略歴・解説
幼名を浪之助、号を霜筠。原修斎の門下で漢学を学び松村文次郎、西巻永一郎と共に三秀才と称される。15歳より旅商をして十数年間旅稼ぎをする。維新の大変革で明治元年36歳、民政局御用取次雇などから、柏崎県柏崎校の会計幹事となり、また町内では戸長扱いとなる。明治6年には柏崎刈羽を治める第五大区長に抜擢。明治12年初代の刈羽郡長をはじめ、南蒲原、北魚沼の郡長を歴任。明治30年退任後は小出で魚沼塾を開設し、『魚沼郡誌』を執筆する。刈羽郡会は郷土誌編纂を決め、八十八郎は妙行寺の付近に居を移し、『刈羽郡旧蹟志』を著す。本書には各地の村落、旧家、名蹟、神社仏閣を訪問した正確な古記録が残されており、今でも高い評価を受けている。