略歴・解説
元椎谷藩士、周虎の長男。銀行支配人であった父の都合により、幼少の頃柏崎へ転居する。柏崎尋常小学校、高田中学校(現高田高等学校)をへて東京専門学校(現早稲田大学)文科を卒業。在学中『早稲田学報』の編集委員を務め、坪内逍遥の推薦で博文館入社。雑誌『太陽』の記者となる。ドイツ文学者ケーベルの知遇を得て哲学・文学・科学書を読破し後年文芸評論家の道へ進む。明治35年26歳で、フランスのゾラに見習い文学者も写実主義にそい科学的基礎に立つべきだと主張する。34歳英国外遊後、博文館取締役編集総務、早稲田大学英文科講師、臨時国語調査委員、放送協会用語調査員の要職につく。