略歴・解説
渡辺弥八の三男で本名寅治、身長1.7メートル、体重101キログラム、5代伊勢ノ海部屋に入門。無番付から取組み、天保12年(1841)38歳の時両国の会向院場所で入幕し、「狭布の里」と名のり前頭四枚目となる。天保14年(1843)柏戸宗五郎と改名。弘化2年(1845)42歳の春前頭筆頭に昇る。2年後前頭二枚目で引退する。その後江戸相撲興行の御三家の一つ、「伊勢ノ海」を襲名し、優れた経営能力を発揮する。嘉永6年(1853)~明治元年までの14年間相撲興行の世話役などを務める。明治維新の頃は理事長や部屋の筆頭取締りの要職につき相撲界の再興に専念する。73歳で隠居、地域の草相撲界に尽くす。昭和22年小国では神風一行を招き小国町出身で弟子の両国梶之助と共に盛大な追善興行が行われた。