星野 介堂

じんぶつ名(ヨミ)ほしの かいどう
生年月日(西暦)1840
生年月日(和暦)天保11年
没年月日(西暦)1875
没年月日(和暦)明治8年

略歴・解説

鏡里の長男、名は孝、号を介堂。安政2年(1855)15歳の時、桑名に遊学し、儒学者南合果堂から朱子学を学び、江戸にでて父の同門藤森弘庵に師事。弘庵は時勢に敏感で安政の大獄に関係し、追放された。介堂も尊王思想に共鳴。慶応3年(1867)27歳頃帰郷し、父に代わり「詠帰堂」で講義する。翌年戊辰戦争が起こると本家の星野藤兵衛を助ける。明治6年比角校(現比角小学校)の校長となり後に柏崎校校長となる。星野家と比角校の関係は濃く、介堂の弟忠三郎と信四郎も比角校校長となった。

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