略歴・解説
伝治の長男で本名毎太、号は葉月。柏崎中学校卒業後、柏崎郵便局に勤める。大正5年25歳で江原小弥太の後を継ぎ、「越後タイムス」の編集をする。当時の大正デモクラシーを反映し、島村抱月らの芸術座公演、平塚雷鳥らの文芸講演、松田青針の創作連載、柳宗悦の木喰仏の掲載。時には河合卯之助、相馬御風らの紙上夏季大学講座開設など、文芸ジャーナリストの天分に恵まれ、情熱と努力で40年間紙面を飾る。昭和14年戦時統制で休刊。昭和21年復刊し、「越後タイムス」「柏崎日報」の主幹を昭和30年まで続け横浜へ転居。柏崎小学校・柏崎第一中学校の校歌や新作米山甚句も作詞する。格調高い記事は柏崎の芸術文化の向上の礎となる。