星見 天海

じんぶつ名(ヨミ)ほしみ てんかい
出身地柏崎市南条
生年月日(西暦)1833
生年月日(和暦)天保4年
没年月日(西暦)1913
没年月日(和暦)大正2年

略歴・解説

星野治兵衛の三男。10歳で平井の福勝寺に入山し、翌年、俊龍和尚から得度を受け蟠龍と改名。厳格な戒律に耐えぬく。後に天海と改め、19歳から諸国行脚の雲水20年に及ぶ。江戸駒込吉祥寺学林で3ヵ年学ぶ。金沢天徳院の奕堂和尚から数年間行脚僧としての修業をつむ。38歳、俊龍の死の悲報を受け非常に驚く。その後平井福勝寺住職を拝命。53歳のとき曹洞宗貫主の特別推挙で関東一円を治める最乗寺住職を拝命。大学林総監、曹洞宗大会議幹事の要職につく。61歳内務大臣井上馨から永平寺、総持寺の本山争いの調停を依頼される。そして暴漢に襲われるが難行の末、円満に解決する。また総持寺の貫主に推挙されるが辞退し、69歳で福勝寺に帰り悠悠自適の生活を送った。

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