」と評された。1913年二科会創立に参加し、翌年の第1回展より同会に出品を続けた。1921年から24年まで渡仏。帰国後は久留米に戻り、1931年からは隣接する八女市にアトリエをかまえた。牛から馬へ、さらに静物、月とモティーフを変え、それらを繰り返し描いた。戦前から晩年まで地元で制作して多くの後進の指針となり、また、青木繁作品の収集と美術館建設を石橋正二郎に願い出るなど有形無形に地域芸術を支え続けた。 |