略歴・解説
食品問屋の長男。満州中央銀行に勤務。父の死で家業を継ぎ、35歳で商工会議所副会頭、柏崎製氷株式会社社長となる。昭和34年から市の助役を勤め、昭和38年市長に当選し、高度経済成長の波にのり、道路・港湾・河川・用水・工業団地等の整備、駅裏東南地域の排水と宅地造成、町並歩道整備・市営プール・公民館・学校統廃合・広域行政の公共事業など整備充実に尽力する。一方、昭和43年原子力発電が浮上し、誘致の基本を地域開発にすえる。昭和44年3月市議会は誘致賛成を可決、昭和45年以降漁業権解決、活断層などで反対派との長い論争へと発展する。10年後の昭和53年原子力発電所着工。4期16年間多くの業績を残し、翌年市長を退任した。